# 下関のカトリック教会 > Shimonoseki Catholic Community ## Posts - [バザーに参加](https://shimonosekicatholic.org/%e3%83%90%e3%82%b6%e3%83%bc%e3%81%ab%e5%8f%82%e5%8a%a0/): この間のバザーは楽しかったです。皆様の温かさとご協力に感動しました。 - [後ろを向いて前進しましょう](https://shimonosekicatholic.org/202509-priest-message/):  新教皇レオ14世が就任されて4か月、まったく無名の方だっただけに、大きな驚きと期待を浴びて登場されましたが、その後、これと言った顕著な行動も見られず、メディアに上るこ ... 読み続き - [細江教会だより2025年秋号](https://shimonosekicatholic.org/hosoe-dayori-2025-autumn/): このコンテンツはパスワードで保護されています。閲覧するには以下にパスワードを入力してください。 パスワード: - [「ごあいさつ」](https://shimonosekicatholic.org/202507-priest-message/):  「振り返ってはならない、塩の柱に成る」(創:19/26)。人間はそう言われても振り返ってしまいます。私が細江教会に初赴任したのは1970年3月でした。半世紀以上前の事 ... 読み続き - [クリスマス・チャリティーコンサート](https://shimonosekicatholic.org/christmas-charity-concert-2025/): 参加しましょう - [あたたかい教会を築いていきましょう](https://shimonosekicatholic.org/202506-parish-pastor-message/):  主の平和が皆さんに豊かに与えられますように。4月22日に静かに到着しまして、27日に復活節第二主日(神の慈しみの主日)のミサを彦島教会で主任司祭の到着初主日ミサとして ... 読み続き - [お知らせ - Test](https://shimonosekicatholic.org/hosoe-news-test/): (1) 9月9日(火)と10日(水)10:00から、今お留守番に来て下さっている山中神父様が勉強会をしてくださいます。どなたでもご自由にご参加ください。 (2 ... 読み続き - [pagetest](https://shimonosekicatholic.org/pagetest/) - [Exploring the Shimonoseki Catholic Church: History, Mission, and Community Engagement](https://shimonosekicatholic.org/exploring-the-shimonoseki-catholic-church-history-mission-and-community-engagement/): Introduction to the Shimonoseki Catholic Church The Shimonoseki Catholic Church hold ... 読み続き - [Discovering the Shimonoseki Catholic Church: History, Mission, and Community](https://shimonosekicatholic.org/discovering-the-shimonoseki-catholic-church-history-mission-and-community/): Welcome to the Shimonoseki Catholic Church The Shimonoseki Catholic Church stands as ... 読み続き - [献堂式を終えて思うこと](https://shimonosekicatholic.org/202504-priest-message/):  新聖堂の献堂からほぼ一月、聖週間、復活祭 と、一年で最も大事な時期を新しい聖堂で過ごすことができ、夢のように思えた祈りの家 に少しずつ馴染みが湧いてきました。予想を ... 読み続き - [聖年](https://shimonosekicatholic.org/202501-priest-message/):  2024年12月24日に、教皇フランシ スコはバチカンのサンピエトロ大聖堂にある「聖年の扉」を開き、「全教会にとって恵 みと希望の濃い体験となる」聖年が開幕しました。 ... 読み続き - [晩秋に思う](https://shimonosekicatholic.org/202410-priest-message/):  本格的な冬が訪れる前の11月、教会は、この世の生を全うされた兄弟のために祈る時を もつようにと、昔から死者の日を守ってきました。死者の記念は、毎日のミサでも欠かすこと ... 読み続き - [教会に「恋する」と教会に「留まる」](https://shimonosekicatholic.org/202408-priest-message/):  教会は、信仰の拠り所であり、神聖な場 所として尊ばれています。また特に人生 の困難な時期や人生の岐路に立たされた 時、教会は多くの人にとって、安らぎや 希望を見出す場 ... 読み続き - [ケをいかに生きるか](https://shimonosekicatholic.org/202406-priest-message/):  5月末の聖霊降臨の主日で復活節が終わり、 年間の季節に入っている。典礼の暦からすれ ば、晩秋の待降節まで、大きな祝いもなく、まさに平常の日々を送ることになる。日本の暦 ... 読み続き - [忙しさを生きる私たち](https://shimonosekicatholic.org/202404-priest-message/):  あるベトナム人の若者に「最近、どうしてミ サに来ないの?」と尋ねてみましたら、「忙しいですから」と簡単に返事してくれました。これを聞いて、ある神父が「私の辞書には忙し ... 読み続き - [別れと出会いのとき](https://shimonosekicatholic.org/202402-priest-message/):  去る3月9日、第72回下関天使幼稚園の 卒園式が生涯学習センター「風のホール」で開 催された。3,4年前、泣き虫だった園児が、下の学年に入ったお友達を、実の兄弟姉妹の ... 読み続き - [前向きに生きる](https://shimonosekicatholic.org/202401-priest-message/):  お正月は誰もが穏やかな一年を願いながら、 「明けましておめでとうございます。今年も よろしくお願いいたします」と、挨拶を交わし ますが、元日に石川県能島半島地方で地震 ... 読み続き - [聖ヨセフ、彦島教会の守護聖人](https://shimonosekicatholic.org/st-joseph-hikoshima-patron-saint/):  今日、あらためて彦島教会の守護聖人である聖ヨセフの祝日を心からお祝い申し上げます。典礼上の祝日はすでに過ぎましたが、聖ヨセフは教会全体にとって大切な守護者であり、また ... 読み続き - [20260322今週の灯](https://shimonosekicatholic.org/20260322-the-light-of-the-week/): 四旬節の間、各教会で「十字架の道行き」の祈りを行っています。細江教会にて金曜日10時20分と18時30分彦島教会にて木曜日9時30分長府教会にて金曜日隔週ミサ後 四旬節 ... 読み続き - [20260322彦島週報](https://shimonosekicatholic.org/20260322-hikoshima-news/): 四旬節第5主日A年 彦島カトリック教会   「『ラザロ、出てきなさい』と大声で叫ばれた」  ヨハネによる福音書11章 1-45節  みことばの典礼はこちら  神父より今 ... 読み続き - [彦島週報20260315](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260315/): 2026年3月15日  四旬節第4主日 A年 彦島カトリック教会   「シロアムの池に行って洗いなさい」  ヨハネによる福音書9章1-38節  みことばの典礼はこちら  ... 読み続き - [目の見えない人と主の光(癒し)・四旬節第四主日A年](https://shimonosekicatholic.org/sunday-4th-lent-a-2026/): みことばの典礼はこちら  四旬節第四主日の典礼は、私たちの霊的な盲目と、ただ主だけが与えてくださるまことの光について深く語りかけています。私たちはしばしば目に見えるもの ... 読み続き - [今週の灯20260315](https://shimonosekicatholic.org/20260315-the-light-of-the-week/): 四旬節の間、各教会で「十字架の道行き」の祈りを行っています。細江教会にて金曜日10時20分と18時30分彦島教会にて木曜日9時30分長府教会にて金曜日隔週ミサ後 四旬節 ... 読み続き - [彦島週報20260308](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260308/): 四旬節第3主日 A年 彦島カトリック教会   「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない」  ヨハネによる福音書4章5-42節  みことばの典礼はこちら  神父より今週 ... 読み続き - [「わたしは渇く」・四旬節第三主日A年](https://shimonosekicatholic.org/sunday-3rd-lent-a-2026/): みことばの典礼はこちら  四旬節第三主日の典礼は、私たちを「渇き」という深いテーマへと導きます。イスラエルの民が荒れ野で水を求めて叫んだように、またサマリアの女性が井戸 ... 読み続き - [20260308四旬節第三主日・今週の灯](https://shimonosekicatholic.org/20260308-the-light-of-the-week/): 四旬節の間、各教会で「十字架の道行き」の祈りを行っています。細江教会にて金曜日10時20分と18時30分彦島教会にて木曜日9時30分長府教会にて金曜日隔週ミサ後 四旬節 ... 読み続き - [つながりキッチン・いのちの関門ネッツ・彦島20260314](https://shimonosekicatholic.org/tsunagari-kitchen-hikoshima-20260314/): 行事のご案内 ◎ 彦島教会:第二と第四木曜日ミサ後学習会、第一木曜日ミサ後ヨゼフカフェ、毎週水曜日19時から聖書分かち合い◎ 細江教会:第二第四火曜日10時から作道神父 ... 読み続き - [長府·お知らせと行事202603](https://shimonosekicatholic.org/chofu-schedule-202603/): 毎週のお知らせの詳細はカトリック長府教会のHPまでご覧ください。 - [第三回「宣教ひろば」の振り返り](https://shimonosekicatholic.org/hiroshima-diocese-3rd-synod-gathering/): 集いの流れ  先日2月23日に広島教区による第三回「宣教ひろば」が開催されました。教区内のさまざまな地域から約120名が集まり、対面とオンラインを通して一つの共同体とし ... 読み続き - [ミサ担当表](https://shimonosekicatholic.org/misa-schedule/): 2026年9月 ミサ担当表と行事 - [彦島週報20260301](https://shimonosekicatholic.org/20260301-hikoshima-news/): 四旬節第2主日 A年 彦島カトリック教会   「これはわたしの愛する子、・・・これに聞け」  マタイによる福音書17章1-9節  みことばの典礼はこちら  神父より今週 ... 読み続き - [主の変容、「起きなさい。恐れることはない。」](https://shimonosekicatholic.org/sunday-2-lent-a-2026/): 四旬節第二主日A年 みことばの典礼はこちら  皆さん、四旬節第2主日に与えられた福音は、イエスが山上で姿を変え、栄光のうちに現れた出来事を伝えています。弟子たちは恐れに ... 読み続き - [20260301四旬節第二主日](https://shimonosekicatholic.org/20260301-the-light-of-the-week/): 四旬節の間、各教会で「十字架の道行き」の祈りを行っています。細江教会にて金曜日10時20分と18時30分彦島教会にて木曜日9時30分長府教会にて金曜日隔週ミサ後 四旬節 ... 読み続き - [従順](https://shimonosekicatholic.org/sunday-1st-lent-a-2026/): 四旬節第一主日A年 みことばの典礼  親愛なる兄弟姉妹の皆さん、  四旬節に入った私たちは、神へと立ち帰る恵みの旅を始めています。この四十日の歩みは、心を静め、みことば ... 読み続き - [20260222](https://shimonosekicatholic.org/20260222-2/): 四旬節第一主日A年 今週の灯 みことばの典礼 四旬節の始まりにあたり、私たちは「従順」という恵みを新たに受け取るよう招かれています。アダムの不従順によって罪が入りました ... 読み続き - [彦島週報20260222](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260222/): 四旬節第1主日 A年 彦島カトリック教会   「人はパンだけで生きるのではない」  マタイによる福音書4章1-11節 🌸 2月22日(日)・四旬節第1主日 ミサ9:00 ... 読み続き - [彦島週報20260215](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260215/): 年間第6主日 A年 彦島カトリック教会   「わたしが来たのは律法や預言者を・・・完成するためである」    マタイによる福音書5章17-37節 🌸 2月15日(日)・ ... 読み続き - [平和アピールの集いに感謝](https://shimonosekicatholic.org/thanks-for-the-gathering-20260214/): お話しも素晴らしかったので、参加させていただけて良かったです^_^新しい細江教会にも訪問出来嬉しかったです。細江教会の皆様には大変お世話になりました。感謝です。 - [年間第六主日A年](https://shimonosekicatholic.org/sunday-6-ordinary-a-2026/): みことばの典礼はこちら  皆さん、  今日のみ言葉は、神が私たちに与えてくださった「自由」と「知恵」について語っています。神は、私たちの前に「いのち」と「死」、「祝福」 ... 読み続き - [平和アピールの集い](https://shimonosekicatholic.org/peace-appeal-gathering/): 2026年2月14日、細江カトリック教会では、約60名の参加者を迎え、「平和を築く社会を目指して」というテーマのもと、学びと祈りの一日が行われました。参加者は山口県内外 ... 読み続き - [20260215](https://shimonosekicatholic.org/20260215-2/): 年間第六主日A年 今週の灯 みことばの典礼 年間第6主日のみ言葉は、神が与えてくださった自由と知恵を、いのちと愛のために用いるよう私たちを招いています。先日、私たちは難 ... 読み続き - [長府·お知らせと行事202602](https://shimonosekicatholic.org/chofu-schedule-202602/): 毎週のお知らせの詳細はカトリック長府教会のHPまでご覧ください。 - [彦島週報20260208](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260208/): 週報2026年2月8日 年間第5主日 A年 彦島カトリック教会 「あなたがたは地の塩、世の光である」マタイによる福音書5章13-16節 🌸 2月8日(日)・年間第5主日 ... 読み続き - [霊的レジリエンスを高める6つの習慣](https://shimonosekicatholic.org/six-daily-habits-for-spiritual-resiliency/): The Six Daily Habits for Spiritual Resiliency 霊的レジリエンスを高める6つの習慣 6 Thói Quen Thiêng L ... 読み続き - [あなたがたは光である](https://shimonosekicatholic.org/sunday-5th-ordinary-a-you-are-the-light/): 年間第五主日A年 みことばの典礼はこちら  皆さん、今日の福音の中でイエスは私たちにこう語られます。「あなたがたは地の塩である。あなたがたは世の光である。」イエスは「光 ... 読み続き - [20260208今週の灯](https://shimonosekicatholic.org/20260208-the-light-of-this-week/): 年間第五主日A年 イエスは「あなたがたは世の光である」と語り、私たちが日々の小さな愛の行いを通して神の光を輝かせるよう招いておられます。イザヤ書が示すように、飢えた人に ... 読み続き - [ペドロ・アルペ神父における「信仰と奉仕」](https://shimonosekicatholic.org/pedro-arrupe-faith-and-service/): ―現代のキリスト者への霊的インスピレーション― 1. 動かない信仰ではなく、人間の現実へと歩み出す信仰 イエズス会第28代総長ペドロ・アルペ神父(1965–1983)は ... 読み続き - [アルペ神父による共同識別の核心ポイント](https://shimonosekicatholic.org/pedro-arrupe-discernment-in-common/): 1. 現実を祈りのうちに読み取ることが出発点 アルペ神父は「現実は理念に勝る」と強調した。共同識別とは、単なる議論ではなく、現実の中で働いておられる神の導きを見分ける営 ... 読み続き - [彦島週報20260201](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260201/): 年間第4主日 A年 彦島カトリック教会   「心の貧しい人々は、幸いである」  マタイによる福音書5章1-12a節 🌸 2月 1日(日)・年間第4主日 ミサ 9:00 ... 読み続き - [心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る](https://shimonosekicatholic.org/sunday-4th-ordianry-a-2026/): 年間第四主日A年みことばの典礼はこちらです。 今週の主日のみ言葉は、私たちに一つの美しい道を示してくださいます。それは、神さまの前で小さく、へりくだり、清い心を求めて歩 ... 読み続き - [年間第四主日A年20260201(今週の灯)](https://shimonosekicatholic.org/20260201-the-light-of-this-week/): 年間第四主日A年 今週のみ言葉は、「清い心」の幸いを静かに思い起こさせてくれます。清い心とは、完璧な心ではなく、長い人生の中で抱えてきた重荷や痛み、恨みや後悔を、少しず ... 読み続き - [自分の「家」を神にゆだねる心](https://shimonosekicatholic.org/a-heart-that-entrusts-my-house-to-god/): サムエル下7.18-19、24-29 18ダビデ王は主の御前に出て座し、次のように言った。「主なる神よ、何故わたしを、わたしの家などを、ここまでお導きくださったのですか ... 読み続き - [キリスト者の一致を求める祈りの集い](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-pray-for-unity-20260122/): 2026年1月22日(木)、彦島教会において午前10時より「キリスト者の一致を求める祈り」が厳かに行われました。祈りの集いには、プロテスタントの牧師1名、カトリック司祭 ... 読み続き - [彦島週報20260125](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260125/): 週報:2026年1月25日 年間第3主日(神のことばの主日)A年 彦島カトリック教会   「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」    マタイによる福音書4 ... 読み続き - [スペコラの新しい小惑星たち・2026年1月](https://shimonosekicatholic.org/new-asteroids-of-the-specola-202601/): IAU(国際天文学連合)小天体命名ワーキンググループの最新公報に、バチカン天文台の研究者たちにとって喜ばしいニュースが掲載されました。バチカン天文台の天文学者リチャード ... 読み続き - [年間第三主日A年2026年](https://shimonosekicatholic.org/sunday-3-ordinary-a-2026/): 大きな家族 主にある兄弟姉妹の皆さん。 年間第3主日の今日、私たちに与えられた神のことばは、まさに今の私たちの教会共同体にふさわしい光となっています。4月に向けて宣教司 ... 読み続き - [年間第三主日20260125(今週の灯)](https://shimonosekicatholic.org/sunday-3-ordinary-tomoshibi/): 年間第三主日A年神のことばの主日 年間第3主日の神のことばは、宣教司牧評議会の交代を迎える私たちに大切な光を与えてくれます。弟子たちは家族への愛を捨てたのではなく、より ... 読み続き - [キリスト者一致のためにお祈り](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-continue-pray-for-unity/): マリア・ガブリエラが生涯を捧げ祈っておられたように、私が出来ることは、小さな小さな私ですが、残りの生涯『すべての人を一つにしてください』というみ言葉を祈り続けたいと、心 ... 読み続き - [感謝](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-thanks/): 先日、キリスト者一致祈禱の集いに参加できたことを心から感謝しています。とても祝福された祈りの時間でした。これからもキリスト者の一致のために祈り続けたいと思います。 - [「本の紹介」コーナー](https://shimonosekicatholic.org/introduction-to-library/): 図書室の「本の紹介」コーナーです。まだ作成中です。 Mục giới thiệu sách trong Thư Viện. もし読んでみたい本がありましたら、どうぞお気 ... 読み続き - [幼稚園のご紹介](https://shimonosekicatholic.org/4-kindergartens/): 下関市内には、カトリック教会に関係する幼稚園が四つ存在します。 下関天使幼稚園 〒750-0016 下関市細江町1-9-15TEL 083-223-7575 FAX  ... 読み続き - [2026年彦島・一致祈禱の集い](https://shimonosekicatholic.org/2026-hikoshima-pray-for-christian-unity/): 🌸聖書のみことば エフェソの教会への手紙(4・1-13) 1そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわ ... 読み続き - [福者マリア・ガブリエラ・サゲッドゥの生涯](https://shimonosekicatholic.org/blessed-maria-gabriella-sagheddu/): 福者マリア・ガブリエラ・サゲッドゥはイタリア・サルデーニャ島出身のトラピスト修道女で、特別な意味での「殉教」とされる生涯を送りました。 マリア・サゲッドゥは1914年、 ... 読み続き - [雑感](https://shimonosekicatholic.org/priest-message-20260119/): 林尚志  「中道改革連合と言う新党が出来たね」冗談ぽいけど次のような連想をしました。  細江教会に辿り着いて、中道を行ったら、公園に落ちて進み海峡に落ちてしまう!(笑) ... 読み続き - [神のみことば、時代の不安の中にある希望の源](https://shimonosekicatholic.org/the-word-of-god-a-source-of-hope-amid-the-anxieties-of-ourtime/):  現代の私たちの歩みの中には、避けることのできない一つの現実があるように思われます。物質的には豊かで、科学技術も進んでいるにもかかわらず、人々の心には不安や孤独、そして ... 読み続き - [義なる人のまなざし(ヨハネ 1・29–34)](https://shimonosekicatholic.org/seeing-of-right-person/):  私たちは日々、他者をさまざまな視点で見てしまいがちです。自分の経験から生まれる先入観、比較による嫉妬、距離感や軽蔑など、いろんな目線を持っています。こうした視線は悪い ... 読み続き - [彦島週報20260118](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260118/): 週報:2026年1月18日 年間第2主日A年 彦島カトリック教会   「子の方こそ神の子である」 ヨハネ1章29-34節 🌸 1月18日(日)   ・年間第2主日 ミサ ... 読み続き - [年間第二主日20260118(短縮版)](https://shimonosekicatholic.org/sunday-2-ordinary-2026-short/): 年間第二主日A年 今週の朗読は、イエス・キリストの身分と使命を示しています。イエスは「神の小羊」「主の僕」「諸国の光」として、すべての人を罪から解放し、神へと導くために ... 読み続き - [聖アントニオ修道院長](https://shimonosekicatholic.org/st-anthony-abbot/): 1月17日記念日  聖アントニオは251年、エジプトの裕福な家庭に生まれました。両親の死後、彼は大きな財産を相続しましたが、教会で耳にした福音の言葉「もし完全になりたい ... 読み続き - [私たちは皆、同じ舟に乗っている ― 日本の教会共同体へのメッセージ](https://shimonosekicatholic.org/we-on-the-same-boat/): 現代の教会は、多くの課題や不安の波に揺さぶられています。しかし、そのような時代だからこそ、私たちは「同じ舟に乗っている」者として、互いに支え合い、希望を分かち合うよう招 ... 読み続き - [だれも一人で舟に残してはならない](https://shimonosekicatholic.org/donot-let-peter-alone/): 2026年(1月7日―8日)初めに開催された枢機卿会議の開会にあたり、ティモシー・ラドクリフ枢機卿(O.P.)は、福音に基づく深いメッセージを教会全体に語りかけました。 ... 読み続き - [司祭が「重荷」と見なされてしまうとき](https://shimonosekicatholic.org/when-a-priest-is-seen-as-a-burden/): この文章はまず何よりも、司祭たちが共に主に感謝をささげ、主が惜しみなく与えてくださった叙階の恵みを思い起こすために書かれています。同時に、典礼と秘跡の執行に忠実であり続 ... 読み続き - [司祭が抱える、休んでも癒えない疲れについて](https://shimonosekicatholic.org/pray-for-exhausted-priests/): 私たち司祭には、休息や小旅行では癒されない種類の疲れがあります。多くの場合、ただ耳を傾け、助言を求められるだけですが、私たちは知らず知らずのうちに、人々の絶望、怒り、そ ... 読み続き - [Lectio Divina(レクチオ・ディヴィナ)](https://shimonosekicatholic.org/lectio-divina/): Lectio Divina(レクチオ・ディヴィナ)― みことばを通して主と出会う道 (教皇レオ十四世・2026年1月の呼びかけに応えて) 2026年1月、教皇レオ十四世 ... 読み続き - [彦島週報20260111](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260111/): 2026年1月11日主の洗礼A年 彦島カトリック教会   「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」マタイによる福音書3章13-17節 ☆1月11日(日)・主の洗礼 ... 読み続き - [現代のヨルダン川](https://shimonosekicatholic.org/lord-presentation-a/):  新しい一年の始まりに、私たちは主の洗礼の祭日を迎えています。イエスがヨルダン川に降り、洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた出来事は、イエスの公生活の第一歩であり、救いの福 ... 読み続き - [主の洗礼20260111(短縮版)](https://shimonosekicatholic.org/lord-presentation-20260111-short/): 主の洗礼 A年 主の洗礼の祭日は、イエスがヨルダン川に降り、人々のただ中に立たれた出来事を思い起こさせます。2026年の日本にも、孤独、不安、文化の違いに悩む人々など、 ... 読み続き - [国際クリスマスミサ(宇部教会・2025年12月21日)](https://shimonosekicatholic.org/international-christmas-ube-2025/): 2025年12月21日、カトリック宇部教会において国際クリスマスミサが捧げられました。年末の忙しさと寒さが心にまで染み込むこの季節に、約100名以上の信徒がフィリピン、 ... 読み続き - [司祭のための祈り(日本の教会のために)](https://shimonosekicatholic.org/pray-for-japan-priest/): 主なる神よ、あなたはいつも教会を導き、私たちに司祭という尊い賜物を与えてくださいます。 今、日本の教会のために、そしてここで働くすべての司祭のために祈ります。 多くの司 ... 読み続き - [小教区のための祈り](https://shimonosekicatholic.org/pray-for-parish/): 愛する神よ、あなたは私たちを一つの民として集め、信仰・希望・愛に生きる共同体として形づくってくださいました。司祭的であり、預言的であり、王的な民として召された私たちが、 ... 読み続き - [司祭のための祈り集](https://shimonosekicatholic.org/pray-for-priest/): 司祭は、神さまから特別な使命を受け、私たちに秘跡と神の言葉を届けてくださる大切な存在です。 そして何よりも、司祭はいつも私たちのために祈っています。共同体のために、兄弟 ... 読み続き - [共同体のための祈り](https://shimonosekicatholic.org/pray-for-community/): コミュニティのための短い祈りは、私たちの間に一致、支え合い、そして希望を育む大切な恵みです。共に祈るとき、私たちは結ばれ、困難の中でも慰めと力を見いだし、心に残る絆を築 ... 読み続き - [主の公現20260104](https://shimonosekicatholic.org/epiphany-20260104/): 皆さん、 今日は、教会全体が喜びのうちに祝う「主の公現」の祭日です。東方の博士たちが星に導かれて幼子イエスのもとへとたどり着いた出来事は、二千年前の物語でありながら、今 ... 読み続き - [1月~3月の行事のご案内](https://shimonosekicatholic.org/2026-jan-mar-events/): 1月~3月の行事のご案内 皆様、是非ご参加くださいませ。 ◎ 彦島教会:第二と第四木曜日ミサ後学習会、第一木曜日ミサ後ヨゼフカフェ、毎週水曜日19時から聖書分かち合い◎ ... 読み続き - [彦島·お知らせ20260104](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260104/): 週 報 2026年1月4日 主の公現A年 カトリック彦島教会   「幼子は母マリアと共におられた」 マタイによる福音書2章1-12節 ☆ 1月 4日(日)主の公現 ミサ ... 読み続き - [長府·お知らせと行事202601](https://shimonosekicatholic.org/chofu-schedule-202601/): 毎週のお知らせの詳細はカトリック長府教会のHPまでご覧ください。 - [2026元日のミサ](https://shimonosekicatholic.org/2026-new-year-misa/): 皆さん、まず初めに、新年あけましておめでとうございます。昨年色々大変お世話になりました。今年もよろしくお願いいたします。2026年の新しい一年が、神の恵みと平和、そして ... 読み続き - [2026年新年のご挨拶](https://shimonosekicatholic.org/2026-new-year-greetings/): 親愛なる皆さまへ 新しい年2026年を迎え、心よりお慶び申し上げます。旧年中は、皆さまの祈りとご協力のうちに、多くの恵みと出来事を共に歩むことができました。細江新聖堂の ... 読み続き - [2026年新年のご挨拶(短縮版)](https://shimonosekicatholic.org/2026-greetings/): 2026年新年のご挨拶 新年あけましておめでとうございます。旧年中、私たちの共同体は細江新聖堂の献堂や司祭の異動など、多くの変化と恵みを経験しました。皆さまの祈りと支え ... 読み続き - [202601ミサ担当表](https://shimonosekicatholic.org/hosoe-schedule-202601/): 2026年1月 ミサ担当表と行事 - [祈ることができる場所](https://shimonosekicatholic.org/prayer-space/): 私たちは広島から初めて参拝に来た信者ですが、ここは本当に祈りの場所だと感じました。 - [細江・お知らせ20251228](https://shimonosekicatholic.org/hosoe-news-20251228/): このコンテンツはパスワードで保護されています。閲覧するには以下にパスワードを入力してください。 パスワード: - [聖家族20251228](https://shimonosekicatholic.org/holy-family-20251228/): 聖家族の祝日(12月28日)  聖家族の祝日は、聖家族が「完璧な家族」ではなく、限界や弱さの中に神を迎え入れた家族であったことを思い起こさせてくれます。彼らは移住を経験 ... 読み続き - [彦島週報20251228](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20251228/): 2025年12月28日 聖家族 A年 カトリック彦島教会   「彼はナザレの人と呼ばれる」 マタイ2:13-15,19-23 ★ 12月28日(日)聖家族 ミサ9:00 ... 読み続き - [RSS Vatican News 日本語](https://shimonosekicatholic.org/rss-vatican-news-japanese/): 今月、教皇の意向 バチカンニュース 教皇文書 - [長府・お知らせと行事202512](https://shimonosekicatholic.org/chofu-news-schedule-202512/): ★ 12月 7日(日) ミサ後聖堂内の馬小屋をつくる ★ 12月14日(日) 待降節黙想会 作道神父  ★ 12月20日(土)10:00 土曜学校クリスマス会 ★ 12 ... 読み続き - [年間荘厳ミサ](https://shimonosekicatholic.org/annual-solemn-mass/): Annual Solemn Mass 神の母聖マリア(1月1日)  → 新年にあたり、聖母マリアを神の母として称える祭日。 主の公現(1月6日)*  → 主が全世界に現 ... 読み続き - [キリスト教一致・8日間の黙想と祈り・2026年](https://shimonosekicatholic.org/christian-unity-8-day-meditation-2026/): 親愛なる皆様へ、教会では毎年、1月18日から25日までの1週間を「キリスト教の一致」を願って祈る期間としています。 1月25日は聖パウロの回心を祝う日です。教会で最も偉 ... 読み続き - [ミカエルさんの葬儀ミサ](https://shimonosekicatholic.org/funeral-mass-michael/):  一昨日(12月21日)午後6時49分、89年の尊い人生を終えて、いのちの主である神のみもとに召されたミカエルさんの葬儀ミサに集まっています。まずは、最後まで介護に尽く ... 読み続き - [Christmas 2025](https://shimonosekicatholic.org/christmas-2025/): Hope at Christmas in the Midst of Suffering When we look back at this year, we canno ... 読み続き - [細江お知らせ20251221](https://shimonosekicatholic.org/hosoe-news-20251221/): このコンテンツはパスワードで保護されています。閲覧するには以下にパスワードを入力してください。 パスワード: - [彦島週報20251221](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20251221/): 2025年12月21日 待降節第4主日 A年        彦島カトリック教会   「神は我々と共におられる ... 読み続き - [彦島週報20251214](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20251214/): 2025年12月14日 待降節第3主日 A年 彦島カトリック教会   「来るべき方は、あなたでしょうか」 マタイによる福音書11章2-11節  ・12月14日(日)・待 ... 読み続き - [細江お知らせ20251214](https://shimonosekicatholic.org/hosoe-news-20251214/): このコンテンツはパスワードで保護されています。閲覧するには以下にパスワードを入力してください。 パスワード: - [細江お知らせ20251207](https://shimonosekicatholic.org/hosoe-news-20251207/): このコンテンツはパスワードで保護されています。閲覧するには以下にパスワードを入力してください。 パスワード: - [Thanks for supporting from Hikoshima Church](https://shimonosekicatholic.org/thanks-for-supporting-from-hikoshima-church/): I feel that Hikoshima is like a home. 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【今週のメッセージ】「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なる。」(イザヤ55・8)​皆さん、神様の恵みと愛は、私たちがよくする「損得勘定」や「人間の基準での公平さ」で計ることはできません。それは、ただただ神様の限りない慈しみによるものです。今週の御言葉は、誰かと比べてねたんだり、裁いたりする心を手放して、神様の大きな恵みの世界へと私たちを招いておられます。​今週は、神様のなさる不思議なお導きに対して、心を大きく開いてみましょう。すべてが自分の思い通りになることを求めるのではなく、むしろ、足りない私たちに注がれているたくさんの恵みに、へりくだって感謝したいと思います。​そして、神様が私たちに驚くほど寛大であられるように、私たちも周りの兄弟姉妹に対して、広い心と優しさをもって接していきましょう。人間の小さな考えを超えて、神様の思いに生きていくとき、私たちは初めて、本当の平安と幸せを見つけることができるのです。  今週の分かち合い(神父の説教)はこちらです。 すべてのいのちを守るためのキリスト者の祈り - [彦島教会週報20260920](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260920/): 年間第25主日A年 彦島カトリック教会 「あなたたちもブドウ園に行きなさい」マタイによる福音書 20章 1ー16節 ・ 9月20日(日)・年間第25主日 ミサ9:00  ・祖父母と高齢者のための世界祈願日  ・留学生・実習生食糧支援 ・ 9月21日(月)・聖マタイ使徒福音記者(祝日) ・ 9月23日(水)・聖ピオ(ピエトレルチーナの)司祭(記念) ・ 9月24日(木)・ロザリオの祈り9:30 ミサ10:00  ・学習会 ・ 9月27日(日)・年間第26主日 ミサ9:00  ・世界難民移住移動者の日(献金)  ・敬老会☆敬老会が9月27日にあります。参加される方はお名前をお書きください。 ☆10月4日ミサ後霊による分かち合いを行います。 テーマは「彦島教会の現状と課題とこれからの取り組みについて」です。 参加される方は参加名簿に氏名を記入してください。 ☆彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。 食糧支援 次回 10月18日の予定です。ご支援をお願いします。 ☆2026年 9月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年( 9月) 掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。  - [今週の灯20260913](https://shimonosekicatholic.org/the-light-of-this-week-20260913/): 年間第二十四主日A年・みことばの典礼はこちら 【今週のメッセージ】心のわだかまりを手放し、すべてのいのちを守る「七回どころか、七の七十倍までも赦しなさい。」(マタイ18・22)私たちは皆、神様から何度も赦され、愛されています。いのちは限りあるものです。怒りや意地を抱えたまま生きるのではなく、身近な人を赦し、和解への一歩を踏み出しましょう。今、日本の教会では「すべてのいのちを守るための月間」を過ごしています。今年のテーマは「いのちの水」です。気候変動が進む中、下関の海や自然、そして社会の平和を守るためには、まず自分の心を整えることが大切です。心の中の怒りを赦しに変えていきましょう。心のエコロジー:心に残るわだかまりを神様に委ね、家族や周りの人に思いやりをもって接しましょう。自然のエコロジー:水や海は神様からの恵みです。未来の子どもたちのために、感謝を忘れず、無駄の少ない暮らしを心がけましょう。  今週の分かち合い(神父の説教)はこちらです。 すべてのいのちを守るためのキリスト者の祈り - [彦島教会週報20260913](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260913/): 年間第24主日A年 彦島カトリック教会   「七の七十倍までも赦しなさい」マタイによる福音書18章21ー35節 みことばの典礼はこちら神父さまの分かち合い(説教) ・ 9月13日(日)・年間第24主日 ミサ9:00 ・病者のために祈る日 ・宣教司牧評議会 ・ 9月14日(月)・十字架の称賛(祝日) ・ 9月15日(火)・悲しみの聖母マリア(記念) ・ 9月16日(水)・聖書の分かち合い19:00 ・聖コルネリオ教皇聖チプリアノ司教殉教者(記念) ・ 9月17日(木)・ロザリオの祈り9:30 ミサ10:00 ・ロクスひよりやま清掃ボランティア ・ 9月18日(金)・キッチンカーボランティア ・ 9月20日(日)・年間第25主日 ミサ9:00 ・祖父母と高齢者のための世界祈願日 ・留学生・実習生食糧支援 ☆敬老会が9月27日にあります。参加される方はお名前をお書きください。 ☆白浜司教着座10周年霊的花束の締め切りは今日までです。祈られた方はお書きください。 ☆10月4日ミサ後霊による分かち合いを行います。      テーマは「彦島教会の現状と課題とこれからの取り組みについて」です。      参加される方は参加名簿に氏名を記入してください。 ☆彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。   食糧支援 次回 10月18日の予定です。ご支援をお願いします。 ☆2026年 9月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年( 9月) 掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。  - [年間第二十四主日A年2026年](https://shimonosekicatholic.org/sunday-24-ordinary-a-2026/): みことばの典礼はこちら 「あの人のこと、もう3回も大目に見て赦したのに、また同じことをされた。もう我慢の限界だ!」 日常生活の中で、私たちはよくこんな思いを抱くことがありますよね。今日の福音で、ペトロも同じような気持ちで主イエスに尋ねました。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか?」と。 しかし、主イエスの答えはペトロの想像をはるかに超えるものでした。「七回どころか、七の七十倍までも赦しなさい」。つまり、「限りなく、何度でも赦しなさい」と言われたのです。主イエスは、一万タラントンという天文学的な借金を無条件で帳消しにされた家来のたとえ話を通して、優しく、いつくしみ深い父である神様と、私たちがその神様から「すでに、すべてを赦されている存在」であることを教えてくださいました。 今日の第一朗読、シラ書は、この「赦し」について、非常に鋭く具体的な知恵を私たちに与えてくれます。怒りや恨みを抱き続けることは、神様の御心にかなうものではありません。シラ書は、隣人の過ちを赦すなら、私たちも神様に赦しを願うことができると教えています。それなのに、私たちは「自分は人を赦さないのに、神様には自分の罪の赦しや癒しを願う」という矛盾に陥ってしまいます。この矛盾から抜け出すために、シラ書は「自分の最期を思い、敵意を捨てよ」と呼びかけています。 日本には古くから、季節の移り変わりや自然の姿の中に「いのちのはかなさ」を感じ取る豊かな文化があります。私たちは皆、いつか土に還る、もろくて弱い存在です。その短い人生を、誰かへのわだかまりや憎しみを抱え、意地を張ったまま過ごして、いったい何になるのでしょうか。 この「いのちのもろさと尊さ」に深く気づくことは、日本の司教団が今呼びかけている「すべてのいのちを守るための月間」の心そのものです。今年のテーマは「いのちの水」とされています。 ここ下関に住む私たちにとって、水や海はとても身近なものです。関門海峡の美しい流れや豊かな海の恵みは、私たちの生活をずっと支えてきてくれました。しかし今、下関では雨の少ない日が長く続く一方で、名古屋をはじめ、ほかの地域では記録的な大雨が降るなど、これまでとは違う極端な天候が各地で起きています。こうした現実を通して、いのちを支える自然のバランスが崩れつつあることを、私たちは感じずにはいられません。教皇様は今年のメッセージの中で、預言者イザヤの「剣を打ち直して鋤(すき)とせよ」という言葉を引用されました。 では、神様が与えてくださったこの「すべてのいのち」を守るために、この下関の共同体にいる私たちは、具体的に何をすべきでしょうか。 第一に、心の中のエコロジーを癒すことです。シラ書が教えるように、心に抱いている怒りや敵意を捨て、人の過ちに寛容になることです。そして、心の奥に残るわだかまりを少しずつ解きほぐしていくことです。いわば、心の中の剣を、平和と赦しのための鋤に打ち直すのです。一番身近な家族や、この教会の仲間との和解と赦しなしに、社会の平和や、下関の美しい自然環境を守ることはできません。 第二に、自然環境を守ることです。自己中心的な欲望から離れ、足るを知る感謝の生活を送ることです。自分の利益や快適さだけを求めて自然を搾取し続けることは、未来の子供たちや貧しい人々から「いのちの水」を奪うことにつながります。私たちの周りにある豊かな海も自然も、すべては神様からの贈り物であるという謙遜な心を持ち、日々の生活スタイルを少しずつ見直していくことが、今の私たちに求められています。 今日、私たちがキリストの十字架からあふれる愛と赦しを受け、まず身近な人とのわだかまりを手放し、互いに赦し合うことができますように。そして、神様から託された「いのちの水」とすべてのいのちを大切にし、家庭や教会、日々の暮らしの中で、平和をつくる小さな一歩を重ねていくことができますように。アーメン。 - [今週の灯20260906](https://shimonosekicatholic.org/the-light-of-this-week-20260906/): 年間第二十三主日A年・みことばの典礼はこちら 【今週のメッセージ】一人ではなく、共に育む信仰「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる。」(マタイ18:20)私たちのキリスト教の信仰は、決して一人ぼっちでは成り立ちません。家族、友人、そして小教区という「共同体」の中で、互いに支え合うことで初めて芽生え、育まれていくものです。考え方や立場が違っても、キリストの名によって集まり、和解し、共に歩む姿を世に示すとき、そこにイエス様の光が輝きます。信仰は、教会の中だけで完結するものではなく、社会の様々な人と繋がり合うことでさらに豊かになっていくのです。共同体の交わりを大切にする: 完璧さを求めるのではなく、教会や地域社会の様々な人々と繋がり、互いの豊かさを分かち合いましょう。離れている人を祈りで支える: 今、何らかの理由で教会から足が遠のいている人たちのために祈り、日常の関わりの中で温かい繋がりを保ち続けましょう。 今週の分かち合い(神父の説教)はこちらです。 すべてのいのちを守るためのキリスト者の祈り - [年間第二十三主日A年・細江・酒井神父](https://shimonosekicatholic.org/sunday-23-ordinary-a-hosoe-fr-sakai/): みことばの典礼はこちら  今読まれたこの福音の最後の箇所、二人または人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるという、このイエスの言葉を少し味わい、分かち合いたいと思います。  私は昨日まで上智大学のカトリック学生の会という、– 多くが信者ですが、その学生のグループ名と共に、この山口県の巡礼を行ってきました。山口教会から始まり、そして萩、津和野、そして昨日は最終日、下関と。山口県にはこのように巡礼地となる場所がいっぱいあるんだということをですね、彼らと一緒に分かち合っていったわけです。そしてそこで本当に霊的な宗教的な体験というものが彼らの中にあったと思うし、何よりも一緒に旅をする巡礼路を歩むこの仲間たちと彼らがいて、私もそこにいて、分かち合い、そして同じ主を賛美するという特別な経験をしました。  このことからも言えるように、やはり私たちの信仰というのは、一人ぼっちでは何もできないんです。 一人ぼっちでは、キリスト教– キリストへの信仰というものはきっと成り立たないんだと思います。キリストへの信仰は必ず共同体がいる、仲間がいる。その仲間や共同体の形態が家族であったり、夫婦であったり、親子であったり、仲間同士、友人同士であったり、信じる者の仲間、小教区であったり、教会という大きなものであったり、どのような形でも– であれ、キリストへの信仰は決して一人で育んで、一人で終わる、終止するものではない。  それはきっとキリスト教の信仰でなくなってしまうんですよね。私たちの信仰は必ず仲間、共同体、共に心を合わせ支え合う人たちがいて、初めてそこに生まれて、そして育っていくんだということなんです。  例えば、今日ここに私と一緒に巡礼をした大学生というね、上智大学の年生がいます。彼は上智大学に入った時には、もちろん彼はミッション校の大阪のミッション校の卒業生だったんですが、信仰を持ってなかったんです。でも、上智大学に入り、信仰を持っている仲間たちと出会い、そしてカトリック学生の会に入り、そこで学びを通して色々なことを考えながら、いつの日か洗礼を受けたいなと思ってくれたようです。  そしてちょうど去年、ローマのイグナチオの、あの、足取りをこの歩む巡礼というのが私たち企画した時に、彼はそこに参加してくれて、そしてそのちょっと前に自分は洗礼を受けたいんだと表明してくれたので、ま、ローマのイグナチオの小さな部屋でこの入門式を行いました。それから私ともう一人の仲間の神父とで、この彼と、ま、彼だけではないんですが、他に数名の洗礼を受けたいという学生たちとの勉強会をしていったんです。それを支えたのは、彼のこの同級生たちであり、カトリックし–、学生の会の仲間たちであり、そして私たちもそれを受け止めて信仰を分かち合っていた。そして、今年の月の、えー、復活祭の時に、故郷である大阪の堺教会で洗礼を受けたんですよね。そこもまた彼を受け止めてくれる共同体があったんだ。  もちろん、彼を準備してくれたその小学校の学校、小学校のミッションスクール、そして中高のミッションスクール、上智大学、彼が出会った仲間たちがいて、今がいる。そしてきっとこれからもそれがあるんだろうと思います。 ですから、信仰というのはそのような形で必ず私たちは仲間の中で生まれてくるんだということを一つ、忘れないでいたいなと思います。  だからこそ、小教区共同体というのは、やはり共に信じる仲間たちが集まっているんだ。それぞれの家庭の事情も違うし、それぞれの、置かれている立場も違うし、もしかしたら考え方も違うし、祈り方も違うかもしれない。それでも、小教区共同体は、やはりキリストの名において集まった人、そして名簿上は名、名いるわけですよね。その仲間たちなんです。  その中でこそ、いや、その中でしか信仰というものは育まれないし、その中で育まれた信仰を世の中に、社会に分かち合っていくしかないんです。ここで力を得て、私たちがイエスの力強さとか素晴らしさを社会に、世の中に、まだそれを聞いてない人たちに分かち合っていく。別にそれは辻説法しなさいということではなくて、私たちがこの共同体として本当に一致していく、共に歩んでいく、支え合っていく、和解していくということをこの世の中に見せる時に、私たちがこの集まりが、集いが、イエスの名によって集まる人たちのこの違い、喜び、明るさ、光、それを世に知らしていくことができると思うし、また私たちは世の中にあるいろいろな人々や考え方とつながっていき、そこでイエスの信仰というものをさらに豊かにしていくことができるんです。  だから、私たちが完全で完璧で、もう他にのから学ぶ必要がないわけではなくて、他の人たちや、またこの国、この社会、この世界いろんなあり方とか考え方とつながっていく。そこに福音の種を見つけていくということで、私たちはもっとお互いに豊かになっていくんだ。このことが一つ言えるかと思います。そしてもう点は、同じようにこの信仰が人っきりじゃ決して育たないということの点からですね、分かち合うと、もしかしたら今教会から離れている人がいるかもしれない。距離を取っている人がいるかもしれない。何らかの理由で。人それぞれです。  でも、その人たちもまた、誰かによる支えを必要としているんです。その人が教会に来れない分、教会に来れる人がその人のために共に心を合わせて祈ることができるし、また教会とか小教区という場だけではなく、その人の本当にプライベートの関わりの中で支えていくとか、関わっていくとか、信じる人たちにつながっていくことができるとか、または教会と関係がない人たちとの関わりもあるかもしれない。そのつながりをしっかりと持っていくしか、この私たちがイエスの信仰をつないでいくということができないんだということです。  私たちの信仰は、一人っきりじゃ、一人ぼっちじゃ絶対に育っていかない。家族、友人、仲間たち、同じ信じるを生きる人たち、そしてこの社会の人たち、この世の中、この地域に住む人たちとの関わりの中で育っていくんだということを今日大切にしたいと思います。 - [彦島教会週報20260906](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260906/): 年間第23主日A年 彦島カトリック教会   「あなたがたが地上でつなぐことは・・・」マタイによる福音書18章15ー20節みことばの典礼はこちら ・ 9月 6日(日)・年間第23主日 ミサ9:00            ・被造物を大切にする世界祈願日            ・ヨゼフ祭(バザー)準備委員会 ・ 9月 8日(火)・聖母マリアの誕生(祝日)            ・下関協働体委員会(細江) ・ 9月 9日(水)・聖書の分かち合い19:00 ・ 9月10日(木)・ロザリオの祈り9:30 ミサ10:00            ・福者セバスチャン木村司祭と204殉教者(記念)            ・学習会 ・ 9月13日(日)・年間第24主日 ミサ9:00            ・病者のために祈る日            ・宣教司牧評議会 ☆彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。                 食糧支援 次回 9月20日の予定です。ご支援をお願いします。 ☆ポストのものは必ずお持ち帰りください。溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。            これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆2026年 9月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年( 9月) 掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。 - [Pope Intention 202609](https://shimonosekicatholic.org/pope-intention-202609/): 9月の教皇の意向 教皇の意向:水資源への配慮重要な水資源が適切かつ持続可能に管理されて、すべての人が公平にその恩恵にあずかることができますように。 日本の教会の意向:難民移住移動者難民、移住者、移動者のために祈ります。彼らが地球上のどこにいても、神に愛された者として、基本的人権や人間の尊厳が守られますように。 ⛪ 今月の祈りと教皇のビデオはこちら - [今週の灯20260831](https://shimonosekicatholic.org/the-light-of-this-week-20260831/): 年間第二十二主日A年・みことばの典礼はこちら 【​今週のメッセージ】「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(マタイ16:24)主が仰る「自分の十字架」とは、病気や人間関係の悩みなど、私たちが望まない人生の重荷のことです。しかし、忘れないでください。キリスト者は決して一人で十字架を背負うのではありません。主イエスがいつも隣で一緒に担ってくださっています。自分の利益を手放し、愛のために少し自分をすり減らすとき、私たちは主の救いのみ業に参加し、本当の豊かさを生きることができるのです。【​今週の実践】小さな十字架をお捧げする: 思い通りにならないことや摩擦があっても、怒りで自分を守るのではなく、それを「小さな十字架」として微笑みとともに主にお捧げしましょう。愛を広げる祈り: 自分の殻から抜け出し、病床にある子ども、そしてネパールの土砂崩れで被災された方々など、苦しみの中にある兄弟姉妹のために祈りの時間を持ちましょう。 今週の分かち合い(神父の説教)はこちらです。 すべてのいのちを守るためのキリスト者の祈り - [年間第22主日2026細江](https://shimonosekicatholic.org/sunday-22-ordinay-a-2026-hosoe-momose/): 2026年8月30日(細江) みことばの典礼はこちらです。 説教(百瀬文晃神父)  今日の福音は、先週に続いてマタイの第16章からです。主は御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と打ち明けられます。これを聞いてペトロは、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」と、大反対します。ところが、主は厳しくペトロを叱ります。「サタン、引き下がれ。・あなたは私の邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」  かわいそうなペトロですね。確かにペトロはまだ何もわかっていなかったのでしょう。弟子たちが主イエスの十字架こそ私たちの救いだったのだと知るのは、主イエスの復活というできごとを体験して初めてわかったのです。しかし、主がこれほど厳しく叱ったのは、あくまでも天の父の御心を追い求めるイエスにとっても、サタンの大きな誘惑だったからではないでしょうか。  私たちだったら、どうでしょう。自分の愛する人が余命まもないと知らされたら、「とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」と言うのではないでしょうか。(私の知人で、今はもう90歳になる方ですが、子どもたちがまだ小さいとき、自分が不治の病いにおかされて、あと数か月の命と診断されたそうです。そのとき彼女は、「主よ、あなたがお呼びになっても、私は行きません。この子たちを残しては行けません」と必死になって祈ったそうです。さいわい、神さまは彼女の祈りをお聞きいれになって、奇跡的に治療が成功して、まだご存命中です。)  「神のことを思わず、人間のことを思ってしまう」というのは、私たち弱い人間には仕方がないというか、むしろ当然でしょう。神さまはそれもご存じです。ときには、神さまのお望みがどこにあるのか、私たちにはわからないことがしばしばです。  しかし、福音書の読み方を心得ておかなければなりません。イエスの在世時には、十字架とはローマ帝国が謀反を起こす者に課した恐ろしい刑罰でした。だから、「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」という言葉は、文字通りにそのときの主のお言葉ではないでしょう。弟子たちが主イエスの復活を通して信仰を与えられて、「十字架」を救いのシンボルとするようになった後に、改めて伝えた言葉なのでしょう。主イエスが十字架の上で私たちの罪とその結果である死の宿命を担ってくださったこと、それによって私たちにいのちがもたらされたこと、これを理解した弟子たちがイエスの言葉の真意を改めて言い伝えて、福音書に記され  たのです。  「自分の十字架」とは、自分が望まないのに他から負わされた重荷と苦しみのことです。自分や家族の健康のこと、仕事のこと、人間関係のこと、私たちの人生にそのような苦しみは避けられません。しかしキリスト者は、それが決して自分一人で背負う苦しみではないことを知っています。主キリストが一緒に担ってくださるということ、また自分の苦しみは主キリストが私たちの救いのためにささげてくださった苦しみへの参与であることを知っています。  主イエスは、今日も私たちにおっしゃいます。「わたしに従いなさい。」主キリストに従うこと、主とともに、世界の苦しんでいる人々のために祈ること。自分にできることを捧げることが呼びかけられています。 - [人は、たとえ全世界を手に入れても](https://shimonosekicatholic.org/sunday-22-ordinary-a-2026-hikoshima/): 年間第二十二主日A年、彦島教会のミサ説教。 みことばの典礼はこちらです。  皆さん、まずは素晴らしい喜びの恵みを皆さんと分かち合いたいと思います。先日、私たちのある姉妹のお母様が洗礼と堅信の秘跡を受けられました。新しい命に生まれ変わったお母様とその姉妹のご家族に、神様の豊かな祝福がありますように、共同体として心から感謝の祈りを捧げましょう。  さて、今日の福音の中で、主イエスは私たち一人ひとりの心に深く響く問いを語りかけておられます。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」  約500年前、このみ言葉は野心に満ちた一人の青年の心に火をつけ、その人生を大きく変えました。その青年こそ、イエズス会の兄弟、聖フランシスコ・ザビエルです。パリで学んでいたころ、聖イグナチオはこのみ言葉をザビエルに何度も繰り返し聞かせました。やがてザビエルは深く心を動かされ、この言葉に導かれて、自分の人生を神へと向け始めたのです。このみ言葉に心を動かされたザビエルは、深く悩み抜いた末に、ヨーロッパでの栄誉や安定を手放しました。そして嵐や危険を恐れず極東へ渡り、この日本に福音の種を蒔いてくれたのです。  ザビエルだけではありません。古くは第一朗読の預言者エレミヤや、第二朗読の使徒パウロも、同じように神様の言葉の火に焼かれた人々でした。エレミヤは人々に嘲笑され、「もう神様のことは語るまい」と逃げ出したくなりました。しかし、み言葉が骨の髄で燃える火のようになり、どうしても黙っていることができなかったのです。神様の愛が、彼の恐れに打ち勝ったのですね。  しかし皆さん、なぜ自分の命を失わなければならないのでしょうか? 主イエスは「自分の命を救おうとする者は、それを失う」と言われます。  少し矛盾しているように、逆説的に聞こえるかもしれませんね。しかし、これこそが人生において最も重要な選択なのです。本当の幸せや豊かな命というのは、財産をどれだけかき集めるか、あるいは自分の「エゴ」やプライドをどれだけ守るかにあるのではありません。自分の「エゴ」が大きくなればなるほど、私たちの心は狭く、息苦しくなってしまいます。  主イエスが示してくださった道は真理・愛・十字架・救い・いのちの道です。それは、利己心から一歩踏み出し、神様のため、そして隣人のために、あえて自分が少し損をすること、少し自分をすり減らすこと。十字架上で命を捧げられた主イエスのように愛すること。その時に初めて、私たちは最も豊かに「生きる」ことができるのです。  そして、私たちの共同体として、今日も引き続き、病床にある小さなあの子どものために祈りましょう。その子が一日も早く回復し、ご家族に神様の慰めと平安が与えられますように。  さらに、今この瞬間も、世界各地で自然災害や戦争によって苦しみの中にある兄弟姉妹のためにも祈りを合わせたいと思います。特に、数日の間にネパールや周辺地域で発生した大規模な土砂崩れによって、多くの方々が命を落とし、悲しみと絶望の中にあります。犠牲になられた方々の永遠の安息と、傷ついた人々への慰め、そして速やかな救済を祈り求めましょう。  「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」  今日、み言葉の火が私たちの心にも灯され、勇気を持って愛と奉仕の道を歩んでいくことができますように。アーメン。 - [20260830彦島教会週報](https://shimonosekicatholic.org/20260830-hikoshima-news/): 年間第22主日A年  彦島カトリック教会   「たとえ全世界を手に入れても・・・」マタイによる福音書16章21ー27節みことばの典礼はこちら神父様の説教 ・ 8月30日(日)・年間第22主日 ミサ9:00 ・ 9月 1日(火)・すべてのいのちを守るための月間 ・ 9月 2日(水)・聖書の分かち合い19:00 ・ 9月 3日(木)・ロザリオの祈り9:30 ミサ10:00            ・聖大グレゴリオ教皇教会博士(記念)            ・ヨゼフカフェ ・ 9月 5日(土)・信徒養成講座(長府) ・ 9月 6日(日)・年間第23主日 ミサ9:00            ・被造物を大切にする世界祈願日            ・ヨゼフ祭(バザー)準備委員会☆彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。                 食糧支援 次回 9月20日の予定です。ご支援をお願いします。 ☆ポストのものは必ずお持ち帰りください。溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。            これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆2026年 9月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年( 9月) 掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。  - [「愛の奉仕」](https://shimonosekicatholic.org/sunday-21-ordinary-a-hikoshima-2026/): 年間第二十一主日A年 みことばの典礼はこちら 彦島教会での分かち合い  今日の福音書の中で、主イエスは弟子たちにとても大切な質問をされました。「人々は私のことを誰だと言っているか」、そして「あなたがたは、私を何者だと言うか」と。この問いに対して、ペトロは弟子たちを代表して「あなたはメシア、生ける神の子です」と、見事に信仰を言い表しました。この素晴らしい答えを聞いた主イエスは、ペトロを「岩(教会の土台)」とし、彼に「天の国の鍵」をお与えになりました。つまり、ペトロと教会に大きな権威をお任せになったのです。  しかし皆さん、ここで少し立ち止まって考えてみましょう。主イエスが教会に、そして弟子たちに与えられたこの「権威」や「立場」とは、一体何のためにあるのでしょうか。  この世の社会では、上の立場に立つこと、権力を持つことは、しばしば「人に命令するため」や「自分が偉くなるため」に使われます。しかし、神様の国では全く逆です。主イエスご自身が「人の子は仕えられるためではなく、仕えるために来た」と仰ったように、キリストの弟子に与えられるあらゆる立場や権威は、すべて「神様と人々に仕えるため」にあります。  主イエスに従う道、それは決して楽な道ではありません。自分の時間、自分の体力、時には自分のお金や欲求を犠牲にして、他者のために愛をもって奉仕する道です。それこそが、キリストの弟子としての本当の生き方なのです。  私はこの「喜んで仕える」という美しい弟子の姿を、昨日、この下関の3教会の皆さんの中に、はっきりと見ることができました。昨日は下関市役所前での馬関まつり「愛のひろば」に、みんなで力を合わせて参加しましたね。  大変な暑さの中でしたが、彦島教会の皆さんは一生懸命に美味しいチヂミを焼いてくださいました。私とベトナムの青年たちは一緒にかき氷を作り、子ども会のみんなは風船釣りなどをして、お祭りを盛り上げてくれました。準備から片付けまで、本当に多くの労力と犠牲が必要だったと思います。しかし、皆さんのその素晴らしい奉仕の精神のおかげで、地域の方々や子どもたちに、たくさんの笑顔と喜びを届けることができたと思います。無事に修了できたことを神様に感謝するとともに、皆さんの美しい愛の行動に、心から「ありがとうございます」とお伝えしたいです。これこそが、まさに主イエスの後に続く弟子の姿です。  さらに、皆さんの「仕える愛」は、下関の地域にとどまらず、海を越えてベトナムの貧しい子どもたちにも届いています。今年も「マココの会」の皆様から、ベトナムの子どもたちが学校に通い続けるための支援として、20万円という多額のご寄付をいただきました。  今年は残念ながら4名の子どもが学校を辞めてしまいましたが、新たに6名の子どもをプログラムに迎え入れることができました。その結果、昨年よりも2名増えて、合計24名の子どもたちを支援できるようになりました。遠く離れた顔も知らない子どもたちのために、自分たちの生活の中から犠牲を払って支援してくださる皆様の寛大な心に、子どもたちに代わって深く感謝申し上げます。  そして最後に、「祈り」という奉仕についてお話ししたいと思います。私たちは行動やお金だけでなく、祈りを通しても、最も深いところで兄弟姉妹に仕えることができます。  彦島教会のある女の子のために、引き続き熱心に祈りましょう。皆様の祈りのおかげで、この子の心臓の手術は無事に成功しました。しかし、現在もまだ昏睡状態が続いています。ご家族の不安や悲しみを思うと、胸が締め付けられるようです。  私たちは決して一人ではありません。私たちが祈る時、私たちは霊的にこの子の病室に共にいて、彼女の手を握り、ご家族の肩を抱きしめているのです。この子が一日も早く目を覚まし、元気に回復するように。そして、ご家族に神様からの特別な慰めと力、平安が与えられるように、私たちの祈りという「愛の奉仕」をどうか止めないでください。  兄弟姉妹の皆さん、「主イエスは私にとって誰ですか?」という今日の福音書の問いかけに、私たちは言葉だけで答えるのではありません。昨日の馬関まつりでの奉仕のように、マココの会の支援のように、そしてあの子への祈りのように、日々の「具体的な愛と犠牲の行動」を通して、主イエスにお答えしていきましょう。  これからも神様が、皆さんの上に豊かな祝福を注ぎ、その愛の内に守り導いてくださいますように。私たちがいつまでも、主イエスの愛される弟子であり続けることができますように。アーメン。 - [今週の灯20260823](https://shimonosekicatholic.org/the-light-of-this-week-20260823/): 年間第二十一主日A年・みことばの典礼はこちら 【​今週のメッセージ】「仕える愛を生きる】主イエスは私たちに、「仕えられるためではなく、仕えるために」という弟子の本当の生き方を示されました。 私たちの信仰は、決して言葉だけで終わるものではありません。地域の活動に喜びをもって参加し汗を流すこと。 遠く離れた貧しい子どもたちのために、自分の生活から犠牲を払って支援すること。 そして、病気や困難の中で苦しんでいる兄弟姉妹のために、心を一つにして祈り続けること。これらすべてが、キリストの弟子としての美しい「愛の奉仕」です。 今週、「主イエスは私にとって誰ですか?」という主の問いかけに、私たちも日々の具体的な愛と奉仕の行動を通して答えていきましょう。  今週の分かち合い(神父の説教)はこちらです。 - [彦島教会の週報20260823](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260823/): 年間第21主日A年  彦島カトリック教会   「あなたはメシア、生ける神の子です」 マタイによる福音書16章13ー20節  みことばの典礼はこちら神父様の説教 ・ 8月23日(日)年間第21主日ミサ9:00 ・ 8月24日(月)聖バルトロマイ使徒(祝日) ・ 8月27日(木)ロザリオの祈り9:30ミサ10:00 ・聖モニカ(記念) ・ 8月28日(金)聖アウグスティヌス司教教会博士(記念) ・ 8月29日(土)洗礼者聖ヨハネの殉教(記念) ・ 8月30日(日)年間第22主日 ミサ9:00 ☆ 9月21日広島教区の日(広島)参加申込用紙に記入して下さい。 締め切りは8月23日です。 ☆ 彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。  食糧支援 次回 9月20日の予定です。ご支援をお願いします。 ☆ ポストのものは必ずお持ち帰りください。 溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。  これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆ 2026年 8月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆ 広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年(8月)  掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。  - [20260816今週の灯](https://shimonosekicatholic.org/20260816-the-light-of-this-week/): 年間第二十主日A年・みことばの典礼はこちら 【​今週のメッセージ】「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」​私たちの新しい聖堂が「すべての民の祈りの家」として開かれている恵みに感謝し、カナンの女性のような強い信仰と謙遜な心を持ちましょう。今週は、自分の中にある偏見の壁を取り払い、教会を訪れるすべての人をキリストの愛で温かく迎え入れる「心の聖堂」を建て上げるとともに、日々の祈りと小さな犠牲を通して、目に見える教会の歩みを共に支え合う一週間にしましょう。  今週の分かち合い(神父の説教)はこちらです。 - [わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる](https://shimonosekicatholic.org/sunday-20-ordinary-2026-hosoe/): 年間第二十主日A年・細江 みことばの典礼はこちら  皆さん、最近の私たちの教会にとって、いちばん大きな喜びは、新しい聖堂が無事に完成し、献堂されたことではないでしょうか。もちろん、喜びと同時に、借入金の返済という重荷もまだ残っています。しかし、この聖堂で日々起こっていることを見ると、これまでの犠牲や苦労は決して無駄ではなかったと感じます。  この聖堂は、私たちの教会だけの誇りではなく、教会全体の喜びです。今日の第一朗読でイザヤが語る、「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」という言葉が、ここで少しずつ実現しているからです。  今週のみことばは、私たちが「外の人」と思っている人々を、どのような目で見ているのかを問いかけます。福音では、主イエスとカナンの女性との出会いが語られます。彼女はユダヤ人から見れば異邦人であり、悪霊に苦しむ娘を抱え、切実な思いで主イエスのもとに来ました。  はじめの主イエスと弟子たちの態度を見ると、そこには一つの壁があるように感じられます。弟子たちは、「あの人を追い払ってください」と言い、主イエスも当時のユダヤ人の考え方を映すように、「子どもたちのパンを取って、小犬にやってはいけない」と、とても冷たくて厳しい言葉を口にされます。  けれども、その壁は、この母親のへりくだった心と強い信仰の前に崩れていきます。彼女は怒ることも、あきらめることもせず、「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパンくずはいただくのです」と願います。その信仰に、主イエスは「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」とお答えになります。  主イエスは、この出来事を通して次のように弟子たちと私たちに教えてくださいます。神様の愛と救いは、一つの国や民族、宗教的な境界の中だけに閉じ込められるものではありません。神様は、ご自分を求めるすべての人に、いつも腕を広げておられるのです。  皆さん、このカナンの女性の話は、決して遠い昔の出来事ではありません。今、私たちの教会で、この新しい聖堂の中で、同じようなことが起こっています。  聖堂が献堂されてから、多くの人がここに足を運んでいます。遠くから来られる信者の方々だけではありません。長い間、秘跡から離れていた方が訪れて祈ることもあり、幼稚園の先生方や子どもたちが、行事の折に神様に感謝し、平和を願って祈りに来ることもあります。  さらに、まだキリストを知らない方々がここに来てくださることは、イザヤの言葉をより生き生きと感じさせます。ある未信者の男性は、ほとんど毎日のように自転車で来て、静かに聖堂で祈っていかれます。その姿は、平安やいやしを求め、神様のあわれみの「パンくず」のような恵みを願う、現代のカナンの女性の姿にも重なります。私たちの聖堂は、まさに、すべての民の祈りの家になりつつあります。  この恵みと課題を前にして、今日のみことばは、私たちの教会に二つのことを呼びかけています。  今日のミサを通して、主がカナンの女性のような信仰を私たちのうちに強めてくださいますように。そして、私たちの努力と犠牲を祝福し、この聖堂と私たち一人ひとりの生き方を通して、多くの人が神様の救いの近さに気づくことができますように。アーメン。 - [彦島教会の週報20260816](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260816/): 年間第20主日 A年  彦島カトリック教会   「あなたの願いどおりになるように」 マタイによる福音書15章21ー28節 みことばの典礼はこちら ♰ 8月16日(日)年間第20主日 ミサ9:00 ・留学生・実習生食糧支援 ♰ 8月20日(木)ロザリオの祈り9:30          ミサ10:00 ・聖ベルナルド修道院長教会博士(記念) ♰ 8月21日(金)聖ピオ十世教皇(記念) ・キッチンカーボランティア ♰ 8月22日(土)天の皇后聖母マリア(記念) ・馬関まつり出店 ♰ 8月23日(日)年間第21主日 ミサ9:00 ☆9月21日広島教区の日(広島)参加申込用紙に記入して下さい。 締め切りは8月23日です。 ☆彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。 食糧支援 次回9月20日の予定です。ご支援をお願いします。 ☆ポストのものは必ずお持ち帰りください。 溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。  これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆2026年 8月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年( 8月) 掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。  - [260815 聖母マリアの被昇天の祝日(細江)](https://shimonosekicatholic.org/20260815-assumption-hosoe-momose/): みことばの典礼はこちら 説教(百瀬文晃)  聖母被昇天の教義は、1950年にピオ12世によって宣言されました。第2次世界大戦直後の荒廃した世界に、被造物の救い、新しい創造を告げるものでした。  ときどきプロテスタントのキリスト者たちから、カトリック教会が聖書に書いてないことも教義に定めると批判されることがあります。しかし、教義とは教会が勝手に決めるものではなく、聖書に明言されていなくても含蓄的に言われていることを明確にするにすぎません。  聖母マリアの被昇天とは、主キリストの死と復活を通して救われた者が主キリストの復活と昇天の栄光に参与すること、聖母マリアにおいてその救いが美しく実っていることを言います。聖母マリアはその生涯を通して、主キリストの救いの業に参与された方であり、イエス・キリストによる救いの第一番の実りです。  そして、聖母マリアの被昇天は、私たちもまたその栄光にあずかることを約束するものでもあります。現代もなお傷ついている世界、人間の欲望によって破壊された大地が癒され、新しくされることを約束するものです。パウロが言うように、被造物は虚無に服し、滅びに隷属させられて共にうめいています(ロマ8・18-24)。しかし、聖母マリアの被昇天は、この全被造物が栄光に輝く神の子らの自由と体の贖いにあずかるという約束を示しています。  1945年、終戦のとき、私は5歳の少年で、その翌年は小学校にあがりました。しかし、家のまわりは一面焼け野原で、生活に必要な物もろくになく、心身ともに荒廃した社会の中で、多くの子どもたちはバラックのような仮小屋から学校に通っていました。さいわい私の家は父が守って、焼け残っていたのですが、その理由で私はいじめの対象になりました。毎日のように学校では、いじめっ子たちが待ち構えていて、私を地面に押さえつけ、服を脱がし、下品ないたずらをしました。先生たちは見て見ぬふりをし、家に帰って親に訴えましたが、親は5人の子どもたちを養うだけで精一杯でした。私は痩せて小さく、抵抗する力もなく、ただ深い心の傷が残って、大人になっても人との交わりが上手にできず、内向的な性格は治らず、少年時代の暗い影を引きずっていました。そのような中でも救いだったのは、5人の子どもたちを何とか育てあげた母の強さとやさしさでした。体の弱かった私は兄弟の中でいちばん大切にされました。  それで、私にとって被昇天の聖母は、終戦後の暗い思い出とともに、決まって母の記憶と重なりました。聖母は教会の母であり、暗く闇に沈む子らを忘れることなく、やさしく励まし、力づけてくださる方です。今日、聖母マリアの被昇天の祝日にあたり、とくに戦乱の中にいる人々、病いと障害を負っている人々、社会の隅に追いやられている人々のために、聖母の慰めと励ましをお祈りしましょう。  猛暑の続くこの頃、加齢とともに、生きるためにしなければならないこと、たとえば買い物にでかけることも、つらく感じられます。皆さまはどうでしょうか。もしそうであれば、この一歩、一歩が神さまのくださった命を大切にする一歩であり、神さまはそれを喜んでくださることを思い起しましょう。今日の福音書にあるように、聖母マリアが喜んでお手伝いするためにエリザベトを訪ねて旅をしたように、喜んで神さまにお仕えする恵みを願いましょう。聖母マリアがそのときに歌ったとされる聖母賛歌は、聖母の心からあふれでる喜びの言葉です。聖母の取り次ぎによって、心の奥深くに、神さまにお仕えする者の喜びをいただけるように、お祈りしましょう。アーメン。 - [聖ラウレンチオ助祭殉教者から学ぶ](https://shimonosekicatholic.org/sharing-on-the-feast-of-st-laurenzo/): 聖アウグスティヌスの説教  今日、ローマ教会は聖ラウレンチオの勝利を祝います。彼は激しく襲いかかるこの世を踏みしめ、甘い誘惑を退けました。悪しき者は彼を二度も攻撃しましたが、どちらも失敗に終わりました。ローマ教会で助祭として奉仕し、キリストの尊い御血に仕え、そしてキリストの名のために自らの血を流した人――それが聖ラウレンチオです。聖ヨハネは「イエスは、わたしたちのために命を捨ててくださいました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです」と語っていますが、ラウレンチオはこの言葉を深く理解し、実際に生き抜きました。主がご自身を食卓で与えてくださったように、彼もまた自らの命を他者のために捧げました。生きているときにはキリストを愛し、死に際してはキリストにならって自らを捧げたのです。  では、私たちはどうでしょうか。もし心から主を愛するなら、私たちもキリストを模範として歩むべきです。キリストは私たちのために苦しみ、その生き方を「あなたがたも従いなさい」と示してくださいました。殉教者たちはキリストに従い、血を流し、苦しみを受けましたが、キリストに従うのは殉教者だけではありません。主の庭にはさまざまな花があります。殉教のバラだけでなく、純潔のユリ、夫婦の忠実を表すツタ、そして寡婦の紫の花もあります。どんな人でも、どんな立場でも、自分の召命に絶望する必要はありません。キリストはすべての人のために苦しみ、すべての人が救われることを望んでおられるからです。  私たちは殉教の危険にさらされていなくても、キリストに従う道は常にあります。聖パウロは「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」と語ります。キリストはご自分を低くし、従順になられました。では、私たちはどうでしょうか。キリストがへりくだられたのに、私たちが高ぶることがあってよいでしょうか。キリストは死を打ち破り、天に昇られました。私たちもその後を歩むよう招かれています。  聖パウロはさらに「上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが神の右に座しておられます」と語ります。私たちが地上のことだけに心を奪われるのではなく、キリストが導いてくださる天の国を見つめながら歩むとき、私たちの人生はキリストの光に照らされ、真の意味で実り豊かなものとなります。聖ラウレンチオの生き方は、キリストに倣うとはどういうことかを私たちに示しています。私たちもそれぞれの生活の中で、自分に与えられた召命の花を咲かせながら、キリストに従って歩んでいきましょう。 私自身のコメント  ヨハネによる福音書12章24節には、「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままである。しかし、死ねば多くの実を結ぶ」とあります。夏が近づくと、スーパーには色とりどりの野菜や果物が並び、季節の恵みを感じます。最近、私は小さな楽しみを見つけました。種をまき、野菜を育てることです。小さな種を土にまくと、毎日少しずつ芽が伸びていきます。その姿を見るたびに心が温かくなり、自分の手で世話をし、その命が育ち、やがて実を結ぶという経験は、言葉では言い尽くせない深い喜びを与えてくれます。しかし、植物が育つためには、まず種そのものが生きていることが必要です。そして私はふと考えました。神さまが私の人生にまいてくださった種は、ちゃんと育っているのだろうか。私は良い種になれているのだろうか。  今日、教会は聖ラウレンチオ助祭・殉教者を記念します。彼は三世紀に生き、すべてを神にささげた人でした。スペインの信仰深い家庭に生まれ、ローマへ渡り、学び、教会に奉仕し、その誠実な生き方が認められ、教皇シクストゥス二世によりローマ教会の七人の助祭の一人に選ばれました。しかし、皇帝ウァレリアヌスの迫害が始まり、教皇と助祭たちは捕らえられ、死刑を宣告されました。教皇が連れ去られる姿を見て、ラウレンチオは深い悲しみに包まれましたが、教皇は彼に「数日のうちに、あなたも私の後に続くことになるでしょう」と告げました。その言葉を聞いたラウレンチオは、自分の時が来たことを悟り、教会の財産をすべて貧しい人、病気の人、弱い人たちに分け与えました。  当時、ローマの総督は教会が莫大な財宝を隠していると思い込み、ラウレンチオに財産を差し出すよう命じました。ラウレンチオは少し時間を求めましたが、彼が集めたのは金銀ではなく、ローマ中を歩き回って集めた貧しい人、病気の人、見捨てられた人たちでした。そして総督の前に彼らを連れて行き、「これこそが教会の宝です」と言いました。世の中が「財産」と呼ぶものを教会は宝とは呼ばず、世の中が「重荷」と呼ぶ人々を教会は宝として抱きしめます。ラウレンチオは、この世が奪うことのできない宝を選んだ人でした。  迫害者は彼を苦しめ、キリストを否定させようとしましたが、ラウレンチオは苦しみそのものを信仰の証しに変えました。聖アウグスティヌスは、ラウレンチオの勝利について「彼は激しいこの世を踏みしめ、甘い誘惑を退けた」と語ります。迫害者はラウレンチオを殺して彼の人生を終わらせようとしましたが、彼の死はかえって神の栄光を告げ知らせる声となり、世代を越えて響き続けています。ラウレンチオは自分の力で勝ったのではなく、どんな試練の中でもキリストを失わなかったから勝利したのです。  今日の私たちの迫害は、必ずしも命を奪う形ではありません。私たちは今、AI時代の静かな迫害の中に生きています。剣や拷問ではなく、「小さな妥協」という形で信仰が試されます。日本の社会では「迷惑をかけたくない」「評価が気になる」「目立ちたくない」という文化が強く、その中で私たちはつい「心の中で信じていれば十分だ」と思ってしまいます。しかし、信仰は個人的なものですが、決して個人だけのものではありません。一粒の麦が土の中に閉じこもっていたら、いつまでも一粒のままです。死んで、芽を出し、実を結んでこそ、他の人にも命を与えることができます。  私たちを神から遠ざけるのは、大きな罪ではなく、小さな妥協の積み重ねかもしれません。十字架のしるしをためらう、自分がカトリックだと言えない、助けを求める人を見ても「迷惑かな」と思って黙ってしまう、自分の快適さを優先して奉仕を後回しにする――一つひとつは小さなことですが、繰り返されると信仰の種は土の中で眠ったままになります。私たちは未来のこと、仕事、お金、生活の安定を心配します。それは悪いことではありません。しかし、もし人生の中心がこの世の蓄えだけになってしまうなら、立ち止まって「私の宝は何だろう」と考える必要があります。明日の心配は大切ですが、その先にはもっと長い旅路があります。それは神のもとへ帰る旅です。  聖ラウレンチオは、教会の宝を問われたとき貧しい人々を指し示し、命を守れと言われたときその命をキリストにささげ、死を前にしたとき何も失いませんでした。彼の宝はこの世が奪えるものではなかったからです。ラウレンチオはまさに地に落ちた一粒の麦でした。死んで、多くの実を結びました。そして神さまは、同じ種を私たち一人ひとりにもまいておられます。  聖ラウレンチオ、私たちのために祈ってください。恐れにとらわれるとき主を見失わないよう助けてください。お金や心配事に心が奪われるとき本当の宝を思い出させてください。信仰を恥じるときキリストを証しする勇気を与えてください。そして老い、苦しみ、死が近づくとき、私たちが「主よ、私はもう何も自分のために残していません。私の宝はキリストご自身です」と言えるよう導いてください。神さまの御手の中で、私たち一人ひとりが良い種となり、自分を手放し、教会ともっとも小さな人々のために豊かな実を結ぶことができますように。 - [年間第十九主日A年の説教](https://shimonosekicatholic.org/sunday-19-ordinary-a-yamanaka-hosoe-homily/): みことばの典礼はこちら 2026年8月9日カトリック細江教会山中大樹S.J.  今日の福音朗読では、イエス様が湖の上を歩かれたこと、そのときに起こったペトロとのやりとりが報告されています。ご存知のように、湖とか海とかいうのは、聖書の伝統では、無秩序なところ、神に反対する力とか悪霊のすみかとして考えられています。ですから、そのようなものに弟子たちが阻まれている様子、そして、そのようなものをイエスは超えた方だということがまず表されています。 ここで興味深いのは、弟子たちは彼らを邪魔する湖には悩まされていても、恐れないのですが、むしろ、イエス様について勘違いして恐れているのです。 このような弟子たちにイエス様は「安心しなさい」と呼びかけるのですが、これは「しっかり心を保ちなさい」などと訳せることばです。「私である」ことに気づくように諭すわけです。それに対してペトロは、あなたであれば自分を水の上を歩かせることもできる、そのように考えて発言するわけです。このペトロの突拍子のなさはさすがです。その後の推移はみなさんがご存知のところです。 ここで考えてみたいのは、イエス様がペトロを嗜められるのは「助けてください」と言ったことではないという点です。「なぜ疑ったのか」と、初めはイエス様であれば水の上を歩かせることもできると言っていたのに、強い風に気が移って、イエス様への信頼よりも、変えに心が囚われてしまって……。このことをイエス様は咎められるのです。 たびたび告解を聴く中で、イエス様、神様への信頼が足りなかったということばを聞きます。私自身もそう感じることがあります。このことばの意味するところは、私を取り巻く風、現状、状況はイエス様、神様よりも強いということかもしれません。言い換えれば、神様、イエス様が、私を、私たちを大切に思い、救おうとし、人々の心を呼び覚まし、よいこと、美しいこと、いのちで全ての人、この世界、生きとし生けるもの、私をも満たし、癒し、救いたいというその思い、望みは、悪や罪や私たちの状況には敵わないのだと諦めていることを表すように思います。 私が、私たちが、この世界が、神様、イエス様の救いの思いにもといを置くよう、しっかりと心を保つことができるように、心を、生活をイエス様の「私だ。おそれることはない」に向けて整えていくことができるよう、恵みを求めましょう。 - [20260809今週の灯](https://shimonosekicatholic.org/20260809-the-light-of-this-week/): 年間第十九主日A年・みことばの典礼はこちら 【​今週のメッセージ】「私だ。おそれることはない」​強い風に気が移り、イエス様への信頼を見失っていませんか。神様が私たちを愛し、救いたいという望みは、私たちの周りを取り巻くどんな悪や状況にも勝るのです。​今週は、困難な風に心が囚われないよう、イエス様の「私だ。おそれることはない」という呼びかけに向けて心と生活を整えましょう。神様の救いの思いにしっかりと基(もとい)を置き、心を保つことができるよう恵みを求めましょう。  今週の分かち合い(神父の説教)はこちらです。 - [あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい](https://shimonosekicatholic.org/support-kumamoto-202608/): 熊本の皆さまのために、心を合わせて 熊本地震 特設サイト | カトリック福岡司教区 - [彦島教会の週報20260802](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260802/): 年間第18主日A年 彦島カトリック教会   「それをここに持って来なさい」 マタイによる福音書14章13ー21節 みことばの典礼はこちら神父の説教はこちら ♰ 8月2日(日)年間第18主日ミサ9:00 ・聖ザビエル記念碑 平和の祈りの集い  ・18時~18時30分(唐戸) ♰ 8月4日(火)・聖ヨハネ・マリア・ヴィアンネ司祭(記念) ♰ 8月5日(水)・聖書の分かち合い19:00(8月中はお休みです。) ・2026 平和行事 「争いのあるところに平和を!」 平和祈願ミサ(広島) ♰ 8月 6日(木)ロザリオの祈り9:30 ミサ10:00 ・主の変容(祝日)  ・日本カトリック平和旬間(15日まで) ・原爆とすべての戦争犠牲者のためのミサ(広島) ・ヨゼフカフェはお休みです。 ♰ 8月8日(土)聖ドミニコ司祭(記念) ♰ 8月9日(日)年間第19主日 ミサ9:00 ・長崎・原爆犠牲者のためのミサ(広島)  ・福音と平和憲法12:15~(細江) ☆9月21日広島教区の日(広島)参加申込用紙に記入して下さい。締め切りは8月23日です。 ☆彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。                 食糧支援 次回 8月16日の予定です。ご支援をお願いします。 ☆ポストのものは必ずお持ち帰りください。溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。            これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆2026年 8月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年( 8月) 掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。  - [年間第十八主日A年(20260802)](https://shimonosekicatholic.org/sunday-18-ordinary-hosoe-momose20260802/): みことばの典礼はこちら  今日の福音の言葉は、5日前に起こった熊本の大地震の被災者を思う私たちに、ちょうど当てはまります。マタイ福音書14章から、パンの増やしの物語ですが、ガリラヤ湖の向こう岸、人里離れた所にイエスの話を聞こうとして群衆が追ってきて、もう夕暮れになってしまいました。弟子たちが心配して、「群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いにいくでしょう」と言いました。すると主イエスは、「あなたたちが彼らに食べ物を与えなさい」とおっしゃいます。弟子たちは言います。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」と言います。たぶん、それはイエスと12人の弟子たちには足りるくらいの、彼らのお弁当だったのでしょう。  主イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになりました。弟子たちはそのパンを群衆に与え、すべての人が食べて満腹したと述べられています。  このマタイ福音書の箇所は、マルコ福音書6章にあるパンの増やしの物語を踏襲して、マタイが少し自分の言葉に直していますが、大部分はマルコの伝える物語を文字どおり伝えています。マルコでも、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と述べられています。  とくに大切なのは、マルコもマタイも共通して伝えている箇所、主イエスが「五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった」という言葉です。皆さんもご存じのとおり、この言葉はマルコやマタイの福音書が書かれたときの、彼らの教会で祝われていた「主の晩餐」(私たちが「ミサ」と呼んでいる儀礼)の中で唱えられる言葉なのです。この言葉こそ、物語の中心です。  そもそも福音書の伝える物語は、「語って聞かせる」というタイプの言い伝えで、イエスの死と復活の後、信者たちが口から口に信仰を伝えたものです。マルコ福音書が書かれたのは70年頃、マタイ福音書が書かれたのが80年頃と言われますから、イエスの死と復活のできごとから40年から50年の間、2代、3代にわたって言い伝えられた物語です。その物語には当然のことながら、これを言い伝えた教会の状況や信者たちの生活が反映されます。  パンの増やしの物語が伝えようとするメッセージは、主イエスこそ私たちのいのちの糧を与えてくださる方であること、それも私たちの祝うミサの中で、ご自分の死と復活を通して、ご自分のいのちを分け与えてくださること、この信仰です。  「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」という言葉は、私たちが主からいただくいのちの糧を、世の人々にも分かち与えなさい、という意味です。弟子たちが五つのパンと二匹の魚しかもっていなかったように、私たち自身の持っているものはわずかであっても、主はそれを使って、人々の飢えを癒してくださいます。  実は、物語では、主イエスがパンと魚を「増やした」とは言われていません。これは私の推測ですが、たぶん物語の中の群衆も、それぞれ自分の家からいろいろ食べ物を持参してきたのではないでしょうか。弟子たちがわずかな弁当を分かちあったとき、人々も自分たちの食べ物を分かち合って、もっている人ももっていない人も、皆が満たされたのではないでしょうか。  今日のごミサの中で、私たちは主イエスが与えてくださるいのちの糧を、心からの感謝もっていただきましょう。それと同時に、世の人々、とくに熊本の猛暑の中で、住む家も、電気も水も失ってしまった人々のために何ができるのか、私たちがいただいている恵みを彼らにも分かちあうことを考えましょう。アーメン。 - [今週の灯20260802](https://shimonosekicatholic.org/the-light-of-this-week-20260802/): 年間第十八主日A年・みことばの典礼はこちら 【今週のみことばを生きる】 「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」私たちはごミサを通して、主から「いのちの糧」をいただいています。主は私たちに、そのいただいた愛と恵みを周りの人々と分かち合うよう招いておられます。私たちの持っている力や持ち物が、「五つのパンと二匹の魚」のようにごくわずかなものであっても、困難の中にある人々や被災された方々に寄り添い、寛大に分かち合うとき、主はその心を通して奇跡を起こし、すべての人に希望と慰め、そして満たしをもたらしてくださいます。今週は、主への感謝の心を、隣人を助ける具体的な行動へと移していきましょう。  今週の分かち合い(神父の説教)はこちらです。 - [Pope Intention 202608](https://shimonosekicatholic.org/pope-intention-202608/): 8月の教皇の意向 教皇の意向:都会での福音宣教匿名性と孤独で特徴づけられる大都会で、福音を宣べ伝える新しい道を見出し、共同体を築くための創造的な方法を探し出すことができますように。 日本の教会の意向:世界の平和世界の平和のために祈ります。戦争・紛争当事国の指導者が、対話による和解を促進し、平和を実現するために力を尽くすことができますように。 ⛪ 今月の祈りと教皇のビデオはこちら - [白浜司教様の公式司牧訪問・彦島20260726](https://shimonosekicatholic.org/20260726-shirahama-bishop-visit-hikoshima/): 司教様の説教 みことばの典礼はこちら 司教様の講話 司教様の講話の要約 1. 全世界の教会の変化 2. 広島教区における「宣教ひろば」の方向性 3. 2028年に向けた広島教区のロードマップ 4. 信徒からの質問と白浜司教様の回答 質問1:幼児教育の現場における信仰の伝達について 質問2:社会における信徒個人の活動について - [私たちの真珠は何だろう](https://shimonosekicatholic.org/sunday-17th-ordinary-a-2026-hosoe/): 年間第十七主日A年 みことばの典礼はこちら  「知恵」という言葉を聞くと、私たちはしばしば、頭の良さや、社会で成功するための賢さを思い浮かべるかもしれません。しかし、今日の神様のみ言葉は、本当の「知恵」とは何かを私たちに教えてくれています。  第一朗読で、私たちはソロモン王の素晴らしい物語を聞きました。王座につき、国を導くという重責を前にして、神様から「何でも願うものを与えよう」と問われた時、彼は長寿を願うことも、富を求めることも、敵に対する勝利を願うこともしませんでした。彼がただ一つだけ求めたもの。それは、「神の民を治め、善悪をわきまえるための、聞き分ける心」でした。  ソロモン王が求めたこの「知恵」とは、まさに「識別する恵み」です。何が正しいのか、何が間違っているのか。何が神様のみ旨であるのか、何が自分自身の利己的な望みなのか。そして、何が愛の呼びかけであるのか、何が悪魔の誘惑や罠なのかを、しっかりと見極める力のことです。神様は、彼のこの願いを大変喜ばれました。  では、このことは、私たちにとってどのような意味を持つのでしょうか。皆様、私たちがもし神様を選び、神様のみ心を選ぶことができるなら、神様はその他のすべての良いものを、自然と豊かに与えてくださるという約束なのです。皆様は、このことを信じておられるでしょうか。きっと信じておられると思います。私も信じています。だからこそ、その信仰を日々の生活の中で実らせ続けることができますよう、ともに祈りましょう。これこそ、信仰に基づく知恵ではないでしょうか。  この「知恵」について、今日の福音書の中で主イエスは、畑に隠された宝を見つけた農夫と、高価な真珠を見つけた商人の例えを用いて、さらに明るく照らし出しておられます。この二人の人物には、一つの共通点があります。それは、何が最も価値のあるものかを悟った時、彼らは直ちに自分の持っているものを「すべて」売り払い、その畑と真珠を何としてでも手に入れたということです。  主イエスはここで「すべて」という言葉を使われました。これは非常に力強く、断固とした要求です。「すべて」とは、自分のために何も残さないということです。それは、小さなことや二次的な価値を手放してでも、それよりもはるかに尊い価値あるもの…つまり、「天の国」、神様の子となること、そして私たちの「信仰」と引き換えることを受け入れる、という意味なのです。  現在の日本の社会を見渡すと、毎日の仕事の忙しさや、物質的な豊かさの中で、この信仰という宝物が見失われがちです。今日、この教会には、人生の豊かな経験を持っておられるお年寄りの皆様をはじめ、毎日社会で一生懸命働いている方々、そして子育てに苦労しながらも頑張っている若いご家族もいらっしゃいます。  それぞれの世代が、それぞれの悩みを抱えています。では、私たち一人ひとりが、そしてこの小教区全体が、見つけた「信仰の宝」をどのように日々の生活の中で輝かせることができるでしょうか?  それは、家庭内で子どもや孫に対して優しく寛容であることだけではありません。同じこの小教区に集う兄弟姉妹に対しても、互いに赦し合い、受け入れ合うことです。  私たちは皆、「この信仰」という非常に尊い賜物を共有している一つの家族です。考え方の違いや、時に誤解が生じることがあっても、キリストの愛によって互いを赦し合うこと。お年寄りの方はその温かい祈りと笑顔で若い世代を包み込み、働く世代や若いご家族は、忙しい中でも神様を第一にし、互いに助け合うこと。  私たちの教会共同体が、互いに愛し合い、赦し合う姿そのものが、福音の価値観を生きることができるでしょう。それこそが、神様の現存を示し、この社会に対する一番美しく力強い証しとなります。これこそが、私たちが選ぶべき「最高の真珠」なのです。  どうか、ソロモン王に与えられた知恵と識別する力が、私たち一人ひとりに豊かに与えられますように。そして、私たちがいつも神様を第一に選び、この小教区が愛と赦しに満ちた、信仰の宝を分かち合う温かい家となりますように。アーメン。 - [今週の灯20260726](https://shimonosekicatholic.org/the-light-of-this-week-20260726/): 年間第十七主日A年・みことばの典礼はこちら 【今週の心の指針】 本当の知恵とは、世の富や成功を求めることではなく、常に神様を第一に選ぶ『識別する力』です。忙しい日々の中で、私たちが共有している最高の真珠、それは『信仰』です。今週は、私たち一人ひとりが小さなこだわりを手放し、世代を超えて、この小教区の兄弟姉妹を互いに赦し、受け入れ、助け合いましょう。その愛と一致の姿こそが、社会に対して神様の現存を示す一番美しく、力強い証しとなるのです。  今週の分かち合い(神父の説教)はこちらです。 - [彦島教会の週報20260726](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260726/): 年間第17主日A年 彦島カトリック教会   「天の国は次のようにたとえられる」 マタイによる福音書13章44ー52節 みことばの典礼はこちら白浜司教様の説教はこちら 📢 7月26日(日)年間第17主日ミサ9:00 ・司教公式訪問  ・聖体奉仕者任命式 ・懇親会 📢 7月29日(水)聖書の分かち合い19:00 ・聖マルタ 聖マリア 聖ラザロ(記念) 📢 7月30日(木)ロザリオの祈り9:30          ミサ10:00 📢 7月31日(金)聖イグナツィオ・デ・ロヨラ司祭(記念) 📢 8月 1日(土)聖アルフォンソ・マリア・デ・リグオーリ司教教会博士(記念) ・第41回 下関市民平和ウオーク ・出発 下関市民会館前 16時  ・ゴール 下関市役所 17時30分 📢 8月 2日(日)年間第18主日ミサ9:00 ・聖ザビエル記念碑 平和の祈りの集い  18時~18時30分(唐戸) ☆ 彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。                 食糧支援 次回 8月16日の予定です。ご支援をお願いします。 ☆ ポストのものは必ずお持ち帰りください。 溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。  これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆ 2026年 8月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆ 広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年(8月)  掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。  - [今週の灯20260719](https://shimonosekicatholic.org/the-light-of-this-week-20260719/): 年間第十六主日A年・みことばの典礼はこちら 【今週の心の指針】 「互いの弱さに忍耐し、神様のように寛容な心を持ちましょう。私たちの小さな笑顔と親切が、周りを温める『パン種』となりますように。聖霊の助けを信じ、今週も平和のうちに歩んでいきましょう。」 神様、あなたが私たちの心に蒔いてくださった信仰の種を、どうぞお守りください。私たちが他者を裁くのではなく、神様のような忍耐と寛容の心を持つことができますように。そして、私たちがこの社会の中で、小さくても愛を膨らませる良い「パン種」として歩んでいけるよう、聖霊のお力でお導きください。アーメン。 今週の分かち合い(神父の説教)はこちらです。 - [良い麦のような忍耐と、パン種のような静かな力](https://shimonosekicatholic.org/sunday-16-ordinary-hikoshima-2026/): 年間第十六主日A年・2026年 みことばの典礼はこちら  今日のみことばを通して、主イエスは「天の国」について三つの例え話を語られました。「天の国」と聞くと、死後の遠い世界のことのように感じるかもしれません。しかし、主イエスは、天の国が今、私たちが生きているこの日本社会の、この日常の中にあると教えておられます。  今日のみことばから、私たちが心に留めたい三つのメッセージを分かち合いたいと思います。 1. 「良い麦」と「毒麦」に対する神様の忍耐  最初の例え話は、良い麦と毒麦のお話です。僕たちは毒麦を見つけると、「集めて抜いてしまいましょうか」とすぐに言いました。これは、私たちの自然な反応によく似ているでしょう。規則正しく、完璧さを求めるこの社会の中で、私たちはつい「良くないもの」をすぐに取り除こうとしたり、他者を簡単に裁いたり、レッテルを貼ったりしてしまいがちです。  しかし、主人は「両方とも育つままにしておきなさい」と答えます。なぜ神様は待たれるのでしょうか。それは、まだ弱い良い麦を傷つけないためであり、また、罪びとが悔い改めるチャンスを常に与えてくださるからです。第一朗読の知恵の書にもあったように、神様は全能でありながらも、とても寛容で憐れみ深い方なのです。  実は、良い麦と毒麦の境界線は、社会のどこかにあるのではなく、私たち一人ひとりの心の中にあります。私たちの心の中にも、良い種とともに、弱さや身勝手さという毒麦が混ざっています。神様が私に忍耐してくださっているように、私たちも兄弟姉妹に対して、もう少し忍耐強く、寛容になれないでしょうか。 2. 「からし種」と「パン種」の静かな力  二つ目のメッセージは、からし種とパン種の例えです。 この日本において、私たちキリスト者の数は本当に小さなものです。忙しく、目まぐるしい社会の中で、自分の信仰がとても小さく、無力に感じることもあるかもしれません。  しかし、主イエスは私たちを励ましてくださいます。どんなに小さなからし種でも、成長すれば鳥が巣を作るほどの大きな木になります。ほんの少しのパン種でも、粉全体を膨らませる力があります。  皆さんは、何か特別で大きなことをする必要はありません。職場や学校での誠実な振る舞い、疲れている同僚への温かい笑顔、そして一日の終わりに捧げる家族の小さな祈り。その一つひとつが、愛の「パン種」となって、知らず知らずのうちに周りの人々の心を温め、この社会を豊かにしていくのです。 3. 弱さの中で助けてくださる聖霊  最後に、第二朗読でパウロはとても慰められる言葉を語っています。「霊は弱いわたしたちを助けてくださいます。私たちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」  信仰を持って生きていても、時には疲れ果ててしまうことがあります。困難や悲しみの前で、どう祈っていいか分からず、ただため息しか出ない夜もあるでしょう。でも、どうか落胆しないでいきましょう。神様は私たちの心の中の痛みをすべてご存知です。言葉にならない私たちの祈りを、聖霊が神様に届けてくださっています。 結びの祈り  皆さん、一緒に祈りましょう。 神様、あなたが私たちの心に蒔いてくださった信仰の種を、どうぞお守りください。私たちが他者を裁くのではなく、神様のような忍耐と寛容の心を持つことができますように。そして、私たちがこの社会の中で、小さくても愛を膨らませる良い「パン種」として歩んでいけるよう、聖霊のお力でお導きください。アーメン。 - [彦島教会週報20260719](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260719/): 年間第16主日A年 彦島カトリック教会   「ある人が良い種を畑に蒔いた」 マタイによる福音書13章24ー43節 みことばの典礼はこちら ♰ 7月19日(日)年間第16主日ミサ9:00 ・留学生・実習生食糧支援 ♰ 7月22日(水)聖書の分かち合い19:00 ・聖マリア(マグダラの)(祝日) ♰ 7月23日(木)ロザリオの祈り9:30         ミサ10:00 ・日曜学校夏休み会 ♰ 7月25日(土)聖ヤコブ使徒(祝日) ♰ 7月26日(日)年間第17主日ミサ9:00 ・司教公式訪問 ・聖体奉仕者任命式 ・懇親会 ☆ 彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。 食糧支援 次回8月16日の予定です。 ご支援をお願いします。 ☆ ポストのものは必ずお持ち帰りください。 溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。  これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆ 2026年7月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆ 広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年(7月) 掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。  - [イエスがワールドカップを観に行かれたら、どちらのチームを応援されるだろうか](https://shimonosekicatholic.org/which-team-jesus-belong-to/):  インド出身の有名な霊的指導者、アンソニー・デ・メロ神父は、とても興味深いたとえ話を語っています。  ある日、イエスがサッカーの試合を観に行かれました。カトリックのチームとプロテスタントのチームの試合です。先にプロテスタントのチームが点を入れると、イエスは喜んで拍手されました。すると今度はカトリックのチームが同点に追いつき、イエスはまた立ち上がって喜ばれました。後ろに座っていた一人の観客が、少し苛立って尋ねました。「結局、あなたはどちらの味方なのですか。」  イエスはほほえんで答えられました。「私はどちらか一方の味方ではありません。ただ、美しいゴールを見るのがうれしいのです。」  するとその人は、隣の人に向かってつぶやきました。「まったく、不信心な人だ。」  笑いを誘う話ですが、同時に私たちに深い問いを投げかけます。  もしかすると、人間がいちばん好むものは、真理そのものではなく、自分の属する側、つまり「味方」なのかもしれません。私たちはしばしば、神が自分の側に立ってくださることを望みます。自分が正しいなら、神も当然、相手に反対してくださるはずだと考えます。自分が一つの陣営を選んだなら、神もその陣営にいてくださるはずだと思い込みます。しかし、すべての人を愛し、すべての人に忍耐し、すべての人の回心を待っておられる神は、時に私たちが望む神の姿とは違って見えるのです。  今日のソーシャルメディアを見ていると、そのことをますます強く感じます。教会の中で何か出来事が起こると、たちまちFacebook又はXは論争の場になります。人々は教会の正式な言葉を待つことも、祈りのうちに識別する静けさを保つこともなく、急いでどちらかの側に立とうとします。「いいね」で自分の立場を示し、「シェア」で話をさらに広げ、厳しいコメントで多くの賛同を得ようとします。そして互いにレッテルを貼ります。保守、進歩、裏切り者、権威主義者、反教会的な人。私たちはあまりにも早く、そして時には危険なほど軽率に人を裁いてしまいます。しかも、その判断は一方的な情報や、まだ確かめられていない短い投稿に基づいていることが少なくありません。  悲しいことに、誰もが自分は真理と正義を守っていると思っています。しかし、キリストの真理は、人を侮辱し、さらし、傷つけることによって守られるものではありません。福音の正義もまた、互いを告発し合う声によって成長するものではありません。  私たちは、しばしば自分が何者であるかを忘れてしまいます。  私たちは、互いに戦う二つのチームではありません。同じ教会に属する兄弟姉妹です。私たちは、キリストの一つの神秘体に結ばれた肢体なのです。  毎主日、私たちは同じ食卓へと進み、同じ一つのパンをいただき、同じ一つの杯にあずかります。多くの者でありながら、キリストにおいて一つの体とされているのです。  それなのに、ソーシャルメディアの上では、私たちはためらうことなく互いに石を投げ合ってしまいます。  私たちは「向こう側の陣営」を傷つけ、打ち負かしているつもりなのかもしれません。しかし、キリストの神秘体の中に「向こう側」など本当にあるのでしょうか。  一つひとつの侮辱の言葉、名誉を傷つける投稿、愛のないコメント、憎しみをあおるための共有は、ただ一人の人を傷つけるだけではありません。それは教会そのものを出血させます。なぜなら、私たちが石を投げるその人もまた、同じからだの中にいるからです。そして、私たち自身もそのからだの中にいます。一つの肢体が別の肢体を傷つけるとき、そこに勝者はいません。最も深く痛むのはどこでしょうか。それは頭であるキリストご自身です。そして、最終的にはキリストの神秘体が、ソーシャルメディアの上で、今もなお傷を負い続けているのです。  そして私は自分に問いかけます。もし今日、イエスが私たちの論争のただ中におられるなら、果たしてどちらか一方の側を応援されるのでしょうか。  私は、そうではないと思います。  主は今も、ご自分の教会のただ中に立っておられます。そして、同じ神を父と呼ぶ子どもたちが、クリックやシェア、皮肉な言葉、そして相手を急いで断罪しようとする声によって、互いを傷つけ合っている姿を、静かに見つめておられるのではないでしょうか。兄弟姉妹に向かって投げられる一つひとつの「石」は、その人に届く前に、すでにイエス・キリストの御心を貫いているのです。  教会には、もう十分すぎるほどの論争があります。しかし、兄弟姉妹を具体的に愛する道は、まだあまりにも足りません。特に、その人が自分と同じ「チーム」にいないように見えるときほど、そうです。教会に必要なのは、さらに多くの「キーボードの英雄」ではありません。必要なのは、ひざまずいて祈ることのできる人です。教会を守ると声高に叫ぶ人がもっと必要なのではありません。謙遜と愛と真理によって、交わりを守る人が必要なのです。  では、真理とは何でしょうか。  それは、イエス・キリストご自身です。 (Facebookに投稿されたベトナム語の記事を日本語に翻訳したものです) - [細江・公式司牧訪問・白浜司教様の講話・20260712](https://shimonosekicatholic.org/hosoe-pastoral-visit-of-bishop-shirahama-lecture-20260712/): 先日、白浜司教様が配布された資料を改めて読みたい方は、こちらをクリックしてください。資料をご希望の方は、カトリック細江教会の窓口までご連絡くださいますようお願いいたします。 以下は、2026年7月12日の公式司牧訪問に際して、広島教区の白浜司教様がカトリック細江教会の信徒の皆様に向けて行われた講話の要約です。 講話の要約:共に歩む、あたたかさのある教会づくり 聖霊に導かれ、信徒・修道者・司祭・司教が共に意見を聴き合いながら、初代教会のような「あたたかさのある交わりの共同体」を築いていくこと。 1. 教会の会議と意思決定プロセスの歴史的変化 教会が社会へ奉仕する精神を持つために、会議のあり方が歴史と共に大きく変化してきたことが語られています。 2. 教皇の遺志と「2028年 教会総会」への展望 3. 広島教区における具体的な取り組み 広島教区では、信徒数が19,000人を切る現状のなかで、シノドス的な「共に歩む」体制を具現化するための組織づくりを行っている。 4. これからの教会の姿(初代教会に倣う) 講話の最後に読み上げられたまとめの文書には、今後の教会のあり方に対する強いメッセージが込められている。 第3回宣教ひろば(司教さまのまとめ) 広島教区におけるシノドス - [年間第十五主日A年・2026年・細江・白浜司教](https://shimonosekicatholic.org/hosoe-pastoral-visit-of-bishop-shirahama-homily-20260712/): みことばの典礼はこちら 以下は、2026年7月12日、細江教会司牧訪問のミサにおける、白浜司教様の説教のYouTube音声です。字幕をご覧になるには、画面の「CC」アイコンをクリックしてください。よろしくお願いいたします。 - [今週の灯20260712](https://shimonosekicatholic.org/the-light-of-this-week-20260712/): 年間第十五主日A年・みことばの典礼はこちら 生活の指針:心を耕し、みことばを生き、共に歩む教会へ1.受け入れる(心を開く) どんな人にも蒔かれている「神様のみことば」を、まずは素直な心で受け入れましょう。2.耕す(祈る・聴き合う) ミサや祈りを通して、みことばが浸透するように心を柔らかく「耕し」ましょう。同時に、評価せずに互いの声に耳を傾け合うことで、教会にあたたかい交わりを育てていきます。3.実を結ぶ(生活で証しする) みことばには強い生命力があります。言葉だけでなく「生き方」を通して実践するとき、私たちの発する言葉も自然とキリストの言葉へと変わっていきます。今週の招き:日々のみことばとミサを通して「心の土壌」を豊かにし、教会でいただいた神様のあたたかさを、家庭や職場、地域へと広げていきましょう! 今週の分かち合い(司教様の説教)はこちらです。 - [彦島週報20260712](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260712/): 年間第15主日A年 彦島カトリック教会   「種を蒔く人が種蒔きに出て行った」マタイによる福音書13章1-23節 みことばの典礼はこちら 🌸 7月12日(日)年間第15主日ミサ9:00  ・病者のために祈る日  ・船員の日 🌸 7月15日(水)聖書の分かち合い19:00  ・聖ボナベントゥラ司教教会博士(記念) 🌸 7月16日(木)ロザリオの祈り9:30          ミサ10:00  ・ロクスひよりやま清掃ボランティア 🌸 7月17日(金)キッチンカーボランティア 🌸 7月19日(日)年間第16主日ミサ9:00  ・留学生・実習生食糧支援 ☆ 彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。 食糧支援 次回8月16日の予定です。 ご支援をお願いします。 ☆ ポストのものは必ずお持ち帰りください。 溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。  これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆ 2026年7月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆ 広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年(7月) 掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。  - [Synod 16 - the final document 2024](https://shimonosekicatholic.org/synod-16-the-final-document/): シノドス流の教会 英語版(English Version) ベトナム語版(Văn Kiện Chung Kết của Thượng Hội Đồng Giám Mục lần thứ 16) シノドス流の教会 英語版(English Version) ベトナム語版(Văn Kiện Chung Kết của Thượng Hội Đồng Giám Mục lần thứ 16) - [ともに歩む教会共同体をめざして](https://shimonosekicatholic.org/synodal-church-shimonoseki/):  小教区共同体の皆さま、  今日は、私たち小教区という家族とともに、教会が今あらためて大切にしている招きについて分かち合う機会をいただき、心からうれしく思います。近ごろ皆さまも、「シノドス」や「ともに歩む教会」という言葉を耳にされたことがあるでしょう。けれども、こうした言葉が、私たちの日々の信仰生活にどのような意味をもつのか、まだ少し遠く感じられる方もおられるかもしれません。今日は、母なる教会が今どこへ向かっているのか、そして主がこの小教区共同体に何を語りかけておられるのかを、皆さまと一緒に静かに見つめてみたいと思います。 1. 「ともに歩む」とは何か  まず、「シノドス」という言葉から考えてみましょう。シノドスとは、教会が聖霊の導きのもとで集まり、互いに耳を傾け、対話し、これから進むべき道を識別していく歩みのことです。近年の世界代表司教会議第16回通常総会は、「ともに歩む教会のため―交わり、参加、そして宣教」をテーマとして、全世界の教会にこの歩みを呼びかけました。  そこから「シノダリティ」、つまり「ともに歩む教会の姿」という考え方が生まれます。これは単なる会議の方法ではありません。教会全体が、キリストとともに、神の国に向かって歩む生き方そのものです。分かりやすく言えば、信者一人ひとりが孤立せず、互いに支え合い、聖霊に導かれながら、同じ主に向かって歩んでいくことです。  では、私たちは何のためにともに歩むのでしょうか。シノダリティは、それ自体が目的ではありません。私たちは、ただ教会の仕組みを整えるため、あるいは仲のよい人たちだけで安心して集まるために、ともに歩むのではありません。ともに歩むことは、キリストから託された宣教の使命に仕えるためです。そして、その中心にはいつも聖霊の導きがあります。聖霊を忘れてしまうなら、シノダリティは単なる会議の技術や人間的な意見のぶつかり合いに変わってしまいます。 2. 小教区という一そうの舟  教会、シノダリティ、宣教、そして聖霊の関係をより身近に理解するために、一そうの舟を思い浮かべてみましょう。私たちの小教区は、広い海を進む一そうの舟のようなものです。  シノドスの文書には、とても深い意味をもつ言葉があります。「宣教がシノダリティを照らし、シノダリティが宣教を促す」という言葉です。この言葉を、先ほどの舟のたとえで考えてみましょう。  宣教とは、舟がなぜ港を出て、どこへ向かって進むのかを示す目的です。私たちは、人々を救いへと招き、福音の喜びを届けるために、沖へ漕ぎ出すよう主から呼ばれています。だからこそ、私たちは安全な港にとどまり続けたり、船内で互いに言い争うことに心を奪われたりしてはいけないのです。宣教という使命があるからこそ、私たちはなぜ一致し、なぜ協力し、なぜ互いに耳を傾ける必要があるのかを知るのです。  そして反対に、シノダリティとは、その舟がどのように進んでいくかを示す歩みです。互いに信頼し、祈り、声を聴き合い、それぞれの賜物と役割を分かち合うとき、教会という舟は荒波を越える力をいただきます。私たちの一致は、内向きの安心のためではなく、福音を必要としている人々のもとへ向かうための一致です。こうして、宣教はシノダリティに進むべき方向を与え、シノダリティは宣教を実際に前へ進める力となるのです。 3. 船長の役割  ここで、ある方はこう思われるかもしれません。「皆で歩み、皆で舟をこぐことは大切です。しかし、もし一人ひとりが自分の行きたい方向にこいだら、舟はどこへ行くのでしょうか」。これは、とても現実的で大切な問いです。  シノドス的な歩みとは、決して「皆が同じ権限を持ち、各自が好きなように行動する」という意味ではありません。教会には、いつの時代にも、主から託された導き手が必要です。シノドスの文書においても、権威と指導者の役割は明確に示されています。牧者に与えられた権威は、教会全体を建て上げるために聖霊から授けられた特別な賜物です。また、教父たちの時代から大切にされてきた「司教なしには何も行わない」という原則も思い起こされています。小教区においては、これは主任司祭との一致のうちに歩むということです。指導の務めは、キリストご自身が教会の一致に奉仕するために定められた秩序に根ざしており、軽んじることのできない大切な使命です。  小教区という舟において、主は主任司祭に舵を預けておられます。けれども、ともに歩む教会の船長は、閉ざされた部屋で独断的に命令を出す人ではありません。船長は、海の様子をよく見るために乗組員の声を必要とします。風の変化、舟の中の疲れ、困っている人の声、まだ見えていない危険を知らせてくれる人々のまなざしを必要としています。  だからこそ、私は皆さまを必要としています。皆さまの目で、地域や家庭の中にある必要を見つけてください。皆さまの耳で、苦しむ人、孤独な人、教会から離れている人の声を聴いてください。宣教司牧評議会、諸団体、奉仕者、そして一人ひとりの信徒の知恵と経験は、共同体の識別に欠かせない恵みです。私は皆さまの声を聴き、ともに祈り、聖霊の導きを求めます。そして最後には、主から託された責任をもって舵を取り、キリストという灯台に向かって舟を進めていきます。これは支配ではなく、愛のうちに責任を分かち合う奉仕です。 4. 広島教区でどのように実践するのか  皆さま、ここまでお話ししたことは、遠い理論ではありません。広島教区では、「ともに歩むあたたかさのある教会」を目指す歩みが、すでに具体的に始まっています。  教区は、私たちが単に組織として強くなることではなく、神の家族としての温かさを育て、地域社会に福音の光を届けることを望んでいます。そのために、いくつかの大切な実践が呼びかけられています。 5. 結びの招き  皆さま、教会は教皇様だけのものでも、司教様だけのものでも、主任司祭だけのものでもありません。教会は、洗礼によってキリストに結ばれた私たち皆の家です。子どもも、若者も、働き盛りの方も、高齢の方も、病の中にある方も、外国から来られた方も、皆この小教区という舟に欠かすことのできない乗組員です。  私は心から皆さまにお願いします。どうか、傍観者ではなく、協力者としてこの舟に乗ってください。遠慮せず声を届けてください。自分に与えられた賜物を小さなものと思わないでください。祈ること、聴くこと、声をかけること、掃除をすること、歌うこと、子どもを見守ること、病者を訪ねること、外国籍の方を助けること、どれも教会を前へ進める大切な櫂です。  私たちがともに祈り、ともに聴き、ともに働くなら、この教会で感じる「神の家族」の温かさは、家庭へ、職場へ、学校へ、そして地域社会へと広がっていくでしょう。聖霊が私たちの帆をふくらませ、聖母マリア、海の星が私たちの航海を見守り、キリストという灯台へと導いてくださいますように。 英語版(The Final Document of the Synod 16 – 2024) ベトナム語版(Văn Kiện Chung Kết của Thượng Hội Đồng Giám Mục lần thứ 16 – 2024) - [今週の灯20260705](https://shimonosekicatholic.org/the-light-of-this-week-20260705/): 年間第十四主日A年・みことばの典礼はこちら 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11・28) 世の中は「どれだけ働けるか」で人の価値を測りがちですが、神様の目には、私たちの「弱さ」や「小ささ」こそが愛おしく尊いものです。老いや病、孤独という重荷を感じる時、自分の限界をへりくだって神様にゆだね、主の温かい胸で静かに休みましょう。 たとえ以前のように動けなくても、皆さまには「祈る」という教会の宝となる大切な使命があります。今週は、主の招きに応えて心に平安をいただき、私たち自身も互いの弱さに寄り添い、主の優しい手となって助け合う一週間といたしましょう。 今週の分かち合い(神父の説教)はこちらです。 - [年間第十四主日A年・彦島・2026年](https://shimonosekicatholic.org/sunday-14-ordinary-a-hikoshima-2026/): みことばの典礼はこちら  皆さま、日本の社会の中で暮らしていると、私たちは一つの美しい文化に触れます。それは、最後まで自分の役割を果たそうとする心、誰かのために役に立ちたいと願う心です。ここにおられるご高齢の皆さまの中にも、髪は白くなり、足腰は少し弱くなっても、家族のために、教会のために、社会のために、まだ何かをしたいという温かな火が燃え続けていることでしょう。皆さまは、いつも「自分も誰かの役に立ちたい」と願っておられると思います。  けれども、現実は時に、私たちの心に深い寂しさをもたらします。心は願っていても、体がついてこない。病気や痛みのために思うように動けない日があります。今まで当たり前にできていた小さなことさえ、人の助けを借りなければならない時があります。そして何よりつらいのは、子どもや孫の姿が少なくなった家の中で感じる、ひとりぼっちの寂しさかもしれません。その無力感や孤独は心に重くのしかかり、「自分はもう役に立たないのではないか」「この速く進んでいく社会から取り残されてしまったのではないか」と感じさせることがあるかもしれません。 まさにそのような老いの日々の疲れや葛藤の中に、今日の主のみことばは、温かく包み込むように響いてきます。主イエスは言われます。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11・28)  この世は、人の価値を「どれだけ働けるか」「どれだけ役に立つか」で測りがちです。しかし、主イエスのまなざしは違います。主は、弱くなった人、疲れた人、心が沈んでいる人を決して忘れません。むしろ、そのような「小さな人」にこそ、神の国の慰めと希望を示してくださいます。  老いによる弱さや限界は、人を小さく見せるかもしれません。けれども、神さまの目には、その小ささは決して無価値ではありません。ご高齢の皆さまは、家族と教会に与えられた大切な恵みであり、人生の歩みを通して神さまの愛を証しする尊い存在です。  預言者ゼカリヤは、救い主が力で支配する王ではなく、柔和でへりくだった王として来られると告げます。主イエスは、弱さを退ける方ではなく、弱さの中にいる人のそばに静かに来てくださる方です。  だからこそ主は言われます。「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしに学びなさい。」長く働き、人を支えてきた方にとって、助けを受けることや自分の限界を認めることは簡単ではありません。しかし、そこにこそ、主と共に歩むへりくだりの道があります。  自分の弱さを責めず、人生を恨まず、今の自分を神さまの手にゆだねる時、主の平安が心に少しずつ注がれます。「疲れた者、重荷を負う者は、わたしのもとに来なさい」というみことばは、私たちにとってどんな意味が与えられているのでしょうか。  たとえ以前のように働けなくても、皆さまには今も大切な使命があります。それは祈ることです。孤独の中でささげる祈り、痛みを抱えながらの祈り、家族や世界のための祈りは、神さまの前で決して小さなものではありません。  その祈りは、目に見えなくても教会を支え、家庭を守り、若い世代に光を届けます。ご高齢の皆さまの存在と祈りは、教会にとって静かな宝であり、神さまの愛を伝える深い力です。  今日のみことばは、疲れた心、重荷を負った心、もう立ち上がれないと思う心に語りかけます。主は皆さまの痛みも、寂しさも、言葉にならないため息も知っておられます。そして、「わたしのもとに来なさい」と、休みと慰めへ招いてくださいます。  また、私たちも身近な高齢の方々に対して、主のやさしい手となるよう招かれています。声をかけること、訪ねること、話を聞くこと、小さな助けを差し出すこと。その一つひとつが、主の慰めを届ける奉仕です。 柔和でへりくだった主イエスが、ご高齢の皆さま、疲れている皆さま、心が沈んでいる皆さまに、慰めと平安を注いでくださいますように。アーメン。 - [彦島週報20260705](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260705/): 年間第14主日A年  彦島カトリック教会   「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」マタイによる福音書11章25ー30節 みことばの典礼はこちら神父の説教 🌸 7月5日(日)年間第14主日ミサ9:00 ・宣教司牧評議会 🌸 7月8日(水)聖書の分かち合い19:00 🌸 7月9日(木)ロザリオの祈り9:30         ミサ10:00 ・学習会 🌸 7月11日(土)聖ベネディクト修道院長(記念) 🌸 7月12日(日)年間第15主日ミサ9:00 ・病者のために祈る日 ・船員の日 ☆ 彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。 食糧支援 次回7月19日の予定です。 ご支援をお願いします。 ☆ ポストのものは必ずお持ち帰りください。 溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。  これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆ 2026年7月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆ 広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年(7月)  掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。 - [Pope Intention 202607](https://shimonosekicatholic.org/pope-intention-202607/): 7月の教皇の意向 教皇の意向:人命の尊重人生のあらゆる場面において人命が尊重され、保障されますように。そして、人命は神からの賜物であることに気づくことができますように。 日本の教会の意向:被造物、地球環境神によって造られたすべてのもののために祈ります。私たちが神に生かされ、ネ申とつながっていることを意識しながら、被造物と地球環境を大切にしていくことができますように。 ⛪ 今月の祈りと教皇のビデオはこちら - [2026年7月からのお知らせと行事](https://shimonosekicatholic.org/events-from-july-2026/): 行事のご案内(2026年7月~) ◎ 彦島教会:第二と第四木曜日ミサ後学習会、       第一木曜日ミサ後ヨゼフカフェ、       毎週水曜日19時から聖書分かち合い◎ 細江教会:◎ 長府教会:入門講座   第一第三水曜日10:00~11:30   第二第四水曜日18:30~20:00   第二第四金曜日パウロ勉強会(ミサ後)   第四木曜日 「心の泉」(サダナ黙想と分かち合い)10時~ 7月 7月04日(土)信徒養成講座③(長府・10:00~15:45)7月05日(日)長府・社会教説7月12日(日)細江・司教公式司牧訪問7月26日(日)彦島・司教公式司牧訪問 8月 8月02日(日)サビエル上陸記念碑祈りの集い(18:00~18:30)8月11日(火)合同慰霊祭(長府・10時~)8月15日(土)聖母の被昇天ミサ(細江・11時、彦島・10時、長府・10時)8月22日(土)馬関まつり 9月 9月05日(土)信徒養成講座④(長府・10:00~15:45)9月07日(日)被造物を大切にする世界祈願日9月13日(日)敬老祝賀会(長府)9月14日(日)祖父母を高齢者のための世界祈願日9月20日(日)敬老祝賀会(細江)9月27日(日)敬老祝賀会(彦島)9月27日(日)世界難民移住移動者の日 - [細江の皆さん、おめでとう!](https://shimonosekicatholic.org/hosoe-patron-saint-peter-2026/): みことばの典礼はこちら  明日は、教会全体が聖ペトロと聖パウロをお祝いする日です。この二人は、教会の二本の柱ともいわれています。私たちの小教区は聖ペトロを守護聖人としていただいているため、白浜司教様の特別な許可により、今日の日曜日にお祝いすることになりました。皆さん、今日は私たちの小教区の保護者であり守護聖人である聖ペトロを、心を込めてお祝いいたしましょう。今日は、私たちにとって大切なお祝いの日です。皆さん、守護聖人聖ペトロの祭日、誠におめでとうございます。  皆さん、皆さんはご自分の洗礼名を覚えておられますか。その聖人のお祝いの日、つまり霊名の祝日はいつか、ご存じでしょうか。  今の信仰生活の中で、私たちは時々、お互いに霊名のお祝いを伝える習慣を忘れがちです。また、小教区の守護聖人の祝日も、本来の日に祝うのではなく、別の日に移して、バザーや食事会のような行事として行うこともあります。もちろん、そのような集まりは共同体をつなぐ大切な機会です。しかし皆さん、守護聖人を祝う日の本当の意味は、それよりももっと深く、霊的なものです。教会が一つの小教区、また一人ひとりを、ある聖人の保護にゆだねるとき、教会は私たちに二つの贈り物を与えてくださいます。一つは、私たちが歩むための模範です。もう一つは、神さまの前で私たちのために祈ってくださる力強い取り次ぎ手です。  今日、私たちはみことばを通して、聖ペトロの姿を見つめたいと思います。主がペトロをどのように変えてくださったのか、そして私たちがどのように信仰を生きるよう招かれているのかを、一緒に味わいましょう。  今日のマタイによる福音は、とても大切な場面を伝えています。主イエスが弟子たちに、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」とお尋ねになると、漁師であったシモンは、はっきりと答えました。「あなたはメシア、生ける神の子です。」すると主イエスは言われました。「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」  神さまは、ペトロの中に大きな変化を起こしてくださいました。神さまは、特別に立派な人、何でも分かっている賢い人を選ばれたのではありません。弱さがあり、時にはすぐに感情で動いてしまう人、後には主イエスを三度も知らないと言ってしまう人を、教会の土台となる岩として選ばれました。主は、ペトロの弱さを力に変えてくださったのです。そしてさらに、主はペトロに大きな使命をお与えになりました。「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」  主イエスがペトロにお与えになった権威は、この世の王さまのように人を支配するための力ではありません。それは、あわれみのための権威です。ゆるしを告げ、罪の重荷をほどき、人々を教会という大きな家族の中に集め、一つにしていくための務めなのです。  しかし、大きな使命を受けたペトロも、やはり神さまの恵みと人々の支えを必要とする一人の人間でした。第一朗読の使徒言行録には、とても心に残る出来事が語られています。ペトロがヘロデ王によって牢に入れられ、二人の兵士の間で鎖につながれ、死を待っていたとき、教会は何をしたのでしょうか。「教会では、彼のために熱心な祈りが神にささげられていた」のです。  そして奇跡が起こりました。主の天使が現れ、鎖は外れ、牢の門は開き、使徒の頭であるペトロは救い出されました。ペトロを救った力は、剣や武器ではありませんでした。それは、神さまの働きであり、共同体が心を合わせてささげた祈りの力でした。  初代教会の姿から、私たちは守護聖人の大切な役割を知ることができます。それは、祈りの中で私たちを取り次ぎ、教会と深く結びつけてくださるということです。今、聖ペトロは天の国におられ、もう鎖につながれてはいません。しかし、ペトロの使命は今も続いていると思います。聖ペトロは、教会のために、私たちの小教区のために、そしてご自分を守護聖人として仰ぐ人々のために、神さまに祈ってくださっています。私たちも、ペトロの悔い改めの心、主イエスへの深い愛にならいましょう。そして聖ペトロの取り次ぎによって、私たちの心を縛っている自己中心、ねたみ、冷たさといった「鎖」から解放していただけるよう、主に願いましょう。  皆さん、聖ペトロの姿を見つめながら、私たちは教会にすばらしい牧者を与えてくださった神さまに感謝したいと思います。  この大切なお祝いの日に、私はまず、私たち小教区のすべての皆さんに、心から霊名のお祝いを申し上げます。聖ペトロがいつも私たちを守り、この小教区を「岩」のようにしっかりした信仰の共同体、愛と一致に満ちた共同体として導いてくださいますように。  また、今日私たちと共におられる百瀬神父さまにも、特別に霊名のお祝いを申し上げます。神父さまの上に、神さまの豊かな恵み、健康、そして平和がありますように。聖ペトロの取り次ぎによって、奉献生活の実り豊かな歩みの中で、神父さまがいつも喜びに満たされ、私たちにとって信仰の支えであり続けてくださいますように。 そして、聖ペトロを霊名としてお持ちの皆さんにも、心からお祝いを申し上げます。どうか皆さんが、守護聖人である聖ペトロから、信仰を勇気をもって表す心、主イエスを深く愛する心を学び、家庭の中でも共同体の中でも、まわりの人を支え導く存在となることができますように。 皆さん、  今日は六月の終わりの日々でもあります。六月は、教会がイエスのみ心を特別にたたえる月です。聖ペトロは一度つまずきました。しかし、彼がもう一度立ち上がることができたのは、イエスのみ心からあふれるあわれみのまなざしに支えられたからです。  その思いをもって、私たちはイエスのみ心に心を向けましょう。あわれみに満ちた主のみ心が、教皇さま、司教さま方、司祭たち、そして教会を導くすべての牧者の上に、豊かな恵みを注いでくださいますように。彼らがいつも主イエスのみ心のような、あわれみ深い心を持ち、聖ペトロにならって羊の群れを愛し、今日の時代の荒波の中で、教会を導き守るために自分をささげることができますように。アーメン。 - [今週の灯20260628](https://shimonosekicatholic.org/light-of-this-week-20260628/): ⛪ 6月:主イエスのみ心への祈り 年間第十三主日A年・みことばの典礼はこちら  細江教会の皆様、小教区の守護聖人である聖ペトロの祭日、誠におめでとうございます! 聖ペトロの力強い保護と天からの取り次ぎによって、細江教会が「岩」のように揺るがない信仰と、あたたかい愛と一致に満ちた共同体として、これからも豊かに成長していきますよう心よりお祈り申し上げます。 イエスのみ心をたたえるこの月、教皇様、司教様方、そしてすべての司祭のために祈りを捧げましょう。彼らがキリストのあわれみ深い心を持ち、聖ペトロにならって、この荒波の時代に教会を力強く導くことができますように。 細江での分かち合い(神父の説教)はこちらです。 - [彦島週報20260628](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260628/): 年間第13主日 A年 彦島カトリック教会   「この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも・・・」 マタイによる福音書10章37ー42節 みことばの典礼はこちら 🌸 6月28日(日)年間第13主日 ミサ9:00  ・聖ペトロ使徒座への献金  ・聖体奉仕者の学習会14時(細江) 🌸 6月29日(月)聖パウロ 聖ペトロ使徒(祭日) 🌸 7月1日(水)聖書の分かち合い19:00  ・福者ペトロ岐部司祭と187殉教者(記念) 🌸 7月2日(木)ロザリオの祈り       9:30ミサ10:00  ・ヨゼフカフェ 🌸 7月3日(金)聖トマス使徒(祝日) 🌸 7月5日(日)年間第14主日ミサ9:00 ☆彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。  食糧支援 次回 7月19日の予定です。  ご支援をお願いします。 ☆ポストのものは必ずお持ち帰りください。  溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。   これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆2026年7月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年(7月)   掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。 - [洗礼者聖ヨハネ誕生の祭日(2026.6.24)](https://shimonosekicatholic.org/john-the-baptist-2026-hosoe/): みことばの典礼はこちら  皆さん、今日の第一朗読で神さまは、「わたしはあなたを、すべての民の光とする」と語られました。イスラエルの民は神さまに選ばれた民でしたが、それは特別な待遇を受けるためではなく、彼らを通してすべての国の人々が救いの神を知るためでした。しかし、試練に出会うたびに、彼らの心は揺れ動き、自分たちの使命である「光となること」を忘れてしまうことがありました。この姿は、試練は信仰を壊すためではなく、信仰を清め、強めるためにあるという大切なことを私たちに教えてくれます。どんな状況の中でも、私たちは神さまの愛を証しすることができるのです。  今日は洗礼者聖ヨハネの誕生を祝う日ですが、私はその両親であるザカリアとエリサベトに心を向けたいと思います。二人は長い間、子どもが与えられないという深い悲しみを抱えて生きてきました。年を重ねても願いは叶わず、それは信仰にとって大きな試練だったはずです。そしてようやく子どもが与えられた時、今度はザカリアが口がきけなくなるという新しい試練が訪れました。年老いた夫婦にとって、決して楽な日々ではなかったでしょう。それでも二人は神さまの言葉を信じ続け、沈黙の中でも、苦しみの中でも、神さまの約束をしっかりと心に刻んで歩み続けました。  そこへマリアさまが訪れ、三か月間ともに過ごし、祈り合い、支え合いながら、ヨハネの誕生を迎える準備をしていきました。そしてここで私たちは次のように気づきます。強く揺るがない信仰を持ったヨハネが生まれたのは、その前に、強く揺るがない信仰を生きた両親がいたからだということです。ヨハネの使命の根には、両親の静かで深い信仰があったのです。  今日、私は心から感謝したいと思います。教会の中にいる多くのお父さん、お母さんたちに。静かに、誠実に、祈りながら家庭を支えている方々に。その姿こそ、子どもたちへの一番大きな贈り物です。どうか神さまが、今日の家庭を支えるすべての親たちを祝福してくださいますように。また、共同体をいつも支えてくださった年配の方々や指導者たちを祝福してくださいますように。そしてその信仰の光から、また新しい「ヨハネ」が生まれ、この時代に神さまの道を示し、神さまの光となることができますように。 アーメン。 - [彦島週報20260621](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260621/): 年間第12主日A年 彦島カトリック教会   「あなたがたの父のお許しがなければ・・・」  マタイによる福音書10章26ー33節 みことばの典礼はこちら神父様の説教 🌸 6月21日(日)年間第12主日 ミサ9:00 ・留学生・実習生食糧支援  ・聖体奉仕者の学習会14時(細江) 🌸 6月24日(水)聖書の分かち合い19:00 ・洗礼者聖ヨハネの誕生(祭日) 🌸 6月25日(木)ロザリオの祈り9:30           ミサ10:00 ・学習会 🌸 6月27日(土)「あたたかさのある教会を目指して」  ・講師 大西勇史神父13:00~(防府) 🌸 6月28日(日)年間第13主日 ミサ9:00 ・聖ペトロ使徒座への献金 ・聖体奉仕者の学習会14時(細江) ☆ 彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。 食糧支援 次回7月19日の予定です。ご支援をお願いします。 ☆ ポストのものは必ずお持ち帰りください。 溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。  これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆ 2026年 6月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆ 広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年(6月)  掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。 - [「恐れることはない」・守護聖人聖ペトロの祭日のお祝いの準備](https://shimonosekicatholic.org/sunday-12th-ordinary-a-hosoe-2026/): 年間第十二主日A年 みことばの典礼はこちら  今日の年間第12主日の御言葉を読んでいると、まず心に浮かんでくるのは、預言者エレミヤの姿です。エレミヤは、とても強い人に見えるかもしれません。でも、実は彼も私たちと同じように悩み、傷つき、疲れを感じた人でした。神様からいただいた使命を一生懸命に果たそうとしましたが、まわりの人から冷たく見られたり、友人からも責められたりしました。どれほど寂しかったことでしょう。どれほどつらかったことでしょう。  それでもエレミヤは、そこで神様から離れませんでした。むしろ、苦しみの中でこう告白します。「主は力強い勇士として、わたしと共におられる」。これは、とても美しい信仰の言葉です。すべてがうまくいっている時ではなく、心が折れそうな時に、神様を信じることを選んだのです。  そして今日の福音で、主イエスは私たちに三度も言われます。「恐れることはない」。つまり、主イエスは私たちの心の中にある恐れをよくご存じなのです。人の目が怖い。失敗が怖い。誤解されるのが怖い。傷つくのが怖い。けれども主イエスは言われます。「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている」。神様は、私たちの小さな痛みも、小さな努力も、すべて知っていてくださるのです。  このエレミヤの叫び、そして主イエスの「恐れるな」という言葉は、今の私たちの小教区にも向けられているように感じます。皆様の大きな努力によって、新しい聖堂が献堂されてから一年余りが過ぎました。本当に、これは共同体全体の祈りと犠牲と協力の実りです。心から感謝したいと思います。  でも、建物が完成した後にも、もう一つ大切な建物があります。それは、私たち自身の共同体です。目に見える聖堂はできました。では、心と心でつくられる「霊的な神殿」はどうでしょうか。長い建設の疲れが残っている方もいるでしょう。いろいろな困難を抱えている方もいるでしょう。そして、時には誤解やすれ違いによって、グループとグループ、人と人との間に痛みが生まれてしまうこともあります。  教会は本来、神様の家族です。だからこそ、そこで交わされる言葉はとても大切です。何気ない一言が人を励ますこともあれば、反対に、深く傷つけてしまうこともあります。私たちは皆、弱さを持っています。だからこそ、互いに責め合うよりも、互いに支え合う道を選びたいのです。  もしかすると、今の状況を見て、がっかりしている方がいるかもしれません。「もう奉仕を続けるのは難しい」と感じている方もいるかもしれません。「自分が何を言っても変わらない」と思っている方もいるかもしれません。でも、今日主イエスは、その一人ひとりに静かに言われます。「恐れることはない」。  今週、私たちの小教区は、保護者である聖ペトロの祝日を迎えます。守護聖人聖ペトロは、私たちにとってとても身近な聖人です。なぜなら、彼も完全な人ではなかったからです。恐れのために、主イエスを三度も知らないと言ってしまいました。弟子たちの間で、誰が一番偉いかという争いもありました。ペトロにも弱さがありました。失敗がありました。  でも、主イエスはそのペトロを見捨てていませんでした。愛のまなざしで見つめ、ゆるし、もう一度立ち上がらせてくださいました。そしてペトロは、兄弟たちを支える岩となりました。自分の弱さを知った人だからこそ、他の人の弱さにも寄り添うことができたのです。  ですから、皆様にお願いしたいと思います。今日まで、この教会を守り導いてくださった神様に感謝しましょう。そして、聖ペトロの取り次ぎによって、私たちの小教区に和解と一致、そして平和の恵みが与えられるよう、今週、特別に祈りましょう。家庭で、グループで、そして一人の祈りの中で、どうかこの共同体のために祈ってください。また、この6月は主イエスの聖心に捧げられた月です。愛と憐れみに満ちた御心に、私たちの共同体をお捧げしましょう。  互いを責める言葉を、励ます言葉に変えていきましょう。距離を置く心を、近づこうとする心に変えていきましょう。私たちが互いに愛し合い、ゆるし合い、一つに結ばれていくなら、それこそが、この教会に神様がおられることを示す一番力強い証しになります。  守護聖人聖ペトロの祈りによって、神様が私たち一人ひとりに勇気を与えてくださいますように。傷ついた心に平和を与えてくださいますように。そして、この小教区のすべての心を、もう一度、キリストの愛のうちに一つに結び合わせてくださいますように。アーメン。 - [今週の灯20260621](https://shimonosekicatholic.org/the-light-of-this-week-20260621/): ⛪ 6月:主イエスのみ心への祈り 年間第十二主日A年・みことばの典礼はこちら 細江教会の守護聖人聖ペトロの祭日に向けて(来週の日曜日6月28日)「恐れることはない」 (マタイ 10・31)主イエスの聖心の月であり、守護聖人聖ペトロの祭日を準備するこの特別な一週間、細江教会の一人ひとり、各ご家庭、そしてすべてのグループが、和解と一致の精神を生きるよう招かれています。愛する勇気を持つ良い関係を築く守護聖人聖ペトロの模範に倣う柔和で謙遜なイエスのみこころよ、守護聖人聖ペトロの取り次ぎを通して、私たちの間の傷やひび割れを癒し、この小教区という家族に平和と一致の恵みをお与えください。アーメン。 この喜ばしい守護聖人の祭日のお祝いには、小教区の皆様が揃ってご参加くださることを心よりお待ち申し上げておりますとともに、他の小教区の皆様もぜひお誘い合わせの上、共に集い喜びを分かち合いましょう。 - [年間第11主日(A)@細江教会](https://shimonosekicatholic.org/sunday-11-ordinary-a-2026-momose-hosoe/): みことばの典礼はこちら マタイによる福音 9・36-10・8 (説教 百瀬文晃神父)  今日の福音朗読では、マタイによる福音から、主イエスが12人の弟子を召しだし、派遣する場面が読まれました。12人のリストが挙げられますが、これを見ると、この12人が特別に能力があったからでもなく、信仰が深かったからでもありません。彼らはガリラヤの漁師であったり、徴税人であったり、最後には主イエスを裏切ってしまうような人であったりします。大した教養もなく、素朴で純粋ですが、頼りにならない人々でした。  主イエスによる弟子たちの選びは、現代の日本のように、よい学校に入るために小学校のときから塾に通ったり、よい成績を収め、よい就職をして、よい地位を獲得するために互いに競いあったりする社会では考えられない人選です。しかし、主イエスはこの弟子たちを愛し、教え導き、最後にはご自分の命さえ差出して、悪の力から守りました。ご自分の亡き後も孤児のように捨ておかれないように、パンを取って「これはあなたたちのためのわたしの体」と言い、ぶどう酒を取って「これはあなたたちのために流されるわたしの血」と言って、いつも弟子たちとともにいることを約束されました。こうして、12人の弟子たちはキリストの教会の礎となることができたのです。  思えば、始めの頃の教会は、マタイ福音書の書かれた共同体でも、まだ教会の建物も教義も、りっぱな典礼もありませんでした。使徒たちの手紙などで励ましを受けたとしても、まだ新約聖書すら生まれていませんでした。ユダヤ教からの迫害、ローマ帝国から弾圧を受けながらも、主イエスがともにいてくださるという信仰をもって、やがて主が栄光のうちにこられ、正しい裁きを行ってくださることを待ち望んでいました。  同じように、250年以上にわたって迫害され、潜伏した日本のキリシタンもそうでした。パライソでの幸せな再会を夢み、やがて信教の自由の日がくるとの希望を保って、厳しい迫害に耐え、幾世代にもわたって信仰を継承しました。それは、主イエスがともにおられ、導いてくださったことの証しです。  このイエスによる貧しい弟子たちの召命と派遣は、私たちの教会にも、今日ここに集まった共同体にもあてはまるのではないでしょうか。私たちはそれぞれ洗礼を受けた契機は違うでしょう。子どものとき両親の影響で洗礼を受けた人もいれば、友だちに誘われて教会にくるようになった人もいます。しかし、そのようなそれぞれの環境や事情が違っていても、その背後に、環境や事情を通して、主イエスが私たち一人ひとりを選び、ご自分のもとに呼んでくださったのです。私たちが自分の力で努力して、主イエス・キリストのことを知ったのではありません。自分に資格があったから洗礼を受けたのでもありません。私たちがこの世俗主義、物質主義の社会の中で信仰を保っているのは、ひとえに主イエスが私たちを選び、弟子として召しだし、ここまで導いてくださっているからです。  もちろん人によっては、昔の情熱が消えてしまい、いわば慣れ切った慣習のままに教会に通っているかもしれません。祈っても祈っても喜びを感じず、体力も気力もしだいに衰えていくばかりと思う人もいるかもしれません。仕事に疲れ、人間関係の複雑さに疲れ、人生にも疲れている人もいるかもしれません。人によっては加齢とともに心身のあちらこちらに不調が生じ、教会にくるのもむずかしくなっているかもしれません。しかし、そのようなときこそ思い起しましょう。神さまが力のない私たちを無償の愛をもって召しだし、ここに集めてくださったことを。第1朗読にあるように、私たちを「宝の民」と呼ばれ、あたかも鷲がひなを翼に乗せて運ぶように、試練を越えて導いてくださったことを。  そして何よりも主イエスが、私たち一人ひとりの救いのために、ご自分のいのちをささげてくださったことを思い起こしましょう。「世の終わりまでも、わたしはあなたがたとともにいる」と約束してくださったことを思い起こしましょう。たとえさまざまな失望の経験があり、心身ともに疲れているとしても、主がともにいてくださり、導いてくださるのです。落胆したり、失望したりしてはいけません。私たちは信仰をもって、よく祈り、よく休んで、また前に向かって歩むのです。こうして教会は、世界に福音の喜びと希望を運ぶのです。主の導きに応えることができるように、そのために互いに励ましあい、支えあうことができるように、力を願いましょう。アーメン。 - [ただで受けたのだから、ただで与えなさい](https://shimonosekicatholic.org/sunday-xi-ordinary-a-2026-hikoshima/): 年間第十一主日A年 みことばの典礼はこちら  皆さん、今日の福音の言葉、「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」。実は、このみ言葉は私にとって非常に特別なものです。私が他の二人の兄弟と共に司祭に叙階された時、私たちが選んだこの道の灯がまさにこの言葉でした。私たちの日常生活では、「何かをしたら、何かをもらう」というルールが普通ですが、神様の愛のルールは全く違います。それは見返りを求めない「ただで」という無償の愛のルールです。  他者に与える前に、まず私たちがどれほど神様に愛されているかを思い出しましょう。第一朗読の出エジプト記で、神様は「あなたがたは、私の聖なる民となる」と言われました。私たちが選ばれたのは、私たちが完璧だからではなく、神様がただ私たちを愛してくださったからです。パウロもローマの教会への手紙で、「私たちがまだ罪人であったとき、キリストは私たちのために死んでくださった」と書いています。私たちの命、家族、信仰、そして救いの恵みはすべて、私たちが神様から「ただで」いただいた贈り物なのです。  こんなにも大きな愛をいただいた私たちは、それを自分だけのものにしてはいけません。今日の福音で、主イエスは群衆を見て深く憐れまれました。そして弟子たちに、「病人を癒やし、死者を生き返らせ、悪霊を追い出しなさい」と使命をお与えになりました。今日、主イエスは私たちにも同じ使命を与えておられます。  私たちは体の大きな奇跡を起こせないかもしれませんが、「愛の奇跡」を起こすことはできます。家族の中で相手を赦すことで心の傷を癒やし、希望を失った人を励ますことでその人の心を生き返らせ、教会の中の悪口や分裂をなくすことで悪霊を追い出します。これらを、見返りを求めず、「ただで」行いましょう。  この「ただで与える」という呼びかけは、個人のためだけでなく、私たちの小教区全体の姿でもあります。このミサの後、教会宣教司牧評議会の集まりがあり、「シノドス」の精神で分かち合いを行います。「シノドス」とは「共に歩む」という意味です。本当に共に歩むために、私たちは「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」という言葉を生きる必要があります。教会のための奉仕に自分の時間と力を無償で捧げ、自分と違う意見にも批判せずに耳を傾ける忍耐を持ち、すべての役職は支配するためではなく奉仕するためのものだと理解することです。  今月は「イエスのみ心」の月です。私たちが本当に「ただで与える」愛を生きることができるよう、私たちの心を主イエスのみ心に合わせましょう。良き牧者である主イエスが、私たち一人ひとり、特に教会委員の皆さんに、ご自分と同じ深く憐れむ心を与えてくださるよう、ご一緒に祈りましょう。 主イエスよ、あなたの民の必要によって、私たち一人一人への愛に心を開いてくださいます。私たちが迷っているとき、あなたは私たちを気遣い、孤独の中で私たちに同情し、嘆き悲しんでいるとき、私たちを慰めてくださいます。私たちが自分自身を最も愛さないとき、あなたは私たちを最も愛してくださり、私たちが自分自身を最も赦さないとき、あなたは私たちを最も赦してくださいます。私たちの心を優しく謙虚なものにしてください。そうすれば、私たちは自分たちよりも恵まれない人々を思いやることができます。私たちの石の心を肉の心に置き換えてください。あなたのすべての人々、そしてあなたのすべての被造物の中にある善と美に私たちの目を開いてください。私たちをいつも赦す心で祝福してください。 イエスのみ心、あなたにすべての信頼を置きます。最も聖なるイエスのみ心よ、私たちをあわれんでください!アーメン。 - [今週の灯20260614](https://shimonosekicatholic.org/the-light-of-this-week-20260614/): ⛪ 6月:主イエスのみ心への祈り 年間第十一主日A年・みことばの典礼はこちら 今週のメッセージ:「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」 このみことばは福音の愛のルールを生きるよう私たちを招いています。神様から「ただで」愛され、救われたことを深く思い起こし、見返りを求めずに与えましょう。「イエスのみ心」の月である今、シノドスの精神で共に歩む私たちの小教区とすべての家庭が、日常生活の中で「愛の奇跡」を起こせますように。私たちの心が、深く憐れむ主イエスのみ心と同じになりますように。 百瀬神父様による説教はこちらです。 - [20260614彦島教会の週報](https://shimonosekicatholic.org/20260614-hikoshima-news/): 年間第11主日 A年 彦島カトリック教会   「収穫は多いが、働き手が少ない」  マタイによる福音書9章36節ー10章8節 みことばの典礼はこちら神父様の説教 🌸 6月14日(日)年間第11主日ミサ9:00 ・病者のために祈る日  ・地区宣教司牧評議会 ・臨時の宣教司牧評議会  ・聖体奉仕者の学習会14時(細江) 🌸 6月17日(水)聖書の分かち合い19:00 🌸 6月18日(木)ロザリオの祈り9:30           ミサ10:00 ・ロクスひよりやま清掃ボランティア 🌸 6月19日(金)キッチンカーボランティア 🌸 6月21日(日)年間第12主日ミサ9:00 ・留学生・実習生食糧支援  ・聖体奉仕者の学習会14時(細江) ☆ 信徒養成講座 「あたたかさのある教会を目指して」   講師 大西勇史神父 ・6月27日(土)13:00~ 防府教会  申込締め切り6月14日(日)です。 ☆ 彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。 食糧支援 次回7月19日の予定です。 ご支援をお願いします。 ☆ ポストのものは必ずお持ち帰りください。 溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。  これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆ 2026年6月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆ 広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年(6月) 掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。 - [一つのパン、一つの体](https://shimonosekicatholic.org/sunday-the-holy-body-and-blood-of-christ-2026/): キリストの聖体A年2026年 みことばの典礼はこちらです。  皆さん、今日、私たちは全世界の教会と共に、「キリストの聖体」の荘厳ミサをお祝いしています。実のところ、どのミサにおいても私たちは聖体の神秘をたたえていますが、母なる教会は、この驚くべき秘跡における神の愛を私たちがより深く見つめ、感謝するための特別な日を設けてくれました。  今日、ここ細江教会での私たちの喜びはさらに大きなものとなっています。なぜなら、共同体の一人の子供が初聖体を迎えるからです。長い間、カテキズム(教理)や使徒信条、主の祈りを熱心に学び、先週ゆるしの秘跡を受けたこの子は、今日、ついに聖体なるイエス様と完全に結ばれるのです。  今日この子を見ていると、私自身の初聖体の日の記憶がよみがえってきます。私が9歳の時のことです。その日、私はとても楽しみで、朝3時に起きて修道院に行き、準備をしました。ミサは朝の4時半からでした。その日、私と一緒に初聖体を受けた仲間は100人以上いました。私は一番背が小さかったので、シスターたちは私を一番前の列にしてくれました。  今でも、初めて主の御体に触れ、主イエスを自分の心にお迎えしたときの、胸が張り裂けるような感動を忘れることはできません。その瞬間、私はひざまずいて熱心に祈りました。9歳の子供の心に、深い喜びと平安が溢れ、包み込まれるのを感じたのです。  皆さん、私がこの思い出をお話ししたのは、皆さんのご自身の初聖体の日を思い出していただきたいからです。あの時のワクワクするような気持ち、主イエスを求める心、そして熱烈な愛を、今日の聖体拝領でも持ち続けているでしょうか?祭壇で聖別されたパンは、もはや普通のパンではなく、私たちの命の源であるキリストの御体、その血と肉となっているのです。  今日の聖書のみ言葉は、私たちの地上の旅路について思い出させてくれます。申命記には、イスラエルの民が荒れ野を旅した際、神様が彼らをマナで養ってくださったことが記されています。それは、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るすべてのみ言葉によって生きる」ということを教えるためでした。  今日、この地上の旅路において、主イエスはかつてのマナよりも優れた糧を私たちに与えてくださいます。主は言われます。「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。」(ヨハネ6:51)  しかし、聖体というパンは、個人の永遠の命を与えるだけでなく、共同体の一致、つまり「交わり」を築くものでもあります。先週の「三位一体」の主日では、神の愛の交わりを見つめるよう招かれました。そして今週、聖体の秘跡は、私たちがその交わりを生きるための道を示しています。  パウロは私たちにこう語りかけています。「パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。」(第一コリント10:17)。英語で「聖体拝領」を「Communion(コミュニオン)」と言いますが、これは「交わり」を意味し、一つのパン、一つの信仰、一つの愛を分かち合うことなのです。  皆さん、私の心には常に一つの切実な思いがあります。私たちの共同体は、信仰を守り伝えてきた人生の大先輩であるご年配の方が多くおられます。しかし時に、お互いを理解し合い、一つにまとまることに難しさを感じることもあるかもしれません。  もし心の中にわだかまりを持ったままなら、共に主の食卓に進み、一つのパンを分かち合うことが辛いでしょう。聖体の秘跡は、私たちに「犠牲」を通して交わりを生きるよう呼びかけています。主イエスご自身がまず模範を示してくださいました。私たちを養うパンとなるため、ご自身の命を捧げ、一粒の麦のように砕かれ、神様と私たち、そして私たち同士を和解させてくださったのです。  ですから、主の御体を受けるとき、私たちも自分自身の利己的な心を「砕く」よう招かれています。交わりとは、兄弟姉妹の違いを受け入れること、互いに尊重し合い、耳を傾け、何よりも赦し合うことです。その時初めて、私たちの小教区は、信仰が輝き、皆が分かち合いの心を持った、温かく愛に満ちた家族となるのです。  今日、私たちの共同体の子供が初めてキリストの聖体をお迎えします。今日のような純粋な心と平和な喜びをこの子がいつも持ち続けられるよう、皆で一緒にお祈りしましょう。この子が教会と完全に結ばれることを通して、私たち自身も互いの交わりを新たにすることができますように。  キリストの御体と御血が、私たちの弱さを補い、共同体の傷を癒してくださいますように。私たちが「一つのパン、一つの体」となり、共に神のみ旨を行い、この下関の地に愛を広げていくことができますように。 アーメン。 - [今週の灯20260607](https://shimonosekicatholic.org/the-light-of-this-week-20260607/): ⛪ 6月:主イエスのみ心への祈り キリストの聖体の主日A年・みことばの典礼はこちら キリストの聖体は、永遠の命の糧であるだけでなく、私たちに「交わり」を呼びかける愛のパンでもあります。もし心の中にわだかまりを持ったままなら、共に一つのパンを分かち合うことは辛いでしょう。今週は、私たちのためにご自身を砕かれた主イエスに倣い、自分の小さな利己心を手放してみませんか。互いの違いを受け入れ、赦し合い、歩み寄る小さな犠牲を通して、ここ私たちの教会がさらに温かい「一つの体」となりますように。 - [彦島教会の週報20260607](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260607/): キリストの聖体 A年 彦島カトリック教会  「このパンを食べる者は永遠に生きる」 ヨハネによる福音書6章51-58節 みことばの典礼はこちら神父の分かち合い 🌸 6月 7日(日)キリストの聖体ミサ9:00 ・聖体授与の臨時の奉仕者の学習会14時(細江) 🌸 6月 9日(火)下関協働体委員会19:00 🌸 6月10日(水)聖書の分かち合い19:00 🌸 6月11日(木)ロザリオの祈り9:30   イエスのみ心のミサ10:00 ・聖バルナバ使徒(記念) ・学習会 🌸 6月12日(金)イエスのみ心(祭日) 🌸 6月13日(土)聖母マリアの汚れなき心(記念) 🌸 6月14日(日)年間第11主日ミサ9:00 ・病者のために祈る日 ・地区宣教司牧評議会 ・臨時の宣教司牧評議会  ・聖体授与の臨時の奉仕者の学習会14時(細江) ☆ 信徒養成講座 「あたたかさのある教会を目指して」  講師 大西勇史神父 ・6月27日(土)13:00~  防府教会 申込締め切り6月14日(日)です。 ☆ 彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。 食糧支援 次回6月21日の予定です。 ご支援をお願いします。 ☆ ポストのものは必ずお持ち帰りください。 溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。  これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆ 2026年6月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆ 広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年(6月) 掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。 - [Pope Intention 202606](https://shimonosekicatholic.org/pope-intention-202606/): 6月の教皇の意向 スポーツの価値スポーツが、国家間や異文化間の平和、出会 い、対話の道具となり、尊厳、連帯、個人の成長といった価値を高めるものとなりますように。 日本の教会の意向: 教皇教皇レオ14世のために祈ります。教会に与えられた牧者が、神の恵みに満たされて、教会と世界の善のために奉仕していくことができますように。 ⛪ 今月の祈りと教皇のビデオはこちら - [三位一体の主日(2026年・細江)](https://shimonosekicatholic.org/trinity-2026-hosoe/): みことばの典礼はこちら  皆さん、 毎年、三位一体の主日を迎えるたびに、教会は難しい神学の説明を求めているのではありません。むしろ、「神は交わりそのもの」であるという神秘を味わい、その光を私たちの共同体の生活に照らすよう招いています。神が交わりであるなら、神の交わりから生まれた教会もまた、世界の中で一致と愛のしるしとなるように招かれているのです。  しかし現実を見ると、教会の中にも対立や分裂、心の傷が存在します。私たちの小さな共同体の中にも、時には誤解や、心を痛める言葉、なかなか埋まらない距離が生まれることがあります。だからこそ、今日の神のことばは力強く呼びかけます。「あなたたちは本来、交わりの民なのだ」と。私たちは本来三位一体の神の交わりの民なのだ。三位一体の神秘の中に、そのアイデンティティが刻まれているのです。  第一朗読の『出エジプト記』では、父である神の姿が示されます。「憐れみ深く、恵みに富み、怒るに遅く、まことに満ちている神」。これは遠く離れた神ではなく、いつも人間に寄り添い、辛抱強く、関係を回復しようと先に歩み寄ってくださる神です。交わりはここから始まります。忍耐、ゆるし、そして自分から一歩踏み出す心です。神が私たちにそうしてくださるなら、私たちも互いにそのように生きるよう招かれています。  福音書では、御子イエスの姿が示されます。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」。神の愛は言葉だけではなく、具体的な行動となりました。イエスは人となり、私たちの間に住み、命を捧げ、神と人との間に新しい一致の道を開いてくださいました。交わりとは、ただ相手を受け入れるだけではありません。自分の「我」を手放し、誰かのために犠牲を払う勇気でもあります。与えることなしに、交わりは生まれることができないと思います。  第二朗読でパウロは、聖霊の働きを示します。「喜びなさい。完全な者となりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにし、平和に暮らしなさい」。これは単なる道徳的なアドバイスではありません。聖霊が働くための条件です。心を開き、互いの良いところを探し、個人の好みより共同体の益を優先するとき、聖霊は私たちを一つにしてくださいます。聖霊がおられるところには、平和と一致と喜びが生まれます。  三つの朗読を合わせてみると、はっきり分かりますね。交わりとは、きれいな理想ではなく、具体的な生き方です。父からは忍耐とあわれみを、子からは与える愛と犠牲を、聖霊からは平和と一致を学びます。  私たちの共同体を振り返ると、時に「自分」が大きくなりすぎてしまうことがありますでしょうか。小さな傷が大きな壁になり、何気ない言葉が交わりを壊してしまうこともありますでしょうか。しかし三位一体の主日は思い出させてくれます。教会は完璧な人の集まりではなく、交わりの神に似た者となるよう招かれている旅の仲間なのだと。  だからこそ、この神秘はただ口で告白するだけではなく、生活の中で生きるものです。自分の殻を破り、心を開き、聖霊にゆだね、壊れた関係をつなぎ直す勇気を持つこと。違いを愛し、傷をゆるし、互いの幸せを願うとき、私たちの共同体は「神の家族」の姿を映し出すことができます。  そして今日は、ちょうど5月31日、聖母マリアのエリサベト訪問の記念日でもあります。マリアは御使いの知らせを受けると、「急いで」エリサベトのもとへ向かいました。喜びを分かち合い、助けを必要とする人のそばに寄り添い、平和と聖霊の喜びを運びました。マリアはまさに、三位一体の交わりを生きた人です。自分から出て、相手のもとへ行き、喜びと命を届ける人でした。  ですから今日、私たちはマリアに祈りましょう。 どうか私たちが「自分中心」から解放され、互いに歩み寄ることができますように。どうか謙遜に、優しく、平和をつくる者となれますように。どうか聖霊の喜びを、私たちの共同体に満たしてくださいますように。  三位一体の神が望まれる「交わりの心」を、マリアの取り次ぎによって私たちが生きることができますように。 アーメン。 - [今週の灯20260531](https://shimonosekicatholic.org/the-light-of-this-week-20260531/): 三位一体の主日A年・みことばの典礼はこちら 教会は完璧な人の集まりではなく、交わりの神に似た者となるよう招かれている旅の仲間なのです。違いを愛し、傷をゆるし、互いの幸せを願うとき、私たちの共同体は「神の家族」の姿を映し出すことができます。 三位一体の神が望まれる「交わりの心」を、マリアの取り次ぎによって私たちが生きることができますように。 アーメン。 - [20260531彦島週報](https://shimonosekicatholic.org/20260531-hikoshima-news/): 三位一体の主日 A年 彦島カトリック教会   「その独り子をお与えになったほどに・・・」 みことばの典礼はこちら 🌸 5月31日(日)三位一体の主日 ミサ9:00 🌸 6月 1日(月)聖ユスティノ殉教者(記念) 🌸 6月 3日(水)聖書の分かち合い19:00  ・聖カロロ・ルワンガと同志殉教者(記念) 🌸 6月 4日(木)ロザリオの祈り9:30          ミサ10:00  ・ヨゼフカフェ 🌸 6月 5日(金)聖ボニファツィオ司教殉教者(記念) 🌸 6月 6日(土)信徒養成講座(長府) 🌸 6月 7日(日)キリストの聖体ミサ9:00 ☆ 彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。  食糧支援次回6月21日の予定です。  ご支援をお願いします。 ☆ ポストのものは必ずお持ち帰りください。  溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。   これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆ 2026年 6月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆ 広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年(6月) 掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。 - [彦島教会の週報20260524](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260524/): 聖霊降臨の主日A年  彦島カトリック教会   「聖霊を受けなさい」 ヨハネによる福音書20章19-23節 みことばの典礼はこちら神父の説教 🌸 5月24日(日)聖霊降臨の主日ミサ9:00 🌸 5月25日(月)教会の母聖マリア(記念) 🌸 5月26日(火)聖フィリポ・ネリ司祭(記念) 🌸 5月27日(水)聖書の分かち合い19:00 🌸 5月28日(木)ロザリオの祈り9:30          ミサ10:00 ・学習会 🌸 5月31日(日)三位一体の主日ミサ9:00 ☆ 彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。 食糧支援 次回6月21日の予定です。 ご支援をお願いします。 ☆ ポストのものは必ずお持ち帰りください。 溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。  これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆ 2026年5月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆ 広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年(5月)  掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。 - [聖霊降臨の主日A年・2026年・彦島](https://shimonosekicatholic.org/sunday-pentecost-a-2026-hikoshima/): みことばの典礼はこちら  初めに、神は天地を創造された。 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。聖霊降臨?  今日の福音では、主イエスが昇天する前に弟子たちに聖霊を与え、彼らに使命を託します。それは「週の初めの日」、すなわち聖金曜日の後の日、復活の日です。主イエスの弟子たちは、閉ざされた扉の背後で恐怖に怯えています。主イエスの同僚として逮捕やさらなる困難に直面するのではと恐れていたのです。突然、主イエスが彼らの前に現れます。主イエスは通常のユダヤ人の挨拶「シャローム」を与えますが、ここではその意味が非常に深いです。希望(「平和があなたと共にあるように」)として解釈されることもあれば、より真実として(「平和はあなたと共にある」)取られることもあります。主イエスの存在の中で、私たちは主イエスだけが与えることのできる平和を体験します。  弟子たちが、ついさっきまで怯えていたのに、喜びに満たされるのも無理はありません。主イエスの存在はいつでも平和と喜びを伴います。  主イエスは彼らに息を吹きかけます。ギリシャ語では「息」も「霊」も同じ言葉(プネウマ)です。この息は、神がアダムに息を吹きかけて最初の人間を創造したことを思い起こさせます。ここでも再び創造が行われ、弟子たちはパウロがその書簡で述べる「新しい人」として再創造されます。その「新しい人」は、主イエスの霊に満たされ、主イエスの働きを続ける使命を受けています。  聖霊が私たちの人生に与える影響は何でしょうか?それはパウロのコリントの第一の手紙からの第二朗読で非常によく表現されています。まず、パウロは、私たちが主イエスを「主」と呼ぶことができるのは、聖霊があるからだと言います。「聖霊によらなければ、誰も『主イエスは主』と言うことはできません。」  主イエスを「主」と呼ぶことは、単に言葉を口にすることではなく、主イエスが誰であるかへの真実の信仰を含み、その証明は私たちの生き方に表れるでしょう。  次に、聖霊は、コミュニティの各メンバーが受け取る特別な賜物(または「カリスマ」)の源泉です。賜物を与える源は一つ—神の霊—であり、それが賜物を受け取る者たちを一つのコミュニティへと結びつけます。しかし、賜物の種類は非常に多様です。賜物は個人的な恩恵として与えられるものではなく、むしろコミュニティの必要に応じて奉仕するための特別な能力として与えられます。私たちはそれぞれの賜物を使って、自分の属するコミュニティを築き上げるために協力しなければなりません。  私たちは数多くいますが、聖霊の働きによって私たちは一つの体、実際にはキリストの体となります。  私たちはその霊をいただき、自分の言葉と模範によって他者をその霊の共有へと招きます。聖霊の賜物は私たち自身のものではなく、共有するためのものです。聖霊が降臨した後、弟子たちは与えられたものに浸かるためにその部屋に留まることはありませんでした。彼らは神がどれほど皆を愛し、皆がその愛を体験して欲しいと願っているかを世界に伝えるために飛び出しました。神は人々を解放し、霊の中で無限に開花することを望んでいます。  聖霊の7つの賜物:上智、聡明、賢慮、勇気、知識、孝愛、主への畏敬。聖霊が、これらをキリスト者に「賦与する」んだ。言い換えると、聖霊はキリスト者に生来の能力を超えた特別な力を授け、この世で神の特別な道具となるチャンスをお与えになるんだ。(YouCat310)  聖霊の実とは、愛、喜び、平和、忍耐、親切、善意、寛容、柔和、誠実、謙遜、節制、貞潔(ガラ5.22-23参照)だよ。(YouCat311) 🌸 聖霊の続唱 聖霊来てください。あなたの光の輝きで、わたしたちを照らしてください。 貧しい人の父、心の光、証の力を注ぐ方。やさしい心の友、さわやかな憩い、ゆるぐことのないよりどころ。苦しむ時の励まし、暑さの安らい、憂いの時の慰め。恵み溢れる光、信じる者の心を満たす光よ。 あなたの助けがなければ、すべてははかなく消えてゆき、だれも清く生きてはゆけない。 汚れたものを清め、すさみをうるおし、受けた痛手をいやす方。固い心を和らげ、冷たさを温め、乱れた心を正す方。 あなたのことばを信じてより頼む者に、尊い力を授ける方。あなたはわたしの支え、恵みの力で、救いの道を歩み続け、終わりなく喜ぶことができますように。アーメン。 典352「聖霊の続唱」(カトリック中央協議会) - [20260524今週の灯](https://shimonosekicatholic.org/20260524-the-light-of-this-week/): 聖霊降臨の主日A年・みことばの典礼はこちら 聖霊は、私たちをキリストにおける「新しい人」へと造り変えてくださいます。 その息は、平和と喜び、そして主イエスだけが与えることのできるいのちを私たちの内に吹き込みます。聖霊によって、私たちは主イエスを「主」と告白し、与えられた賜物を自分のためではなく、共同体を築くために用いる者となります。 今週、私たちは聖霊の実愛、喜び、平和、忍耐、親切、善意、柔和、忠実、謙遜、節制を心に刻み、どこにいても、私たちのうちに働く神の息吹を人々が感じられるように生きていきます。 - [今週の灯20260517](https://shimonosekicatholic.org/20260517-the-light-of-this-week/): 主の昇天A年・みことばの典礼はこちら 主の昇天は、主イエスが私たちから離れていく出来事ではなく、もっと深く、もっと力強く共にいてくださることを示す恵みです。主は天に上げられ、聖霊を通して私たちのうちに働いておられます。 今週、私たちはこの真理を心に刻みましょう。 見えなくても、主は共におられます。 弱さの中にも、主の力が働いています。 そして、私たちは主から託された使命を生きる者です。 この5月、聖母マリアのように心を開き、聖霊の息吹を受けましょう。 小さな日常の中で、愛と希望の証し人として歩むことができますように。 - [彦島教会週報20260517](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260517/): 主の昇天 A年 彦島カトリック教会   「行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」  マタイによる福音書28章16-20節 みことばの典礼はこちら去っていくように見えて、もっと近くにおられる主 | 神父の話 | 下関のカトリック教会 🌸 5月17日(日)主の昇天ミサ9:00  ・留学生・実習生食糧支援 🌸 5月20日(水)聖書の分かち合い19:00 🌸 5月21日(木)ロザリオの祈り9:30           ミサ10:00  ・ロクスひよりやま清掃ボランティア 🌸 5月24日(日)聖霊降臨の主日ミサ9:00 ☆ 彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。 食糧支援 次回6月21日の予定です。 ご支援をお願いします。 ☆ ポストのものは必ずお持ち帰りください。 溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。  これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆ 2026年5月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆ 広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年(5月) 掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。  - [去っていくように見えて、もっと近くにおられる主](https://shimonosekicatholic.org/sunday-ascension-a-2026-hosoe/): 主の昇天A年2026年細江教会 みことばの典礼はこちら  兄弟姉妹の皆さん、今日、私たちは主の昇天をお祝いしています。この出来事は、主イエスが私たちから離れていく日ではありません。むしろ、主イエスが新しい仕方で、もっと深く、もっと力強く、私たちと共にいてくださることを示す日です。  復活節の間、私たちは、復活された主が「新しい世界」と「新しい民」を造り出しておられる姿を見てきました。空っぽの墓は、死が終わりではないという新しい世界の始まりを示しました。そして、息を吹きかけて弟子たちに聖霊を与えられた主は、恐れに閉じこもっていた弟子たちを、勇気ある宣教者へと造り変え、新しい民を生み出されました。  そして今日の昇天の出来事の中で、主イエスは「人としての地上の使命」を終えられます。私たちと同じように歩き、食べ、涙を流し、苦しみを受けられたそのお姿は、ここで一つの区切りを迎えます。しかし、神としての主イエスの働きは終わりません。むしろ、ここから新しい形で始まります。主イエスは天に上げられ、時間や空間に縛られない、神としての完全な現存へと入っていかれます。  使徒言行録はこう語ります。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」。主イエスは去っていかれるのではなく、聖霊を通して、弟子たちと、そして私たちと共に歩む新しい時代を開かれたのです。  エフェソの手紙でパウロは、「神はキリストを御自分の右の座に着かせられた」と語ります。「右の座」とは、力と栄光の象徴です。つまり、主イエスは今、すべてを治め、すべてを導き、私たち一人ひとりのために執り成しておられるということです。私たちの弱さも、涙も、祈りも、すべてを抱えて、父である神の前に立っていてくださいます。  今日の福音で主イエスは弟子たちに言われます。「行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」。これは弟子たちだけに向けられた言葉ではありません。今を生きる私たちにも向けられた言葉です。しかし、主イエスはただ命令するだけではありません。その前に、「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」と言われ、そして最後にこう約束されます。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。  これこそが昇天の核心です。主イエスは「去っていく」ように見えて、実は「もっと深く共にいてくださる」。姿は見えなくても、力は以前よりも強く、近く、確かに働いておられる。これが、主の昇天の恵みです。  そして、兄弟姉妹の皆さん、今は5月、教会が特別に聖母マリアに心を向ける月です。主イエスが天に上げられた後、弟子たちは不安と期待の中で祈り続けました。その真ん中に、聖母マリアがおられました。母として、信仰の模範として、弟子たちを支え、励まし、共に祈っておられました。  私たちも同じです。主から使命を受け、日々の生活の中で福音を生きようとするとき、私たちはしばしば弱さを感じます。勇気が出ない時もあります。先が見えない時もあります。そんな私たちのそばに、聖母マリアは静かに寄り添ってくださいます。「主はあなたと共におられる」と告げられた聖母マリアは、今、私たちにも同じことを教えてくださいます。「恐れなくていい。主はいつもあなたと共におられる」と。  兄弟姉妹の皆さん、主の昇天は、私たちに三つのことを思い起こさせます。第一に、主は遠く離れたのではなく、もっと深く、もっと力強く共にいてくださるということ。第二に、私たちは主から使命を託されているということ。そして第三に、私たちは決して一人ではないということ。主が共におられ、聖母マリアが私たちを支えてくださる。 どうかこの恵みのうちに、私たち一人ひとりが、主の愛と希望の証し人として歩むことができますように。アーメン。 - [復活節第六主日2026年(彦島)](https://shimonosekicatholic.org/sunday-6-easter-hikoshima-2026/): みことばの典礼はこちら 兄弟姉妹の皆さん、 今日の福音の中で主イエスは、別れの時が近づく弟子たちに向かって、深い愛に満ちた約束を語られます。「わたしは父にお願いし、もう一人の弁護者を遣わして、いつまでもあなたがたと共にいるようにする。…わたしはあなたがたをみなしごにはしない」。この言葉は、弟子たちだけでなく、今日を生きる私たち一人ひとりに向けられた、慰めと希望に満ちた約束です。 しかし主イエスは同時に、聖霊を受けるための道を示されます。「もしあなたがたがわたしを愛するなら、わたしの掟を守る」。主イエスを愛するとは、単なる感情ではなく、主イエスのように生きようとする決意です。敵をも愛し、傷ついた人を癒し、貧しい人に寄り添い、そして第一朗読のフィリポのように、誰に対しても心を開いて福音を伝えること。第二朗読でペトロが語るように、たとえ苦しみが伴っても、善を選び続けること。こうした生き方の中にこそ、聖霊が働き、私たちの心に住んでくださいます。 私たちの人生には、孤独や失敗、疲れ、落胆、悲しみが押し寄せる時があります。祈っても答えが見えない時、誰にも理解されないと感じる時、自分が小さく弱く思える時があります。そんな時こそ、主イエスの言葉を静かに思い起こしたいのです。「わたしはあなたがたをみなしごにはしない」。この約束は、どんな闇の中でも消えることのない光です。聖霊は、私たちの内に住み、慰め、導き、真理へと歩ませてくださいます。 そして今は、5月、聖母マリアに特別な思いを向ける月です。主イエスが「あなたがたをみなしごにはしない」と約束されたその実現の一つが、十字架の下で私たちに与えられた聖母マリア、母としての役割です。「見よ、あなたの母だ」。聖母マリアは、救いの計画の最初から聖霊と共に歩み、教会の始まりの時にも弟子たちと共に祈り、聖霊降臨を迎えました。教会は聖母マリアの祈りに包まれながら生まれ、そして今も聖母マリアの保護のもとに歩んでいます。 私たちもまた、聖母マリアの子として、決して一人ではありません。聖母マリアは、私たちが弱る時には励まし、迷う時には導き、苦しむ時にはそっと寄り添い、そしていつも私たちを主イエスへと導いてくださいます。聖母マリアは、主イエスの約束「みなしごにはしない」を、母としての優しさで具体的に示してくださる方です。 この花の月に、私たちはロザリオを唱え、花を捧げ、聖母マリアに心を向けます。その祈りの中で、聖母マリアが私たちのために聖霊を願い求めてくださるように祈りましょう。教会が真理の霊に導かれ、分裂ではなく一致へと歩むことができるように。私たち一人ひとりが、主イエスの掟である愛を生き、周りの人々に神の優しさを証しする者となれるように。疲れた心に聖霊の慰めが注がれ、希望の火が再び灯されるように。 兄弟姉妹の皆さん、主イエスは決して私たちを見捨てません。聖霊はいつも共にいてくださいます。そして聖母マリアは、母として私たちを包み、守り、導いてくださいます。この確かな支えの中で、私たちが日々の歩みを新たにし、愛の証し人として生きることができますように。 また、教皇レオ十四世が5月8日、就任一周年を迎えられたことを心からお祝いし、その上に豊かな祝福と聖霊の導きが続くよう祈ります。 そして今日は「母の日」です。すべてのお母さんに、神様の恵みと平和が豊かに注がれますように。家庭を支え、愛を注ぎ続けるお母さん方に、心からの感謝と祝福をお祈りいたします。 - [20260510彦島週報](https://shimonosekicatholic.org/20260510-hikoshima-news/): 復活節第6主日A年 彦島カトリック教会   「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」 ヨハネによる福音書14章15-21節 みことばの典礼はこちら今週の分かち合い 🌸 5月10日(日)復活節第6主日ミサ9:00  ・病者のために祈る日  ・宣教司牧評議会  ・世界広報の日(献金) 🌸 5月13日(水)聖書の分かち合い19:00 🌸 5月14日(木)ロザリオの祈り9:30 ミサ10:00  ・聖マチア使徒(祝日)  ・学習会 🌸 5月15日(金)キッチンカーボランティア 🌸 5月16日(土)キリシタン至福の里 野外ミサ 🌸 5月17日(日)主の昇天ミサ9:00  ・留学生・実習生食糧支援 ☆ 彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。 食糧支援 次回6月21日の予定です。 ご支援をお願いします。 ☆ ポストのものは必ずお持ち帰りください。 溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。  これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆ 2026年5月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆ 広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年(5月)  掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。 - [今週の灯20260510](https://shimonosekicatholic.org/the-light-of-this-week-20260510/): 復活節第六主日A年 今週、私たちは主イエスの「わたしはあなたがたをみなしごにはしない」という約束を胸に、聖霊と聖母マリアの導きのうちに歩んでいきたいと思います。どんな時も主は共におられ、聖母マリアは母として私たちを包み、主イエスへと導いてくださいますように。愛の掟を生き、出会う人々に神の優しさを届ける一週間となりますように。 また、教皇レオ十四世が5月8日、就任一周年を迎えられたことを心からお祝いし、その上に豊かな祝福と聖霊の導きが続くよう祈ります。 そして今日は「母の日」です。すべてのお母さんに、神様の恵みと平和が豊かに注がれますように。家庭を支え、愛を注ぎ続けるお母さん方に、心からの感謝と祝福をお祈りいたします。 - [彦島週報20260503](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-news-20260503/): 復活節第5主日 A年 彦島カトリック教会   「わたしの父の家には住む所がたくさんある」 ヨハネによる福音書14章1-12節  みことばの典礼はこちら 分かち合いのことば ・ 5月3日(日)・復活節第5主日 集会祭儀9:00 ・乙女峠まつり(津和野) ・ 5月6日(水)・聖書の分かち合いはありません。 ・ 5月7日(木)・ロザリオの祈り9:30      ミサ10:00  ・ヨゼフカフェ ・ 5月10日(日)・復活節第6主日ミサ9:00 ・病者のために祈る日 ・宣教司牧評議会 ・世界広報の日 ☆三教会お楽しみ会 5月16日(土)  9:30~ 長府カトリック教会 ・参加申込締め切り:5月 9日(土) 参加費大人200円 子ども100円 ☆彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。 食糧支援 次回 5月17日の予定です。ご支援をお願いします。 ☆ポストのものは必ずお持ち帰りください。 溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。 これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆2026年 5月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年(5月) 掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。 - [生きた石](https://shimonosekicatholic.org/2026-sunday-6-easter-a/): 復活節第六主日(彦島2026年5月3日) みことばの典礼はこちら  皆さん、  今日は、広島教区全体で津和野の乙女峠における殉教者の方々を記念する日です。教区の司祭や多くの信徒の皆さんが現地で記念ミサにあずかっていますが、私たちもここで心を合わせ、天の教会、広島教区、そして乙女峠で祈っている兄弟姉妹と深く結ばれています。乙女峠の殉教者たちが迫害のただ中で苦しんでいたとき、神さまは聖母マリアを遣わし、彼らを慰め、信仰を強めてくださいました。今日の私たちもまた、信仰を生きることが難しい時代の中で、同じように主と聖母のまなざしを願い求めています。どうか主が、広島教区を、私たちの小教区を、そして一人ひとりの信仰を支え、力づけてくださいますように。  今日の福音では、弟子たちが主イエスに「父をお示しください」と願い求めます。この願いは、すべての人間の心にある深い渇きでもあります。神を見たい、真理に触れたい、いのちの源に出会いたいという思いです。主イエスはその願いに応えて、「私を見た者は、父を見たのだ」と語られます。主イエスご自身が、父へと至る道であり、真理であり、いのちそのものです。乙女峠の殉教者たちは、この言葉を心の奥深くで信じていたでしょう。飢えや寒さ、孤独や屈辱の中でも、彼らは信仰の目で主を見つめ続けました。だからこそ、最後まで揺らぐことなく歩むことができたのです。私たちもまた、日々の生活の中でさまざまな不安や困難に直面しますが、主はいつも私たちと共におられます。「主を見たい」という願いを心の中で育て続け、日常の小さな出来事の中にも主の働きを見いだすことができますように。  第一朗読では、使徒たちが七人の助祭を選び、共同体の奉仕を任せる場面が語られます。信徒が増え、教会が成長する中で、み言葉の典礼だけではなく、具体的な奉仕が必要になったからです。教会は神の言葉によって育ち、互いに仕える愛によって強められます。主イエスは「道・真理・いのち」であると同時に、弟子の足を洗われた「仕える主」でもあります。主に結ばれて生きるとは、主のように仕える者となることです。聖ペトロは、私たち一人ひとりを「生きた石」と呼びます。それぞれの賜物、置かれた場所、日々の小さな働きや祈りが、教会という家を形づくっています。乙女峠の殉教者たちは、命をもって「生きた石」となりました。私たちは、日常の中での小さな奉仕、忍耐、優しさ、祈りによって「生きた石」となるよう招かれています。  乙女峠の殉教者を記念するこの日に、私たちは主に二つの恵みを願い求めたいと思います。主を見たいと願う心、そして主に倣って仕える心です。聖母マリアが殉教者を支えたように、今日の私たちの信仰も守り、導いてくださいますように。広島教区と私たちの小教区が、愛と奉仕に満ちた「生きた石」の共同体として成長していくことができますように。 - [Pope Intention 202605](https://shimonosekicatholic.org/pope-intention-202605/): 5月の教皇の意向 すべての人に食べ物を大規模な生産者から一人ひとりの消費者に至 るまで、すべての人が食品ロスの削減に取り組むことによって、誰もが良質な食べ物にあずかることができますように。 日本の教会の意向: 子どもたち子どもたちのために祈ります。ネ申、そして多 くの人たちとのつながりの中で、子どもたちが愛されていることを実感することができますように。 今月の祈りと教皇のビデオはこちら - [復活節第四主日2026年彦島](https://shimonosekicatholic.org/sunday-4-easter-2026-hikoshima/): みことばの典礼はこちら  皆さん、今日の福音の中で主イエスはこう語られます。「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」(ヨハネ10・10)。主イエスは、ただ生きるだけではなく、私たちが「豊かに生きる」ことを望んでおられます。その豊かさとは、安心、赦し、希望、愛、そして神に守られているという深い平和です。  しかし、私たちは日々の生活の中で、その豊かさをどれほど味わっているでしょうか。心が乾き、疲れ、迷い、孤独を感じるとき、私たちは本当に善き羊飼いの声に耳を傾けているでしょうか。あるいは、別の声に心を奪われてはいないでしょうか。  主イエスはさらに言われます。「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる」(ヨハネ10・9)。主イエスご自身が、私たちを命へと導く唯一の門です。その門を通るとは、主イエスの生き方――愛し、赦し、仕える道――を選ぶことです。  日本の教会の現実には約5500人の司祭・修道者がいますが、国全体から見ればとても小さな群れです。多くの修道院や教会施設が閉鎖され、新しい召命が長い間与えられていない共同体もあります。それでも、残された司祭・修道者たちは、与えられた使命を守り続け、しばしば限界を超えて働き続けています。  その中で、疲れ果て、孤独を抱え、自分の召命の意味を見失いそうになる人もいます。では、私たちは彼らのために何ができるでしょうか。彼らを支えるために、どのような祈りを捧げることができるでしょうか。  年配の司祭方(アルティリヨ神父や林神父、百瀬神父など)のお姿を思い浮かべるとき、私はふと、フィリピン出身のガビネテ神父の言葉を思い出しました。司祭には、休暇や小旅行では癒されない種類の疲れがあると。司祭は多くの場合、ただ耳を傾け、相談に乗り、人々の絶望、怒り、悲しみ、行き場のない思いを知らず知らずのうちに受け止めています。人々が司祭を「希望の支え」「慰めの源」と見ているからこそ、司祭はその苦しみに対して脆くならざるを得ません。  しかし司祭もまた、弱さを抱えた一人の人間です。自分の葛藤、傷、限界を抱えています。そして忙しさの中で、力の源である主イエスから無意識に離れてしまうことがあります。そのとき、どうしようもない深い疲れが生まれるのです。  ガビネテ神父は、さらにこう願っています。司祭が不機嫌そうに見えるとき、少しだけ理解してほしい。一人で寂しそうにしていたら、祈りのうちに思い起こしてほしい。そして、「お元気ですか?」の一言が、どれほど大きな励ましになるか計り知れない。そして何より、司祭が祈りの時間を取り戻せるよう祈ってほしいと。祈りこそが、司祭の疲れを癒す唯一の道だからです。  善き羊飼いである主を祝うこの日に、ベトナムの多くの教会では、召命を紹介するための大きな「祭り」のような雰囲気になります。さまざまな修道会の服を着た子どもたちが祭壇の前に立ち、とても可愛らしい姿で皆を和ませます。多くの修道会が代表者を送り、自分たちの会の霊性や使命について紹介し、特に子どもたちや若者たちに語りかけます。そのような雰囲気の中で、小さな頃から『自分もいつか主に人生を捧げたい』と願い始める子どもたちが少なくありません。どうか私たち一人ひとりが、子どもたちや若者たちにとって信仰の良い模範となり、将来、教会に仕える司祭・修道者の召命が育まれていきますように。  皆さん、善き羊飼いである主イエスに願いましょう。司祭・修道者が再び祈りの喜びを取り戻せますように。召命を求める若者が、勇気をもってキリストの門を選べますように。そして私たち自身が、主イエスの声を聞き分け、その愛の道を歩むことができますように。  主が与えてくださる「豊かな命」を、私たちが受け取り、また周りの人へと分かち合うことができますように。アーメン。 - [20260426 彦島週報](https://shimonosekicatholic.org/20260426-hikoshima-news/): 復活節第4主日A年 彦島カトリック教会   「わたしは羊の門である」  ヨハネによる福音書10章1-10節みことばの典礼はこちら 🌸 4月26日(日)復活節第4主日 ミサ9:00  ・世界召命祈願の日  ・長府カトリック教会バザー10:45~14:00 🌸 4月29日(水)聖カタリナ(シエナの)おとめ教会博士(記念)  ・サビエルフェスタ(山口) 🌸 4月30日(木)ロザリオの祈り9:30 ミサ10:00 🌸 5月 2日(土)聖アタナシオ司教教会博士(記念) 🌸 5月 3日(日)復活節第5主日 集会祭儀9:00  ・乙女峠まつり(津和野) ☆ 三教会お楽しみ会 5月16日(土)9:30~長府カトリック教会 ・参加申込締め切り:5月 9日(土)  参加費大人200円 子ども100円 ☆ 彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。 食糧支援 次回 5月17日の予定です。 ご支援をお願いします。 ☆ ポストのものは必ずお持ち帰りください。 溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。  これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆ 2026年 5月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆ 広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年(5月) 掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。  - [20260419彦島週報](https://shimonosekicatholic.org/20260419-hikoshima-news/): 復活節第3主日 A年 カトリック彦島教会   「二人の弟子が、・・・エマオという村へ・・・」 ルカによる福音書24章13-35節 みことばの典礼はこちら神父様よりの説教 🌸 4月19日(日)復活節第3主日ミサ9:00  ・留学生・実習生食糧支援 🌸 4月22日(水)聖書の分かち合い19:00 🌸 4月23日(木)ロザリオの祈り9:30 ミサ10:00  ・学習会 🌸 4月25日(土)聖マルコ福音記者(祝日) 🌸 4月26日(日)復活節第4主日 ミサ9:00  ・世界召命祈願の日 ☆ ヨハネ福音書にみる祈りへの手引き   指導:百瀬文晃神父(イエズス会) ・参加申込締め切り:4月21日(火)必着 ☆ 彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。 食糧支援 次回 5月17日の予定です。 ご支援をお願いします。 ☆ ポストのものは必ずお持ち帰りください。 溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。  これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆ 2026年4月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆ 広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年(4月)  掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。  - [細江・復活節第三主日・2026年](https://shimonosekicatholic.org/easter-3-sunday-20260419-hosoe/): みことばの典礼はこちら  皆さん、私たちの人生のどんな一歩にも、主は必ず寄り添ってくださるという今日の福音書のテーマです。時には、孤独を感じたり、祈っても答えがないように思えたり、苦しみの中で神様が遠くにいるように感じることがあります。しかし、主は決して私たちを見捨てることはありません。沈黙の中でも、涙の中でも、主はそっと共に歩んでおられます。  今日の福音に登場するエマオへ向かう二人の弟子たちも、まさにそのような状態でした。希望を失い、心は重く沈み、未来が見えなくなっていました。彼らは失望の道を歩いていました。しかし、その道こそ、復活されたイエスが近づいてくださった道でした。  今の世界を見ても、心が重くなる出来事が続いています。イランや中東の緊張は依然として続き、ウクライナでは戦争が終わらず、ミャンマーでは内戦が深刻化し、アフリカの多くの国々では政治的・経済的な不安定が続いています。日本と中国の関係も難しい状況にあり、そして私たちの身近なところでも、京都にある11歳の子どもが父親によって命を奪われるという痛ましい事件が起こり、多くの人が深い悲しみと不安を抱えています。  このような現実の中で、弱い立場の人々を守り、人間の尊厳と命の価値を語り続ける教皇レオ十四世は、しばしば権力を持つ人々から批判や侮辱を受けています。しかし、教皇様は誰かと争うためではなく、福音の真理を語り、平和と対話の道を示し続けています。私たちもその思いに心を合わせたいと思います。  ここで、エマオの弟子たちの姿にもう一度目を向けてみましょう。二人の弟子たちは、深い悲しみの中にありながらも、見知らぬ旅人に親切に接し、話に耳を傾け、そして家に招き入れました。その小さな優しさが、復活された主との出会いへとつながりました。私たちはこの二人の弟子から何を学ぶことができるでしょうか。困難や逆境の中で、どのようにして前に進む力を取り戻すことができるのでしょうか。心が揺れ動くとき、どのようにして本当の平和を受け取ることができるのでしょうか。  彼らの姿は、私たちに大切なことを教えてくれます。どんなに心が沈んでいても、他者に対して心を閉ざさず、小さな優しさを選ぶこと。対話し、耳を傾け、誰かを迎え入れること。そのような小さな行いが、神の恵みへの扉を開くことがあります。優しさは、絶望の闇に光を差し込む最初の一歩となります。  しかし、それだけではありません。エマオの弟子たちが復活の主を認めることができたのは、主が御言葉を解き明かし、そしてパンを裂かれたときでした。つまり、御言葉と聖体こそ、私たちが逆境を乗り越え、心の平和を取り戻すための最も確かな道なのです。人生の道が重く感じられるとき、心が不安に揺れるとき、私たちはエマオの弟子たちのように、御言葉に耳を傾け、聖体の食卓にあずかる必要があります。  皆さん、今日のミサの中で特に心を合わせて祈りたい二つの意向があります。第一に、世界の平和のために祈りましょう。私たちは教皇様と共に立ち、誰かと争うためではなく、福音を語り、対話と和解の道を歩む者でありたいと思います。教皇レオ十四世と心を一つにして、次の祈りを共に捧げたいと思います。  「主よ、どうか、あなたの平和をお与えください。 復活の朝、疑いに満ちていた婦人たちに平和を告げられたように、 恐れのうちに隠れていた弟子たちに「あなたがたに平和」と言われたように、 今、私たちにもその平和を注いでください。 命を与え、和解をもたらす息吹であるあなたの霊を遣わしてください。 敵対する者を兄弟姉妹へと変えてくださるその霊を、 私たちのうちに新たにしてください。」  第二に、今月の教皇の祈りの意向に従い、危機の中にある司祭たちのために祈りましょう。司祭は、神と人々をつなぐ橋であり、共同体のために自分の人生を捧げる者です。その使命は大きく、時に重荷となり、深い孤独や葛藤を生むことがあります。内面の苦しみからくる危機もあれば、共同体との関係の中で生まれる疲れや悩みもあります。さまざまな人々の思いを受け止め、違いを調和させ、愛と希望に満ちた共同体を築くことは、決して簡単なことではありません。だからこそ、復活された主が、疲れた司祭たちに寄り添い、心を癒し、再び喜びと力を与えてくださるよう祈りたいと思います。  皆さん、今日のミサを通して、私たちの心もエマオの弟子たちのように再び燃え上がりますように。復活の主が、私たち一人ひとりの人生の道を共に歩んでおられることに気づく恵みを願いましょう。そして、主の平和と希望を運ぶ道具として、優しさと対話を選びながら歩んでいくことができますように。アーメン。 - [復活節第三主日20260419百瀬神父](https://shimonosekicatholic.org/easter-3-sunday-momose-hikoshima/): みことばの典礼はこちら  今日の福音朗読は、ルカの伝える、復活の主がエマオという村に向かう二人の弟子に出現なさった物語です。皆さまもご存じのように、この物語は原始教会で祝われていた主の晩餐の儀式が背景のあると言われます。  現代のミサの式次第にも呼応していて、その前半はみことばの典礼です。  ①弟子たちが自分たちの悩みと失望を打ち明けるところは、ミサの「あわれみの賛歌」に呼応しています。  ②主がこれを聞き、聖書の言葉を弟子たちに説明してくださるところは、ミサの中の朗読と説教に呼応しています。  ③弟子たちが心を打たれて、「一緒にお泊りください」と願うところは、みことばをきいた会衆がささげる信仰告白と共同祈願に呼応しています。  物語の後半は、感謝の典礼です。  ④イエスがパンを裂いてお渡しになるところは、ミサの中心部分の聖変化に呼応しています。  そして最後に、二人の弟子たちが仲間に知らせるために夜道を引き返すところは、ミサの最後の派遣に呼応しています。  皆さん、主イエスがエマオの弟子たちとともに歩まれたように、主は私たちの人生の歩みをともに歩んでくださいます。私たちの迷い、落胆、精神の混乱、不安を、主イエスに打ち明けましょう。主はこれを聞いてくださいます。そして、主が私たちにどのようにお答えになるかを聞きましょう。主が告げてくださるみことばに耳をかたむけましょう。みことばは、きっと私たちの歩むべき道を照らし、方向を教えてくれます。  そして、この日のように皆が一緒に集まるとき、主とともに食卓を囲みましょう。主からいのちの糧をいただくとき、私たちはどんな困難にもめげずに歩み続ける力を受けます。私たちがどれほど弱く、貧しく、いたらない者であっても、主からいただく力によって、心の平和と喜びをもって生き、道すがら出会う人々に接するたびごとに、主イエス・キリストの救いの福音を人々に知らせることになります。これが、エマオの弟子たちに告げられたいのちのことばです。アーメン。 - [Pope Intention 202604](https://shimonosekicatholic.org/pope-intention-202604/): 4月の教皇の意向 危機に瀕する司祭召命の危機にある司祭が、必要な霊的同伴を見出しますように。そして、教会共同体が理解と祈りをもって司祭を支えることができますように。 日本の教会の意向: すべての人の召命すべての人の召命のために祈ります。私たち一人ひとりが自分が何に召されているかを識別し、神とのかかわりの中で歩むことができますように。 今月の祈りと教皇のビデオはこちら - [2026年4月からのお知らせと行事](https://shimonosekicatholic.org/from-202604-events/): 行事のご案内(2026年4月~) ◎ 彦島教会:第二と第四木曜日ミサ後学習会、       第一木曜日ミサ後ヨゼフカフェ、       毎週水曜日19時から聖書分かち合い◎ 細江教会:◎ 長府教会:第一第三火曜日18時から入門講座       第二第四金曜日パウロ勉強会(ミサ後)       第四木曜日 「心の泉」(サダナ黙想と分かち合い)10時~ 4月 4月25日(土)カ障連 カトリック宇部教会 4月26日(日)カトリック長府教会のバザー    9:00 ミサ、その後バザー:10:45~14:00     2026年「第63回世界召命祈願の日」    教皇のメッセージ 4月29日(水)Xavier Fiesta 春2026 Vol.4    11:00~15:00 Marche    14:00~14:30 Taizé  山口サビエル記念聖堂(カトリック山口教会) 5月 5月16日(土)三教会お楽しみ会    会場:カトリック長府教会    時間:9:30受付、14:00ミサ、15:30解散 2026年度山口島根地区信徒養成講座のご案内 テーマ:「ヨハネ福音書にみる祈りの手引き」日にち:5月9日、6月6日、7月4日、9月5日、10月3日、11月7日時間:土曜日、10:00~15:45会場:カトリック長府教会講師:イエズス会司祭 百瀬文旻神父 - [教皇レオ十四世とともに平和を願って](https://shimonosekicatholic.org/pray-for-peace-pope-leo-20260411/): 皆さん、主のご復活おめでとうございます。 教皇レオ十四世と心を一つにして、平和のために祈りましょう。苦しむすべての人々と連帯し、暴力の終結と正義の回復を求める教会の揺るがぬ呼びかけを共に響かせましょう。私たちの祈りが希望のしるしとなり、私たちの生き方が和解の道具となりますように。 私たちの教皇様と共に立ち、誰かと論争するためではなく、福音を語り、平和と対話を促す道を歩むことは、本当に大切なことです。 どうか皆さん、ロザリオを唱え、教皇様と心を合わせて平和のために祈りましょう。 教皇による平和のための祈りはこちらです。 - [教皇レオ14世とともに平和を願って](https://shimonosekicatholic.org/pope-leo-14-pray-for-peace-20260411/): 教皇レオ十四世と心を一つにして、平和のために祈りましょう。苦しむすべての人々と連帯し、暴力の終結と正義の回復を求める教会の揺るがぬ呼びかけを共に響かせましょう。私たちの祈りが希望のしるしとなり、私たちの生き方が和解の道具となりますように。 私たちの教皇様と共に立ち、誰かと論争するためではなく、福音を語り、平和と対話を促す道を歩むことは、本当に大切なことです。 どうか皆さん、ロザリオを唱え、教皇様と心を合わせて平和のために祈りましょう。 平和のための祈り 主イエスよ、あなたは武器も暴力も用いず、死に打ち勝たれました。平和の力によって、死の支配を打ち砕かれました。 どうか、あなたの平和をお与えください。復活の朝、疑いに満ちていた婦人たちに平和を告げられたように、恐れのうちに隠れていた弟子たちに「あなたがたに平和」と言われたように、今、私たちにもその平和を注いでください。 命を与え、和解をもたらす息吹であるあなたの霊を遣わしてください。敵対する者を兄弟姉妹へと変えてくださるその霊を、私たちのうちに新たにしてください。 十字架のもとで心を引き裂かれながらも、あなたが復活されることを揺るがぬ信仰をもって待ち望んだあなたの母マリアのように、私たちも聖母マリアを深く信頼する心を抱くことができますように。 戦争という狂気が終わり、地球が、いのちを生み、守り、愛することをまだ知っている人々の手によって大切に育まれますように。 いのちの主よ、私たちの祈りをお聞きください。 (4月11日(土)夕方、教皇レオ十四世「平和のための祈り」より)バチカンニュース Lord Jesus,you conquered deathwithout weapons or violence:you shattered its powerwith the strength of peace.Grant us your peace,as you did to the womenfilled with doubt on Easter morning,as you did to the discipleswho were hiding in fear.Send forth your Spirit,the breath that gives life and reconciles,that turns adversaries and enemiesinto brothers and sisters.Inspire in us to trust in Mary, your mother,who stood at the foot of your crosswith a broken heart,firm in the faith that you would rise again.May the madness of war ceaseand the Earth be cared forand cultivated by ... 読み続き - [復活節第二主日2026年](https://shimonosekicatholic.org/sunday-2-easter-2026/): 神のいつくしみの主日 みことばの典礼はこちら アレルヤ。アレルヤ。アレルヤ。主は皆さんとともに。 またあなたともに。 ヨハネによる福音。 主に栄光。 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへイエスが来て真ん中に立ち、「あなた方に平和があるように」と言われた。そう言って、手と脇腹とお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなた方に平和があるように。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもあなた方を遣わす」。そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。誰の罪でも、あなた方が赦せば、その罪は赦される。誰の罪でも、あなた方が赦さなければ、赦されないまま残る」。十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで他の弟子たちが「私たちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、またこの手をその脇腹に入れてみなければ、私は決して信じない」。さて、八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸には皆鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなた方に平和があるように」と言われた。それからトマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。またあなたの手を伸ばし、私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」。トマスは答えて、「私の主、私の神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「私を見たから信じたのか。見ないのに信じる者は幸いである」。このほかにも、イエスは弟子たちの前で多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなた方がイエスは神の子メシアであると信じるためであり、また信じてイエスの名により命を受けるためである。 主の御言葉。 キリストに賛美。 百瀬神父による説教  毎年、復活節の第2主日には、ヨハネ福音書第20章から、復活の主の弟子たちへの出現の物語が読まれます。その前半は、ユダヤ人たちを恐れて扉を固く閉じてこもっていた弟子たちのところに、主が現れます。主イエスの方から弟子たちを探しにこられ、その出会いが弟子たちを一変します。  私たちも日常の生活の中で、しばしば自分の思いわずらいに捕らわれ、心を閉ざしてしまうことがあります。世間の常識や考え方に引きずられて、神さまのことを忘れがちです。けれども、主イエスは私たちのことを心にかけ、探し求めてくださることを思い起しましょう。  物語の後半は、不信仰のトマスです。トマスは先に主イエスが出現なさったときに、そこに居あわせていませんでした。他の弟子たちが復活の主とお会いして、喜びにあふれ、有頂天になっているときに、自分はそれを信じることができず、ふてくされていました。「あの方の手に釘のあとを見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をその脇腹に入れてみなければ、私は決して信じない」と言って、かたくなに心をとざしました。他の弟子たちがどんなに「本当だよ」と言っても、トマスはますますかたくなになりました。彼はひとりぼっちで、もう皆とは別れて家に帰ろうとしていたかもしれません。  トマスはもともともと、まっすぐな人でした。ヨハネ福音書では、11章で、イエスが危険おかしてもラザロを助けにいこうとしたときに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言ったのはトマスです。また14章では、死を目前にしたイエスが、「あなたがたのために場所を用意しに行く」とおっしゃったときに、「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちにはわかりません」と問いかけたのもトマスです。このトマスを主イエスはお忘れになりませんでした。一人闇に沈んでいたトマスを、イエスは探し求めてこられます。  皆さん、私たちもときには、一人ぼっちになります。他の人の喜びについていけなっかたり、自分だけ落ちこぼれてしまったりすることもあります。しかし、主イエスは一人ひとりのことを心にかけてくださいます。こんな自分をも導いてくださることを思いましょう。  トマスは叫びます。「わたしの主、わたしの神よ。」このような信仰の薄い自分をも心にかけ、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」とおっしゃる方。このわたしの弱さをよくご存じでありながら、「あなたの弱さはわたしが引き受けるから、ついてきなさい」と言って、呼んでくださる方。この方に、わたしは今、自分のすべてをお捧げしたい。自分の貧しい力、健康と時間、自分の望みと愛のすべてをお捧げしたい。これがトマスの気持ちだったでしょう。  私たちもトマスならって、自分の人生の残りをささげ、真の導き手である主イエスに従っていきましょう。アーメン。 - [20260412彦島週報](https://shimonosekicatholic.org/20260412-hikoshima-news/): 復活節第2主日(神のいつくしみの主日)A年 彦島カトリック教会   「わたしの主、わたしの神よ」  ヨハネによる福音書20章19-31節 みことばの典礼はこちら 🌸 4月12日(日)・復活節第2主日 (神のいつくしみの主日)ミサ9:00  ・病者のために祈る日 ・信徒総会  🌸 4月13日(月)・モレノ神父とヴィタリ神父の追悼 ミサ11:00(山口) 🌸 4月14日(火)・下関協働体委員会(細江) 🌸 4月15日(水)・聖書の分かち合い19:00 🌸 4月16日(木)・ロザリオの祈り9:30  ミサ10:00   ・ロクスひよりやま清掃ボランティア 🌸 4月17日(金)・キッチンカーボランティア 🌸 4月19日(日)・復活節第3主日 ミサ9:00  ・留学生・実習生食糧支援 ☆ 4月5日(日)ヴィタリ神父様が帰天いたしました。 永遠の安息のために、お祈りいただければ幸いです。 ☆ ヨハネ福音書にみる祈りへの手引き  指導:百瀬文晃神父(イエズス会) ・参加申込締め切り:4月21日(火)必着 ☆ 彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。 食糧支援 次回 5月17日の予定です。 ご支援をお願いします。 ☆ ポストのものは必ずお持ち帰りください。 溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。  これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆2026年 4月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年(4月)  掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。 - [共同体の姿](https://shimonosekicatholic.org/friday-easter-2026-hosoe/): 復活の金曜日20260410 カトリック細江教会 みことばの典礼はこちら  皆さん、  今日のみ言葉は、復活された主がどのように私たちを強め、また共同体を一つにしてくださるのかを静かに、しかし力強く示しています。まず、第一朗読に語られた使徒ペトロの姿に心を向けてみましょう。彼はもともと学問もなく、荒っぽく、弱さも多い漁師でした。あのペトロが、今やユダヤの指導者たちの前で堂々と、恐れずに、復活したイエスの名によって癒しが行われたことを証ししています。この変化は、人間の努力だけでは説明できません。復活された主が与えてくださる聖霊の力によって、ペトロは主イエスのみ言葉と行いを思い起こし、悟り、語り、そして勇気をもって立ち上がることができたのです。  私たちも同じです。自分の弱さや限界を感じるとき、奉仕に招かれても不安になるときがあります。しかし、主はできるから選ぶのではなく、選んだ者を強めてくださる方です。心を開けば、聖霊が必要な力を与えてくださいます。  今日の福音では、弟子たちが夜通し働いても何も得られなかった場面が描かれています。疲れ、失望し、先が見えない中で、岸辺に立つ一人の見知らぬ人の声が響きます。「舟の右側に網を打ちなさい。」弟子たちはその言葉に素直に従い、思いがけない大漁を得ました。ここには、共同体の大切な姿が示されています。誰かが方向を示し、誰かが最初の一歩を踏み出し、他の者が心を合わせて歩む。そこに共同体の命が生まれます。  共同体には、必ずリーダーが必要です。誰かが始めなければ、他の人はどこに向かえばよいのか分からず、舟は舵を失ったように漂ってしまいます。主は共同体にリーダーを与え、その人を通して働かれます。しかし同時に、リーダー一人では何もできません。周りの人々が支え、協力し、祈り、共に歩むとき、共同体は初めて力強く前に進むことができます。  そして興味深いのは、主を最初に認めたのが指導者であるペトロではなく、ヨハネであったことです。これは、主が誰を通して語られるかは私たちには分からないということを教えています。年配の方、若い人、新しく来た人、あるいは外から来た人の言葉を通して、主が示されることもあります。だからこそ、リーダーも、仲間も、互いに耳を傾ける謙遜さが必要です。  今日のみ言葉から、私たちは三つのことを心に留めたいと思います。第一に、奉仕を恐れないこと。主は弱い私たちを強めてくださいます。第二に、復活の主を信頼すること。たとえ成果が見えなくても、主は岸辺から私たちを見守り、必要な時に必要な言葉を与えてくださいます。第三に、互いに協力し、心を合わせること。リーダーがいて、仲間がいて、そして復活の主が共にいてくださるとき、共同体は一つの体として成長し、希望と喜びに満ちた場となります。  復活された主が、私たちの共同体の中にある小さな声、小さな気づき、小さな働きを通して、御自分のしるしを示してくださいますように。聖霊が私たちを強め、ペトロのような勇気と、弟子たちのような一致を与えてくださいますように。私たちの共同体が、復活の喜びと希望に満ちた場となりますように。 アーメン。 - [ご聖体―私たちの慰めと希望](https://shimonosekicatholic.org/eucharist-our-consolation-and-hope/): (ルカ24章、復活の水曜日と木曜日) みことばの典礼(ルカ24章13節-49節)はこちら。 皆さん、  復活の八日間の中で、私たちはルカ福音書24章を通して、主イエスがどのように弟子たちに近づき、心を癒やし、希望を取り戻させてくださったかを味わっています。水曜日と木曜日の福音を合わせて読むと、その流れはまるで一つのミサのように見えてきます。主イエスは、失望と悲しみに沈む二人の弟子たちにそっと近づき、何も責めず、ただ共に歩き(シノダリティー)、心の痛みを聞き、静かに寄り添ってくださいました。私たちの人生にも、同じような瞬間があるのではないでしょうか。疲れ、迷い、祈る言葉さえ出てこない日…。そのような時、主イエスはどこにおられるのでしょうか。もしかしたら、私たちのすぐそばを歩いておられるのに、気づいていないだけかもしれません。今日、私たちは心の中で問いかけてみましょう。「今、私の人生の道を、主イエスはどのように歩いてくださっているのだろう。」  道を歩きながら、主イエスは聖書を解き明かし、弟子たちの心を少しずつ温めていきました。み言葉には、心の暗闇に光を差し込む力があります。ミサでみ言葉を聞くとき、私たちはどんな心で耳を傾けているでしょうか。「主よ、今の私に必要な言葉をください」と願っているでしょうか。それとも、ただ聞き流してしまっているでしょうか。み言葉は、耳だけでなく、心で受け取るときに初めて力を発揮します。今日のみ言葉は、私のどんな部分に触れようとしているのか。主イエスは、私のどんな傷に光を当てようとしておられるのか。静かに思い巡らしてみましょう。  そして、弟子たちの目が開かれたのは、主イエスがパンを取り、賛美をささげ、裂いて渡された瞬間でした。これはまさにご聖体の秘跡です。ご聖体は象徴ではなく、復活された主イエスご自身が、私たちの中に入ってくださる恵みです。私たちはご聖体をいただくとき、どんな心で主を迎えているでしょうか。「主よ、私の心に来てください」と本気で願っているでしょうか。それとも、習慣のように受けてしまっているでしょうか。ご聖体は、疲れた心を癒やし、不安を静め、希望を取り戻させる慰めの源です。私たちの心の中で、主イエスは何を癒やしたいと願っておられるのでしょうか。  今日の福音では、エマオから戻った弟子たちが体験を語っていると、主イエスが弟子たちの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と挨拶してくださいました。主の平和は、外側の状況が変わらなくても、心の奥に静けさと力を与えてくれます。私たちは今、どんな平和を求めているでしょうか。家庭の平和でしょうか。心の平和でしょうか。ゆるしの平和でしょうか。主イエスは、私たちの心の奥深くに触れ、「恐れることはない、私はここにいる」と語りかけてくださいます。  そして最後に、主イエスは弟子たちを遣わされました。ミサの最後に司祭が「行きましょう、主の平和のうちに」と告げるように、主イエスは私たちを家庭へ、職場へ、社会へと送り出しておられます。エマオの弟子たちが喜びに満ちてエルサレムへ戻ったように、私たちもミサから力を受け、新しい一歩を踏み出すことができます。ミサは、復活された主イエスが私たちに触れ、癒やし、力を与え、再び歩き出す勇気をくださる出会いの場です。  兄弟姉妹の皆さん、ご聖体は私たちの慰めであり、希望であり、力です。どんなに弱っていても、主イエスはご聖体のうちにそっと近づき、「あなたは一人ではない」と語りかけてくださいます。今、心を静めて祈りましょう。  主よ、私たちの目を開いてください。主よ、私たちの信仰を強めてください。そして、毎日もっと深くご聖体を愛することができますように。あなたが共に歩いてくださることを、いつも感じることができますように。アーメン。 - [復活の主日2026年](https://shimonosekicatholic.org/sunday-easter-hikoshima-2026/): みことばの典礼はこちら  皆さん、主のご復活おめでとうございます。  復活の主日を迎えた今日、私たちはキリスト教信仰の中心にある最も大きな恵みを祝っています。昨夜の復活徹夜祭は、教会にとって一年で最も神聖な時でした。暗闇の中に灯された一本の復活のろうそくは、死を打ち破り、すべての闇を照らすキリストの光を象徴しています。その光は、今も私たち一人ひとりの心に届いています。  聖パウロはこう言います。「もしキリストが復活されなかったのなら、私たちの信仰はむなしい。」この言葉の通り、今日のすべての聖書朗読は、ただ一つの真理を指し示しています。キリストはまことに復活されたということです。  第一朗読では、使徒ペトロが力強く復活を証ししています。かつて弱さの中で主を否定した彼が、今は大胆に「主は生きておられる」と宣言しています。「人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。」福音でも、ペトロは空の墓を見て、その後、この出来事を振り返り、心の奥深くで「主は復活された」と信じました。彼の信仰は、理屈ではなく、復活の主との出会いから生まれたものです。  復活は、弟子たちだけの出来事ではありません。それは、今を生きる私たちにも新しい希望の扉を開いてくれます。キリストは、罪と闇と死に打ち勝ち、永遠のいのちへの道を開いてくださいました。愛は憎しみに勝ち、真理は偽りに勝ち、光は闇に勝つ。この希望こそ、復活の恵みです。  日本では今、桜が満開を迎えています。長い冬を越えて、一斉に咲き誇る桜の姿は、まるで復活の喜びを語っているようです。冷たい季節を耐え抜いた木々が、春の光を受けて美しく花開くように、私たちの心にも、神の光がそっと差し込み、希望の花を咲かせてくださいます。  そして今日は、教会にとって特別な喜びがあります。この復活の主日に、彦島教会では、ひとりの子どもが洗礼を受け、また、細江教会では、3人の子どもが洗礼を受け、新しいいのちへと迎え入れられます。洗礼の水は、復活の主のいのちに結ばれるしるしです。どうかこの子たちが、家族と教会共同体の愛に包まれながら、信仰のうちに健やかに成長していくことができますように。  復活された主イエス・キリストは、私たちにも新しい歩みを招いておられます。困難の中でも信仰を失わず、希望を手放さず、光の子として生きるようにと呼びかけておられます。私たち一人ひとりが、家庭や職場や社会の中で、復活の証人となることができますように。  主の復活の喜びが、皆さんの心に深く届きますように。そして、どんな「冬」のような時を過ごしていても、必ず「春」が訪れ、神の国で花開く日が来ることを信じて歩むことができますように。 - [20260405今週の灯](https://shimonosekicatholic.org/20260405-the-light-of-this-week/): 皆さん、主のご復活おめでとうございます。復活節第二主日(神のいつくしみの主日) 今週の灯 みことばの典礼 復活された主イエス・キリストよ、あなたの光で私の心を照らし、どんな時も希望を失わず、あなたの復活を証しする者として歩ませてください。 主の復活の喜びが、皆さんの心に深く届きますように。 - [20260405彦島週報](https://shimonosekicatholic.org/20260405-hikoshima-news/): 復活の主日 彦島カトリック教会   「彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た」  ヨハネによる福音書20章1-9節 みことばの典礼はこちらです。 復活の主日の分かち合いはこちらです。 🌸 4月 5日(日)・復活の主日 ミサ9:00  ・祝賀会 🌸 4月 6日(月)・復活の月曜日 🌸 4月 7日(火)・復活の火曜日 🌸 4月 8日(水)・復活の水曜日  ・聖書の分かち合い19:00 🌸 4月 9日(木)・復活の木曜日   ・ロザリオの祈り9:30 ミサ10:00 🌸 4月10日(金)・復活の金曜日 🌸 4月11日(土)・復活の土曜日 🌸 4月12日(日)・復活節第2主日 (神のいつくしみの主日) ミサ9:00  ・病者のために祈る日 ・信徒総会 ☆ 彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。 食糧支援 次回 4月19日の予定です。 ご支援をお願いします。 ☆ ポストのものは必ずお持ち帰りください。 溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。  これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆ 2026年 4月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆ 広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年(4月)  掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。 - [聖金曜日・主の受難・2026年](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-holy-friday-2026/): みことばの典礼はこちら  皆さん、 昨日から私たちは聖なる三日間に入り、今夜、主イエスの受難を静かに見つめています。十字架の上で苦しみ、打たれ、侮辱され、最後には「渇く」と叫んで息を引き取られたそのお方が、本当に神の子であると想像できるでしょうか。ただの罪人のように扱われ、ただの囚人のように見えるその姿の中に、私たちはどれほどの愛を見ることができるでしょうか。少し心を静めて、その問いを胸に置いてみたいと思います。  第一朗読のイザヤ書は、神のしもべが不当な苦しみを受ける姿を語ります。無実なのに打たれ、民から切り離され、悪人と共に葬られる。しかしイザヤは、「その苦しみによって、多くの人が義とされる」と言います。なぜ無罪の人が、他人の罪を背負わなければならないのでしょう。なぜ神のしもべが、ここまで辱められるのでしょう。その理由はただ一つ、愛のためです。救うため、赦すため、そして私たちを神へと連れ戻すためです。  ヘブライ人への手紙は、主イエスが「涙を流し、叫びながら」祈られたと語ります。神の子でありながら、恐れを知り、痛みを知り、孤独と不安を知っておられた主イエス。その姿は、私たちの弱さを深く理解してくださるお方の姿です。今、私たち自身の心にも、叫びたい祈りがあるでしょうか。主イエスはその祈りを静かに受け止めてくださいます。  ヨハネによる受難の物語は、人間の残酷さをはっきりと示します。権力の不正、群衆の暴力、友の裏切り、そして神の沈黙。この沈黙は、神が何もしていない沈黙ではありません。むしろ、救いの業が最も深く行われている沈黙です。私たちの人生にも、「なぜ神は沈黙しておられるのか」と思う瞬間があります。その沈黙の中に、神の愛が隠れていることを、今夜もう一度思い起こしたいと思います。  今日の世界にも、不正、嫉妬、敵意、そして理由もなく誰かを責め立てる群衆の姿があります。苦しんでいる人たちの中には、誰にも理解されず、誰にも守られず、ただ耐えている人がいます。もしかしたら、神はその苦しみを通して誰かを救っておられるのかもしれません。その「誰か」とは、もしかすると私たち自身かもしれません。そして私たち自身の苦しみもまた、誰かの命を支え、誰かの心を照らしているのかもしれません。少しだけ、その可能性に心を開いてみたいと思います。  私たちの周りには、さまざまな理由で苦しんでいる人がたくさんいます。病気、孤独、家庭の問題、心の傷、将来への不安…。その一人ひとりのために、私たちは祈りたいと思います。信仰のうちに歩み続ける力を、そして決して神の愛への希望を失わないようにと。今夜の祈りの中で、そっと彼らを思い起こしてみませんか。  今夜、私たちができることは一つ、主イエスのように神にすべてをゆだねることです。神はすべてを新しくすることができるお方。死をも越えて命を与えることができるお方です。聖女テレジア(幼きイエスのテレジア)は、小さな苦しみをすべて宣教のために捧げました。アジアのため、ベトナムや日本のためにも祈り続けました。若き聖カルロ・アクティスも、白血病の痛みをすべて聖体にささげ、教会の一致と教皇のために祈りました。彼らは苦しみを避けませんでした。苦しみを愛に変えたのです。  今夜、私たちは十字架の前で静かに頭を下げます。その瞬間、心の中でそっと祈りましょう。  「主イエスよ、私は十字架のすべてを理解できません。でも、あなたが私を愛してくださることを信じます。私の苦しみを、あなたの愛のために、そして兄弟姉妹のためにお使いください。」  十字架は終わりではありません。十字架は新しい命の始まりです。今夜の沈黙の中で、その命が静かに芽生えています。 - [聖木曜日、主の晩餐、2026年](https://shimonosekicatholic.org/20260402-holy-thursday-hosoe/): みことばの典礼はこちら  皆さん、こんばんは。 今夜、私たちは一年の中でも特に深い意味をもつ「主の晩餐」の神秘の中へと招かれています。主イエスが十字架へ向かう前の最後の夜、弟子たちと共に囲んだ食卓。その場で主イエスは、私たちの救いのためにご自分を差し出す「聖体の秘跡」を与え、さらに弟子たちの足を洗うという、誰も想像しなかったほどのへりくだりの愛を示されました。聖体と洗足、この二つの行いは、主イエスの心そのものを表しています。自分を与える愛、そして低くかがんで相手を受け入れる愛です。  第一朗読では、神がイスラエルの民をエジプトの奴隷状態から解放された「過越」の出来事が語られました。神はいつも、縛られた者を自由へと導く方です。第二朗読では、聖パウロが「これは、あなたがたのための、わたしの体である。わたしの記念として、このように行いなさい」と語り、私たちが聖体を祝うたびに、主イエスの愛と救いの業を世に告げ知らせる使命を思い起こさせます。そして福音では、主イエスが弟子たちの足を洗う場面が描かれ、私たちの心に深く問いかけてきます。  特に、主イエスとペトロのやり取りは、今日の私たちの信仰生活にとても近い姿を映し出しています。ペトロは「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか。わたしの足など、決して洗わないでください。」と言いました。彼は自分の足は汚れていないと思っていたのかもしれません。あるいは、自分は決して主を裏切らないと信じていたのかもしれません。しかし主イエスは静かに言われます。「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたは、わたしと、何のかかわりもない、ことになる。」  この言葉は、私たちの心の奥にある真実を照らします。 私たちは時に、自分は大丈夫だと思い込んでしまいます。弱さを見せたくない、欠けを認めたくない、汚れた部分に触れられたくない。けれど主イエスは、私たちが隠しているその部分にこそ、そっと手を伸ばしてくださる方です。私たちが「洗っていただく」ことを拒むとき、実は主イエスの愛を拒んでしまっているのかもしれません。  「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」 この言葉には深い意味があります。主イエスは、私たちに欠けのない完璧さを求めておられるのではありません。むしろ、弱さを抱えたまま、ありのままの姿で主イエスの前に立つことを望んでおられます。清くない部分があるからこそ、主イエスはかがんで私たちの足を洗ってくださるのです。  実際、洗足式で代表として選ばれた方々の中には、「足は汚れていないから大丈夫ですよ。洗足は要りません。」と冗談めかして断る方もおられます。その気持ちはよく分かりますが、どこかペトロの姿と重なります。私たちは皆、どこかで「自分は大丈夫」と思いたい。でも主イエスは、私たちが隠したい部分にこそ触れ、癒し、受け入れ、共に歩もうとしてくださいます。  主イエスは弟子たちの足を洗った後、「わたしがしたように、あなたたちも互いにしなさい」と言われました。 人を助けること、奉仕することは簡単に見えるかもしれません。しかし、相手をあるがままに受け入れ、見返りを求めず、心を低くして仕えることは、決して容易ではありません。奉仕は行動だけではなく、心の姿勢です。へりくだり、赦し、相手の弱さを抱きしめる姿勢がなければ、主イエスの望まれる奉仕にはなりません。  今夜、主の晩餐の神秘の中で、私たち一人ひとりが主イエスの前に静かに立ち、こう祈ることができますように。 「主よ、どうか私の足を洗ってください。私の弱さに触れてください。あなたの愛で満たしてください。」 そして、主イエスがしてくださったように、私たちも互いにかがみ、互いに支え合い、互いに赦し合う者となれますように。  聖体は、主イエスの愛そのもの。 洗足は、その愛がどれほど低く、どれほど深く、どれほど優しいかを示すしるしです。 この愛に触れながら、私たちが歩む三日間が、心からの回心と新しい希望へと導かれますように。 アーメン。 - [エリ、エリ、レマ、サバクタニ](https://shimonosekicatholic.org/palm-sunday-a-2026/): 受難の主日(枝の主日)A年 みことばの典礼はこちら。  皆さん、今日、私たちは「受難の主日(枝の主日)」を迎え、主イエスのエルサレム入城と、その後に続く受難の出来事を思い起こします。人々の歓声に迎えられた主イエスは、数日後には侮辱され、見捨てられ、十字架へと向かわれました。この二つの出来事は、今の世界の現実と深く響き合っています。  今年、世界では戦争と暴力が続き、多くの人々が苦しんでいます。イランでは緊張が高まり、ウクライナでもミャンマーでも平和はまだ見えていません。家族を失い、住む場所を失い、未来を奪われた人々の叫びは、私たちの耳にも届いています。今日読まれた受難の物語の中で、主イエスが殴られ、嘲笑され、十字架にかけられた姿は、まさに今の世界で苦しむ人々の姿そのものです。主は遠くから見ておられるのではなく、苦しむ人々と共に苦しんでおられます。  日本でも、静けさの裏に深い痛みがあります。先週(3月26日)の朝日新聞の一面には「生きていて良かった 伝えたい」という記事が載りました。しかし、その背景には、昨年、五百人以上の小中高生が自ら命を絶ったという、胸が締めつけられる現実があります。誰にも言えない孤独、助けを求める声が届かない社会、「生きる意味が見えない」と感じる若者たち。主イエスもまた、孤独の中で祈られました。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」主は、私たちの弱さ、恐れ、孤独を深く理解しておられます。  十字架の上で、主イエスは「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれました。一見すると、神への嘆きや失望の言葉のように聞こえます。しかし実際には、これは詩編の祈りであり、苦しみのただ中でも神を信頼し続ける祈りです。極限の痛みの中でも、主イエスは父である神の救いの計画を信じ抜かれました。信仰とは、感情に左右される一時的な気分ではありません。信仰とは、どんな状況でも神を選び続ける「決断」です。すべてが暗く見える時でも、神を信じることを選ぶ。理解できない時でも、神に身をゆだねることを選ぶ。私たちもまた、主のように、信じることを選ぶ力を願いたいと思います。  主イエスは暴力に暴力で返すことなく、侮辱に侮辱で返すことなく、ただ愛と赦しをもって十字架を歩まれました。その姿は、絶望の中に差し込む希望の光です。へりくだること、心を改めること、赦すこと。これらは弱さではなく、世界を変えるための神の力です。主イエスは十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください」と祈られました。その祈りは、今も戦争の地で、孤独の中で、涙の中で響き続けています。  しかし、私たちの心には一つの問いが残ります。なぜ、あれほど多くの良いことをされた主イエスが、最後には人々から侮辱され、十字架につけられなければならなかったのでしょうか。この問いは、今も私たちの心に響き続けています。そしてその問いは、私たち自身への問いにもつながります。「私は主のために何をしてきたのだろうか。今、私は主のために何をしているのだろうか。これから私は主のために何ができるのだろうか。」  この一週間、私たちは主イエスの受難の道を共に歩みます。主の心に触れ、主の思いを感じ、主が示されたへりくだり、回心、赦し、そして信じ続ける決断を、私たちの生活の中でどのように生きることができるのかを静かに考える時です。世界が傷つき、日本が孤独を抱え、私たち自身も弱さを抱えている今こそ、主の十字架は私たちに語りかけています。「私はあなたと共にいる。あなたの苦しみの中に、私は共にいる。」  どうかこの枝の主日から始まる一週間が、主の愛に心を開き、小さな一歩でも回心と赦しを実践することができる恵みが与えられますように。主よ、私たちの信仰を強めてください。アーメン。 - [20260329今週の灯](https://shimonosekicatholic.org/20260329-the-light-of-this-week/): 「十字架の道行き」の祈り 受難の主日(枝の主日)A年 今週の灯 みことばの典礼 主イエスの受難を思いながら歩むこの一週間、私たちは主の愛とへりくだりに心を開きたいと思います。多くの苦しみの中におられる主に寄り添いながら、「私は主のために何ができるだろうか」と静かに問い、日々の生活の中で小さな回心と赦しの一歩を実践できますように。 主よ、私たちの信仰を強めてください。 - [彦島週報20260329](https://shimonosekicatholic.org/20260329-hikoshima-news/): 受難の主日(枝の主日)A年 彦島カトリック教会   「本当に、この人は神の子だった」  マタイによる福音書27章11-54節  みことばの典礼はこちら 🌸 3月29日(日)・受難の主日(枝の主日)           ミサ9:00 🌸 3月30日(月)・受難の月曜日 🌸 3月31日(火)・受難の火曜日 🌸 4月1日(水)・受難の水曜日 🌸 4月2日(木)・聖木曜日(主の晩餐)           ミサ19:00 🌸 4月3日(金)・聖金曜日(主の受難)        ミサ19:00(大斎・小斎) ・聖地のための献金 🌸 4月4日(土)・聖土曜日(復活徹夜祭)           ミサ19:00 🌸 4月5日(日)・復活の主日           ミサ9:00  ・祝賀会 ☆ 彦島教会は、留学生、実習生の食料支援をしていきます。 食糧支援 次回 4月19日の予定です。 ご支援をお願いします。 ☆ ポストのものは必ずお持ち帰りください。 溜まっている方で近くの方には持っていってあげて下さい。 これも信徒としての一つの宣教活動です。 ☆ 2026年4月行事予定表をお持ち帰りください。 ☆ 広島司教区本部事務局からのお知らせ2026年(4月) 掲示板④をご覧ください。  ※掲示板は是非ご覧下さい。 - [聖ヨセフへの九日間の祈り](https://shimonosekicatholic.org/novena-to-saint-joseph/): 序文  1870年12月8日、教皇ピオ九世が聖ヨセフを「カトリック教会の保護者」と宣言してから150周年を迎えるにあたり、教皇フランシスコは使徒的書簡『父の心で(Patris corde)』を発表し、2020年12月8日から2021年12月8日までを「聖ヨセフの特別年」と定めました。 私たちは心から聖ヨセフに信頼し、取り次ぎを願います。かつて地上でイエスを養い守り、イエスから子として愛された聖ヨセフは、今も天において強力な保護者として私たちを見守ってくださいます。 困難や試練のとき、聖ヨセフは必ず私たちを顧みてくださいます。必要な恵みを願い求め、最後まで神を愛し続けることができるよう祈りましょう。 みことば:マタイ 1・18–25 18イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。 19夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。 20このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。 21マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」 22このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。23「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。 24ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、 25男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。 第1日:救い主の養父 聖ヨセフ 黙想  聖ヨセフを深く知るためには、ナザレの聖家族の姿を思い起こすことが最もふさわしいでしょう。神の御子が人となって暮らされたその家庭で、聖ヨセフは救い主の養父として、人生のすべてを捧げて主イエスと聖マリアを守り、支えました。多くの試練や困難の中でも、聖ヨセフは沈黙と労働、そして従順をもってその使命を果たしました。 大工としての質素な生活の中で、聖ヨセフはすべての父親の模範となる姿を示しました。彼の偉大さは、名誉や権力ではなく、神の御心を探し求め、聞き従い、忠実に生きたその歩みにあります。 祈り  聖ヨセフ、私たちの優しい父よ、家庭の父親たちが忍耐と犠牲、そして信仰に基づく模範を示し、子どもたちが愛と健全な教育の中で成長できますよう導いてください。 また、病気、孤独、家庭の不和、経済的困難など、苦しみの中にある人々と家族を特別にお守りください。あなたの取り次ぎによって、慰めと希望が注がれますように。 聖ヨセフよ、私たちが忠実に務めを果たし、永遠のいのちに至ることができますよう、必要な恵みをお与えください。アーメン。 『主の祈り』一回(教皇の意向のため) 聖ヨセフへの祈り 聖ヨセフ、あなたは神の母おとめマリアの夫に選ばれ、忠実で思慮深い主のしもべとして聖家族を守り、聖霊によって人となられた御ひとり子、主イエス・キリストを養い育てました。あなたの取り次ぎを願う私たちも、悪を退け、あらゆる困難に打ち勝ち、神の摂理に信頼して、生涯、神と隣人への愛に生きることができますように。アーメン。 第2日:理想的な家庭の保護者 聖ヨセフ 黙想  福音書は聖ヨセフを「正しい人」と呼びます。神は聖家族の保護者として、またマリアの夫として、聖ヨセフに大きな使命を託されました。その使命に応えるため、神は豊かな恵みを聖ヨセフに注がれました。 主イエスと聖マリアと共に過ごした日々は、聖ヨセフにとって絶え間ない聖性の成長の時でした。多くの危険や困難の中でも、神への揺るぎない信頼によって聖家族を守り抜いた聖ヨセフは、すべての家庭の守護者の模範です。 祈り  聖ヨセフ、家庭の守護者よ、すべての家長が神の言葉に耳を傾け、家庭に愛と責任の光をもたらすことができますように導いてください。 また、家庭の不和、対立、貧困、離別の危機などで苦しむ家族を、あなたの力強い保護で包んでください。平和と和解の恵みをお与えください。 聖ヨセフよ、私たちが忠実に務めを果たし、永遠のいのちに至ることができますよう、必要な恵みをお与えください。アーメン。 『主の祈り』一回(教皇の意向のため) 聖ヨセフへの祈り 聖ヨセフ、あなたは神の母おとめマリアの夫に選ばれ、忠実で思慮深い主のしもべとして聖家族を守り、聖霊によって人となられた御ひとり子、主イエス・キリストを養い育てました。あなたの取り次ぎを願う私たちも、悪を退け、あらゆる困難に打ち勝ち、神の摂理に信頼して、生涯、神と隣人への愛に生きることができますように。アーメン。 第3日:神の御心に従う模範 聖ヨセフ 黙想  神の神秘に対して、聖マリアは「お言葉どおり、この身になりますように」と応えました。同じように、聖ヨセフも神への絶対的な信頼をもって御心に従いました。自分の利益ではなく、神の計画を第一に置き、理解できない出来事の中でも、神の御心を忠実に果たすために自分を捧げました。 その従順は、沈黙のうちに神を信頼し、与えられた使命を最後まで果たす姿として、私たちに深い模範を示しています。 祈り  聖ヨセフ、神の御心に従う模範であるあなたが、私たちも自分の思いを手放し、神に信頼して歩むことができるよう助けてください。 また、信仰の暗闇、試練、心の不安の中にある人々を励まし、神の導きを感じられるよう取り次いでください。 聖ヨセフよ、私たちが忠実に務めを果たし、永遠のいのちに至ることができますよう、必要な恵みをお与えください。アーメン。 『主の祈り』一回(教皇の意向のため) 聖ヨセフへの祈り 聖ヨセフ、あなたは神の母おとめマリアの夫に選ばれ、忠実で思慮深い主のしもべとして聖家族を守り、聖霊によって人となられた御ひとり子、主イエス・キリストを養い育てました。あなたの取り次ぎを願う私たちも、悪を退け、あらゆる困難に打ち勝ち、神の摂理に信頼して、生涯、神と隣人への愛に生きることができますように。アーメン。 第4日:純潔と忠実の模範 聖ヨセフ 黙想  無原罪の聖マリアの夫として選ばれた聖ヨセフは、心も体も清く保ち、神の救いの計画に身を捧げました。沈黙のうちに自分を捧げ、家庭の平和と神の計画の実現のために生涯を尽くしました。 その純潔と忠実は、家庭の愛と一致の源となり、神の救いの業が完全に実現するための大きな役割を果たしました。 祈り  聖ヨセフ、純潔の守護者よ、私たちの心と体が聖霊が宿ってくださる神殿としてふさわしくありますように導いてください。 また、夫婦関係や親子関係の傷、裏切り、孤独、信頼の喪失などで苦しむ人々に、癒しと忠実さの恵みを注いでください。 聖ヨセフよ、私たちが忠実に務めを果たし、永遠のいのちに至ることができますよう、必要な恵みをお与えください。アーメン。 『主の祈り』一回(教皇の意向のため) 聖ヨセフへの祈り 聖ヨセフ、あなたは神の母おとめマリアの夫に選ばれ、忠実で思慮深い主のしもべとして聖家族を守り、聖霊によって人となられた御ひとり子、主イエス・キリストを養い育てました。あなたの取り次ぎを願う私たちも、悪を退け、あらゆる困難に打ち勝ち、神の摂理に信頼して、生涯、神と隣人への愛に生きることができますように。アーメン。 第5日:謙遜の模範 聖ヨセフ 黙想  王ダビデの家系に属しながら、聖ヨセフはナザレの小さな村で大工として質素に暮らしました。救い主の養父でありながら、誇ることなく、沈黙のうちに仕え、家庭を支えました。 その謙遜は、神の御心に完全に従う姿として最もよく表れています。理解できない出来事の中でも、神に信頼し、従順に歩んだ聖ヨセフの姿は、私たちに深い模範を示しています。 祈り  謙遜の模範である聖ヨセフよ、私たちが高慢や嫉妬、自己中心を捨て、他者に喜びをもたらす者となるよう助けてください。 また、自分の弱さや限界に苦しむ人々、評価されず孤独を感じる人々に、神の慰めと力が届きますように。 聖ヨセフよ、私たちが忠実に務めを果たし、永遠のいのちに至ることができますよう、必要な恵みをお与えください。アーメン。 『主の祈り』一回(教皇の意向のため) 聖ヨセフへの祈り 聖ヨセフ、あなたは神の母おとめマリアの夫に選ばれ、忠実で思慮深い主のしもべとして聖家族を守り、聖霊によって人となられた御ひとり子、主イエス・キリストを養い育てました。あなたの取り次ぎを願う私たちも、悪を退け、あらゆる困難に打ち勝ち、神の摂理に信頼して、生涯、神と隣人への愛に生きることができますように。アーメン。 第6日:貧しさの精神の模範 聖ヨセフ 黙想  聖ヨセフは物質的にも心にも貧しい生活を送りました。王家の血筋でありながら、ナザレの小さな村で大工として働き、目立たない生活を送りました。 しかし、その貧しさは単なる不足ではなく、神にすべてを委ねる心の貧しさでした。神に信頼し、謙遜に生きるその姿は、福音的な貧しさの模範です。 祈り  福音的な貧しさの模範である聖ヨセフよ、私たちが物質主義に流されず、神に信頼し、他者と分かち合う心を持つことができますように。 また、生活の困難、仕事の不安、経済的苦しみの中にある人々を特別にお守りください。必要な助けと希望が与えられますように。 聖ヨセフよ、私たちが忠実に務めを果たし、永遠のいのちに至ることができますよう、必要な恵みをお与えください。アーメン。 『主の祈り』一回(教皇の意向のため) 聖ヨセフへの祈り 聖ヨセフ、あなたは神の母おとめマリアの夫に選ばれ、忠実で思慮深い主のしもべとして聖家族を守り、聖霊によって人となられた御ひとり子、主イエス・キリストを養い育てました。あなたの取り次ぎを願う私たちも、悪を退け、あらゆる困難に打ち勝ち、神の摂理に信頼して、生涯、神と隣人への愛に生きることができますように。アーメン。 第7日:沈黙の模範 聖ヨセフ 黙想  聖ヨセフは沈黙の人でした。その沈黙は、逃避ではなく、神の声を聞くための深い祈りの沈黙でした。自分の弱さを知りつつ、神の使命に応えるために心を整え、沈黙のうちに神に従いました。 その沈黙は、自由と信頼の源となり、神の救いの計画に身を委ねる力となりました。 祈り  沈黙のうちに神の声を聞いた聖ヨセフよ、私たちも忙しさの中で心を静め、神の導きを感じることができますように助けてください。 また、心の混乱、精神的疲労、孤独の中にある人々に、平安と癒しの光が注がれますように。 聖ヨセフよ、私たちが忠実に務めを果たし、永遠のいのちに至ることができますよう、必要な恵みをお与えください。アーメン。 『主の祈り』一回(教皇の意向のため) 聖ヨセフへの祈り 聖ヨセフ、あなたは神の母おとめマリアの夫に選ばれ、忠実で思慮深い主のしもべとして聖家族を守り、聖霊によって人となられた御ひとり子、主イエス・キリストを養い育てました。あなたの取り次ぎを願う私たちも、悪を退け、あらゆる困難に打ち勝ち、神の摂理に信頼して、生涯、神と隣人への愛に生きることができますように。アーメン。 第8日:正義と聖性の模範 聖ヨセフ 黙想  聖書における「正しい人」とは、神の御心を行い、律法を守り、善を行う人を指します。しかし、聖ヨセフの正しさは律法の枠を超え、神の前で誠実に生きる深い忠実さにありました。 ナザレの家庭には偽りや曖昧さはなく、誠実さと信頼が満ちていました。聖ヨセフの正義は、家庭を一致と平和へと導く力でした。 祈り  聖ヨセフ、正義の人よ、私たちが偽りや不正に流されず、誠実に生きることができますように導いてください。 また、不正や裏切り、社会的弱さの中で苦しむ人々に、神の守りと正義がもたらされますように。 聖ヨセフよ、私たちが忠実に務めを果たし、永遠のいのちに至ることができますよう、必要な恵みをお与えください。アーメン。 『主の祈り』一回(教皇の意向のため) 聖ヨセフへの祈り 聖ヨセフ、あなたは神の母おとめマリアの夫に選ばれ、忠実で思慮深い主のしもべとして聖家族を守り、聖霊によって人となられた御ひとり子、主イエス・キリストを養い育てました。あなたの取り次ぎを願う私たちも、悪を退け、あらゆる困難に打ち勝ち、神の摂理に信頼して、生涯、神と隣人への愛に生きることができますように。アーメン。 第9日:力強い取り次ぎ手 聖ヨセフ 黙想  地上での生涯において、聖ヨセフは貧しさ、謙遜、従順をもって神の救いの計画に協力しました。今、天において神の御前にある聖ヨセフは、私たちのために強力な取り次ぎ手として働いてくださいます。 私たちの弱さや不安、人生の揺らぎの中で、聖ヨセフは確かな助けとなってくださいます。 祈り  聖ヨセフ、優しい守護者よ、私たちの願いを受け入れ、神の慈しみが苦しむ人々に注がれるよう取り次いでください。 特に、悲しみ、病気、喪失、絶望の中にある人々と家族を、あなたの力強い保護で包んでください。神の祝福と慰めが豊かに注がれますように。 聖ヨセフよ、私たちが忠実に務めを果たし、永遠のいのちに至ることができますよう、必要な恵みをお与えください。アーメン。 『主の祈り』一回(教皇の意向のため) 聖ヨセフへの祈り 聖ヨセフ、あなたは神の母おとめマリアの夫に選ばれ、忠実で思慮深い主のしもべとして聖家族を守り、聖霊によって人となられた御ひとり子、主イエス・キリストを養い育てました。あなたの取り次ぎを願う私たちも、悪を退け、あらゆる困難に打ち勝ち、神の摂理に信頼して、生涯、神と隣人への愛に生きることができますように。アーメン。 聖ヨセフの祭日2026年3月19日カトリック彦島教会 (Dựa theo Tuần Cửu Nhật Kính Thánh Giuse của Dòng Cát-Minh và có ... 読み続き - [『希望の道』ファンシスコ・サビエル・グエン・ヴァン・トゥアン枢機卿](https://shimonosekicatholic.org/the-road-of-hope-fx-nguyen-van-thuan/):  皆さん、今日はミサの中で、ベトナムの教会が生んだ一人の偉大な司教、ファンシスコ・サビエル・グエン・ヴァン・トゥアン枢機卿についてお話ししたいと思います。彼は2002年に帰天されましたが、その生涯は今も世界中の人々に深い感動と希望を与え続けています。特に、どんな暗闇の中でもキリストへの信頼を失わなかったその姿は、現代の私たちにとって大きな光となっています。  トゥアン枢機卿は1975年、サイゴンの補佐大司教に任命された直後に突然逮捕され、13年間も投獄されました。そのうち9年間は独房で、家族とも友人とも会えず、未来の見通しもなく、ただ沈黙と孤独だけが続く日々でした。普通なら心が折れてしまうような状況の中で、彼は絶望ではなく、むしろキリストへの希望を深めていきました。監獄の中で小さな紙切れに書き続けた短い言葉は、後に『希望の道』という本となり、多くの人の心を支える霊的な宝物になりました。「千と一つのメッセージを集めたこの『希望の道』は、戦争で破壊された国の弱り果てた人々を慰め、力づけるために書かれた『牢獄からの福音』そのものです。」  一昨日(25日)ローマで行われた「ファンシスコ・サビエル・グエン・ヴァン・トゥアン枢機卿ー希望の証人」をテーマとして、また、『希望の道』50周年記念の集まりで、ルイス・アントニオ・タグレ枢機卿(フィリピン出身)が、若い頃にトゥアン枢機卿と出会った思い出を語られました。タグレ枢機卿は、若い司祭として大勢の司教の前で講演した時、緊張で震え、講演後は誰にも会いたくないほど落ち込んでいたそうです。その時、一人の司教が近づいてきて、「あなたはとてもよくやりましたよ」と優しく声をかけてくれました。その司教こそ、グエン・ヴァン・トゥアン大司教でした。タグレ枢機卿は、彼が自分の苦しみや屈辱を語る時でさえ、声は穏やかで、顔には平和が満ちていたと話しています。そこには恨みも怒りもなく、ただ静かな光のような希望があったのです。  後になって分かったことですが、トゥアン枢機卿はその頃すでに胃がんを患っており、ほとんど食事ができない状態でした。それでもローマで会うたびに、彼はタグレ司祭を食事に連れて行き、自分はほとんど食べず、ただ嬉しそうに料理を取り分けてあげたそうです。痛みの中にあっても、人を喜ばせることをやめなかった。その姿は、まさにキリストの愛を生きた証しでした。  2002年、トゥアン枢機卿が亡くなられた時、タグレ司教は棺に触れながら、「おじさん、私は来ましたよ。あなたは本当によくやり遂げました」と静かに語りかけたそうです。その言葉には、深い尊敬と感謝が込められていました。 兄弟姉妹の皆さん、トゥアン枢機卿の人生は、私たちに大切なことを教えてくれます。希望とは、状況が良くなるのを待つことではありません。どんな暗闇の中でも、キリストが共におられると信じることです。私たちも今日、自分の生活の中にある不安や苦しみを抱えながら、トゥアン枢機卿のように静かに、しかし確かに、キリストへの希望を選びたいと思います。神さまが皆さん一人ひとりの心に、同じ平和と希望を豊かに注いでくださいますように。 ## Pages - [RSS Vatican News & Pope's Documents 日本語](https://shimonosekicatholic.org/rss-vatican-news-popes-documents/): 今月、教皇の意向 バチカンニュース 教皇文書 - [祈り](https://shimonosekicatholic.org/prayers/): 神に何を祈ればよいのですか 「苦しいときの神だのみ」ということばがあります。もちろん、困ったときに祈るのもよいでしょうが、祈りは、困ったときだけのものではありません。 あなたは、どうしてこの世に生きているかを考えたことがあるでしょう。命、身体、毎日の糧、 自然の恵みなどは、全部、ただでいただいたものです。どなたからいただいたのですか。どなたがこれらを造られたのでしょうか。 あなた自身やあなたが使用しているもの、すべてが神の恵みです。 祈ることは、まず、「神に感謝する」ことです。あなたがいただいたすべての恵みのために、神に感謝してください。今ここにいること、健康であること、幸せであることを感謝してください。 すべての物事に対して感謝の心を大事にすることは、古来より日本に伝わる精神文化です。 また、祈ることは「神を賛美する」ことです。雄大な自然、小烏、花、子どもの素直さなど、すべての美しいものの中に、神の知恵と偉大さを感じとって、神を賛美してください。 さらに、祈ることは「神にゆるしを願う」ことです。これほどの恵みを受けたにもかかわらず、神を忘れたり、自分勝手に振る舞ったりしたことを思い出して、神におわびしましょう。 最後に、祈ることは、謙虚な気持ちで「神にお願いする」ことです。あなたの悩みや必要なことを神のみこころにゆだねてください。神は、私たちの幸せを望んでおられる方なのです。 神はどこにでもおられる方です。すなわち、 祈る場所はどこでも結構です。でも、教会の静かな雰囲気の中ならば、さらに落ち着いて祈ることができるでしょう。平日でも、 教会があいているときは、ひとりで祈りに行ってもいいのです。 神に祈ることによって、あなたの心は安らぎを見いだすでしょう。 『はじめて教会へいらしたあなたに―カトリック教会のご案内』、(ガエタノ・コンプリ、ドンボスコ社)より このページでは、皆さんが個人の祈りや共同体での祈りに用いることができる、いくつかの祈りや祈りの方法を紹介しています。 祈りの形は本当にさまざまで、聖体礼拝、ロザリオの祈り、テゼの祈り、自然の中での祈り、サダナやヴィパッサナーの祈り、霊操に基づく祈り、黙想や静修など、多くの方法があります。 機会があれば、皆さんが心を主へと向ける助けとなるよう、さらに多くの祈りの方法を紹介していきたいと思います。 🌸 シノドスのための祈り 聖霊よ、わたしたちはあなたの前に立ち、あなたのみ名によって集います。わたしたちのもとに来て、とどまり、一人ひとりの心にお住まいください。わたしたちに進むべき道を教え、どのように歩めばよいか示してください。弱く、罪深いわたしたちが、一致を乱さないよう支えてください。無知によって誤った道に引き込まれず、偏見に惑わされないよう導いてください。あなたのうちに一致を見いだすことができますように。わたしたちが永遠のいのちへの旅を続け、真理と正義の道を迷わずに歩むことができますよう。このすべてを、いつどこにおいても働いておられるあなたに願います。御父と御子の交わりの中で、世々とこしえに。アーメン ⛪ 日々の祈り ⛪ ロザリオの祈り ⛪ 十字架の道行き ⛪ 毎日のみ言葉による祈り ⛪ 教皇による祈りの世界ネットワーク ⛪ 詩編による祈り ⛪ 時による祈り ⛪ 広島司教区の祈り ⛪ 教皇とともに祈る(教皇の意向) ⛪ 個人の祈りの意向 ⛪ 多言語のミサ式次第 - [初めての方へ](https://shimonosekicatholic.org/guideline/): 教会をはじめて訪ねたとき 神とは イエスとは マリアとは 聖書とは ミサとは 神父とは 修道院やシスターとは カトリックの教えを学ぶ HPのご案内とその使い方 お問い合わせ 教会をはじめて訪ねたときは、どうしたらよいのですか 教会の入口に案内する人がいれば、「はじめてです」とおっしゃってください。親切に案内してもらえるでしょう。はじめはなにもわからなくてもいいのです。少しずつ、 わかるように なるでしょう。まず、教会に入って、空いている席について ください。教会には、式の途中であっても、どなたでも自由に入れます。中に入ったら、まわりの人と同じようにすればいいのです。人がすわるときには自分もすわり、立つときには自分も立つというぐあいに。何よりも、早いうちに、教会の神父に自己紹 介をなさることです。親切に迎えてもらえま す。 『はじめて教会へいらしたあなたに―カトリック教会のご案内』、(ガエタノ・コンプリ、ドンボスコ社)より *** 教会を訪問された際、神父さまにお会いになることはお勧めします。 神とは、 どういう方ですか 神のことを知るためには、聖書の教えを読むのがいちばんよいでしょう。 たとえば、パウロというキリストの弟子は、次のように説明しています。「神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、 人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。(中略)彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち 一人一人から遠く離れてはおられません。皆さんのうちのある詩人たちも、『我らは神の中に生き、動き、存在する』『我らもその子孫である』と、言っているとおりです。わたしたちは神の子孫なのですから、 神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません」(使徒言行録17・24〜25、27〜29)。なお、イエスは、神が私たちを愛してくださる「天のおん父」である と教えています。イエスの弟子ヨハネも、「神は愛である」と言っているとおりです。 『はじめて教会へいらしたあなたに―カトリック教会のご案内』、(ガエタノ・コンプリ、ドンボスコ社)より イエスとは、どういう方ですか イエスは、私たちに神への道を教えてくださった方です。およそ二千年前、イスラエルのベツレヘムで貧しい状態でお生まれになり、およそ三十歳で故郷を離れ、町や村をまわって人々に教えたり、不思議なわざを行ったりされましたが、そのわずか 二、三年後の西暦三十年ごろ、十字架にかけられました。しかし、聖書が示すとおり、三日目に 復活され、弟子たちに現れました。彼らに、全世界に教えを伝えるよう命じられたのち、神のもとへ戻られました。イエスは、ご自分が旧約聖書で約束された「メシア・キリスト」、世の救い主、また、天のおん父がこの世に遣わされた「神の子」であることを宣言されました。 ご自分の教えを「福音」、すなわち「よい知らせ」と呼び、 それに従って生きるならば、幸せになれると言われました。次のようにも教えておられます。 「隣人を自分のように愛しなさい」(マルコ12・31) 「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」 (ルカ6・31) イエスの生涯については、聖書特に福音書(マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、そしてヨハネによる福音書)は記されております。 『はじめて教会へいらしたあなたに―カトリック教会のご案内』、(ガエタノ・コンプリ、ドンボスコ社)より マリアとは、どういう方ですか マリアは, イエスの母です。イエスを産んで育てただけでなく、十字架につけられたイエスのもとに立つほどの勇気のある方でした。マリアは、救い主の母となるために、どんな人よりも神から恵みに満たされ、だれよりも、神とおん子イエスをお愛しになった方です。そのため、教会の信仰の模範となり、私たちはその生き方にならうようにしています。 私たちは、マリアを尊敬し、神の前で取り次いでくださるように祈ります。それで、教会や家庭ではマリアの肖像を飾ったりするのです。 なお、私たちは、イエスに従うように努めたすべての人々をも尊敬します。彼らが天国で神から愛され、永遠の幸せを得ている と信じるからです。その中でも、特別に模範的な人々は教会で「聖人」と呼ばれ、私たちはその取り次ぎを願い、その姿を見習うように努めます。日本の教会にも多くの聖人がいますが、その中で特に尊敬されているのは、日本に信仰をもたらした聖フランシスコ・ザビエルと、信仰のために長崎で殉教した二十六聖人です。 『はじめて教会へいらしたあなたに―カトリック教会のご案内』、(ガエタノ・コンプリ、ドンボスコ社)より 聖書とは、どういう本ですか 聖書とは、神が行われた救いの歴史と神の教えを伝える本です。「旧約聖書」と「新約聖書」に大きく分かれています。旧約聖書は、 イエスが生まれる前に書かれたもので、四十六の文書からなっています。新約聖書は、イエスの生涯とその教えを伝えるもので、二十七の文書からなっています。旧・新約聖書は、ともにキリスト教の「正典」、すなわち、正式な教えの本です。書かれた時代と文化圏が違うので、正しく理解するためにいくらかの準備と勉強が必要です。はじめて読まれる方には、イエスの教えを伝える四つの福音書をおすすめします。聖書に関しては、 いくつもの日本語訳が出版されています。代表的な訳は、『聖書新共同訳』(日本聖書協会)があります。バルバロ訳(講談社)やフランシスコ会訳(サンパウロ)、カトリックから出ているものには注解があります。私たちには大きな助けとなるでしょう。また、聖書を分かりやすく紹介している本もありますので、はじめて聖書を読まれる方には、そ のような本を参考にしながら読むことをおすすめします。聖書の本はこちらです。 『はじめて教会へいらしたあなたに―カトリック教会のご案内』、(ガエタノ・コンプリ、ドンボスコ社)より ミサとは何ですか ミサとは、カトリック教会で行ういちばん大事な祈りです。日曜日の他に、平日、また、結婚式、葬儀などの大事なときにも行います。司祭が司式し、信者 とともにミサをささげるのです。 ミサの由来は、キリストの最後の晩餐、イエスが死をむかえようとされたときにさかのぼります。そのとき、十字架の死を覚悟しておられたイエスは、食事の途中、パンとぶどう酒の杯を取り、 弟子に与えて、こう言われました。「これは、あなたがたのために渡される、わたしの体である。これは、わたしの血である。わたしの記念としてこれを行いなさい」(ルカ22・19〜20参照) そのとき以来、教会はキリストが命じたとおりに最後の晩餐の式を繰り返してきました。それによってキリストの十字架上の死と復活とを記念し、私たちの救いのためにいのちをささげられたキリストに、心を合わせるのです。ミサのとき、私たちは、神からのすべての恵みのために感謝をささげることにしています。それで、 ミサは「感謝の祭儀」とも呼ばれています。 なお、このとき、私たちはキリストを記念するために、まず、その教えを聞きます。すなわち、 ミサの前半には「聖書」が読まれ、「説教」が行われるのです。日曜日に読まれる聖書の箇所は、原則として、「旧約聖書」から一箇所と、「新約聖書」からイエスの「使徒たちの文書」と、「福音書」からのそれぞれ一箇所です。 毎日曜日、どんな箇所が読まれるかは、全世界の教会のために決まっています。皆の便宜のため、その日の聖書朗読を印刷したものが準備されていますので、教会の入口で「聖書と典礼」というパンフレットをもらってください。 ミサの祈りの順序が書いてある小冊子もあります。それを使えば、すぐ に慣れるでしょう。歌われる聖歌は、教会に「典礼聖歌」とその他が備えてありますので、教えてもらってください。 ミサの途中、皆が立って祭壇に進み、「聖体」である白いパンをいただきます。そのとき、教会によっては、洗礼を受けてない方のために神父に神の祝福を祈ってもらう習慣もあります。お望みならば、列に並んで前に進 み、頭を下げ、手を合わせたまま祝福をいただいてください。 『はじめて教会へいらしたあなたに―カトリック教会のご案内』、(ガエタノ・コンプリ、ドンボスコ社)より つまり、ミサの祭儀は、キリストの行為であり、神の民の行為であって、キリスト者の生活全体の中心です。またミサは、キリストを代表する司祭を座長として、一つに集まった神の民の集会です。『カトリック教会のカテキズム要約』によりますと、「感謝の祭儀によって、神のいのちとの交わりとわたしたち神の民の一致がもたらされます。」 年間荘厳ミサ 神の母聖マリア(1月1日)  → 新年にあたり、聖母マリアを神の母として称える祭日。 主の公現(1月6日)* → 主が全世界に現れたことを記念する日。 日本二十六聖人(2月5日)  → 長崎で殉教した26人の聖人を記念し、日本の信仰の証しを思い起こす。 灰の水曜日  → 四旬節の始まり。悔い改めと回心を呼びかける日。 聖週間(三日間)  → 聖木曜日、聖金曜日、復活徹夜祭。キリストの受難、死、復活を深く記念する。 復活祭  → 典礼暦年の頂点。キリストの復活を祝い、死に打ち勝った勝利を記念する。 主の昇天  → キリストが天に昇り、永遠の命への希望を示す。 聖霊降臨  → 聖霊が降り、教会が誕生したことを記念する。 キリストの聖体  → 聖体の秘跡においてキリストの体と血を賛美する祭日。 広島教区では、毎年5月3日に津和野で「乙女峠祭り」が行われている。これは、幕末から明治初期にかけて津和野で殉教したカトリック信者たちを記念する特別な祭日。広島教区の巡礼行事として、ミサ、祈り、行列が行われる。日本のカトリック史における重要な信仰の証し。 洗礼者聖ヨハネの誕生(6月24日)  → 主の道を整えた洗礼者ヨハネの誕生を祝う。 ... 読み続き - [図書室](https://shimonosekicatholic.org/library/): 図書室の「本の紹介」コーナーです。 Mục giới thiệu sách trong Thư Viện. もし読んでみたい本がありましたら、どうぞお気軽に細江教会のJb神父までお声かけいただき、貸出をご利用ください。 Nếu tìm thấy cuốn sách muốn đọc, xin mời đến nhà xứ Hosoe, gặp cha Jb để mượn đọc. 図書室の本をお探しになる際には、下のフォームをご利用ください。現在、まだデータの入力が終わっておりませんので、検索をしていただいても本は表示されません。できるだけ早く本の情報をこちらに登録できるよう努めておりますが、しばらく時間がかかる見込みです。皆さまにはお待ちいただくこととなり、誠に申し訳ございません。どうかご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。 Reading-コーナー カトリック細江教会、二階、図書室の隣の部屋 - [式次第](https://shimonosekicatholic.org/misa_sacraments_rites/): ミサ式次第 洗礼の儀 堅信の儀 ゆるしの秘跡 ミサ以外聖体拝領 塗油の儀 結婚の儀 叙階の儀 ミサ式次第 (多言語) 洗礼の儀 (Rite of Baptism) 洗礼志願者の紹介 司 洗礼志願者は代父(母)といっしょに前に出てください。(洗礼志願者と代父母が前に出ると、司式者は洗礼志願者を共同体に紹介します。) 連願続いて、水の祝福のため、またその水で洗礼を受ける人々のため、諸聖人の取り次ぎを 願って連願が歌われます。 司 〇〇〇さん、あなたは天地の創造主、全能の、神である父を信じますか。〇〇〇。さん、あなたは天地の創造主、全能の、神である父を信じますか。答 信じます。 司 父のひとり子、おとめマリアから生まれ、苦しみを受けて葬られ、死 者のうちから復活して、父の右におられる主イエス・キリストを信 じますか。 答 信じます。 司 聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠の いのちを信じますか。 答 信じます。 司 〇〇〇(姓名)、わたしは  父と(水が注がれます)  子と(水が注がれます)   聖霊(水が注がれます)のみ名によって   あなたに洗礼を授けます。 (洗礼の秘跡には豊かな意味があります。洗礼に続くいろいろな授与の式は、異なった シンボルによって、洗礼の意味をさらに明らかにするものです。) 司 白い衣を受けなさい。 (代父母が受洗者に白衣を着せます。) 司 あなた(がた)は新しい人となり、キリストを着る者となりました。神の国の完成を待ち望みながら、キリストに従って歩みなさい。 (白衣の授与は事情によって省かれることもあります) 司 代父、代母の皆さん、キリストの光から火をともし、今、洗礼を受け た人に渡してください。 (代父母は復活のろうそくから火をつけて受洗者に渡します。) 司 あなた(がた)は、キリストの光をもたらす者となりました。主イエ ス・キリストが来られる時、すべての聖人とともに喜んで主を迎える ことができるよう、い つも光の子として歩みなさい。 司 〇〇〇(洗礼名)、これがあなたの洗礼名です。 堅信の儀 (Rite of Confirmation) 復活して父の右にあげられたイエスは、父のもとから聖霊をお送りになりました。それまではユダヤ人を恐れて部屋にかくれていた使徒たちが、聖霊に満たされると大胆に確信をもって福音をのべ伝え始めました。イエスの過越の神秘は、その死と復活の 後の聖霊降臨によって完成されたのです。わたしたちは洗礼に続いて堅信を受け、聖 霊を父からのたまものとして受けてキリストのからだをたてる使命と力をいただきます。 司 全能の神、主イエス・キリストの父よ、   あなたは水と聖霊によって  この人々に新しいいのちを与え、罪から解放してくださいました。   今、この人々の上に助け主である聖霊を送り、   知恵と理解、判断と勇気、神を知る恵み、   神を愛し、敬う心をお与えください。  わたしたちの主イエス・キリストによって。一同 アーメン。 司 〇〇〇(姓名)、父のたまものである聖霊のしるしを受けなさい。 答 アーメン。司 主の平和答 主の平和 司 皆さん、 わたしたちは主の過越の神秘によってキリストとともに葬ら れ、キリストとともに新しいいのちを生きる者となりました。四旬節 を終えた今、悪霊を捨て神に従うという洗礼の約束を新たにしましょう。 一同 天地の創造主、全能の、神である父を信じます。   父のひとり子、おとめマリアから生まれ、   苦しみを受けて葬られ、死者のうちから復活して、   父の右におられる主イエス・キリストを信じます。  聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、   罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。 (わたしたちが唱えた信仰宣言は、洗礼の時の、悪を捨て神に従うという決意を新たに 表明するものです。主日に唱える信仰宣言も同じ目的を持つもので、洗礼を通して聖 体へという、わたしたちのキリストへの信仰の歩みを表すものなのです。 司式者は会衆に洗礼水をふりかけ、一同は自分が受けた洗礼を思い起こし、感謝と決 心を新たにします。) 共同祈願(意向は自由に作るか、次のものの中から選ぶことができます。 司 キリストは全人類の救いのために罪と死にうち勝ち、輝かしい勝利を 得られました。わたしたちに先立って栄光に移られた主に、大きな信 頼と希望をもって祈りましよう。 先 全教会が復活への信仰を強め、世界の中にあって救いのしるしとなる ことができますように。先 不安と苦悩にさいなまれる わたしたちの社会に、キリストの復活に よる喜びと平和が与えられますように。受洗者 洗礼によって神の子どもとなった わたしたちが、キリストのうちに、 信者の皆さんとともに成長することができますように。 受洗者いない場合 洗礼によって神の子どもとなった人々が、キリストのうちに力強く成 が長することができますように。先 主の復活を祝うために集まった わたしたちキリスト者が、新しい兄弟 を迎え、信仰に結ばれた共同体を造って行くことができますように。 先 わたしたちの家庭に いつもキリストがおいでになり、 平和と心の一致 を与えてくださいますように。先 病気の人や、死にのぞんでいる人々を力づけ、救いを与えてくださいますように。 司 神である父よ、あなたは御子キリストを人類の頭として復活させ、わ たしたちがキリストの ... 読み続き - [音楽](https://shimonosekicatholic.org/music/): このサイトを訪れてくださり、またお声をいただいて心より感謝いたします。Thank you sincerely for visiting this website.皆さまの信仰の歩みが、主の導きと恵みに満たされますように。May your journey of faith be filled with the Lord’s guidance and grace.感謝の気持ちで宜しければどうぞ下の音楽をお聞きください。 続いては、下のPlaylistはSoundCloudに基づいて行われたものです。モバイルでこれらの曲を聴こうと思っていっらしゃる方は「Play on SoundCloud」ではなくて、「Listen in browser」をタッチしていただくようお願いいたします。そうすると、スムーズに音楽がながれることができると思います。 - [皆様の声](https://shimonosekicatholic.org/voice/): 下関にある三つの教会、四つの幼稚園、ロクスひよりやま、小さい姉妹の修道院そして聖フランシスコ・ザビエル上陸記念碑を訪れた方々ぜひこちらでご感想を分かち合っていただけると幸いです。下のフォームにお気軽にご記入ください。皆さまからのお声を楽しみにお待ちしています。 Ad Majorem Dei Gloriam - [サイトマップ](https://shimonosekicatholic.org/sitemap/): カトリック教会情報ハンドブック2026 - [利用規約](https://shimonosekicatholic.org/terms/): 1. サイトの目的 / Purpose of This Website 本サイトは、信仰の旅路を歩む兄弟姉妹のために、教会や宗教施設に関する情報を分かち合う個人の奉仕活動として運営されています。This website is a personal ministry effort to share information about churches and religious facilities for the benefit of fellow believers. 2. 情報の正確性について / Accuracy of Information 正確な情報提供に努めていますが、内容の完全性・最新性を保証するものではありません。While every effort is made to provide accurate information, completeness and up‑to‑date accuracy cannot be guaranteed. 必要に応じて各教会へ直接ご確認ください。Please confirm details directly with the respective church when necessary. 3. 著作権について / Copyright 問題がある場合はご連絡ください。If any copyright concerns arise, please contact me. 4. 外部リンクについて / External Links 外部サイトの内容や安全性について責任を負いません。This website is not responsible for the content or safety of external links. 5. 利用者の責任 / User Responsibility 本サイトの情報を利用する際の判断は利用者ご自身の責任でお願いします。Users are responsible for their own ... 読み続き - 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Cookie とアクセス解析 / Cookies & Analytics 本サイトでは、より良い奉仕のために Cookie を使用する場合があります。Cookies may be used to improve user experience and ... 読み続き - [お問い合わせ](https://shimonosekicatholic.org/contact/): 主の平和が皆さまの上にありますように。May the peace of Christ be with you. 本サイトに関するご質問や、情報の修正依頼、または小さなメッセージでも、どうぞお気軽にお寄せください。If you have any questions, requests for corrections, or simply wish to send a message, please feel free to contact me. 皆さまの声は、この小さな奉仕をより良いものにする大切な恵みです。Your feedback is a blessing that helps this small ministry grow in service. - [ブログ](https://shimonosekicatholic.org/blog/): ようこそ。神父の話・説教、教会だよりや感想・分かち合いなどはこちらでご覧できます。 - [イベント](https://shimonosekicatholic.org/events/): こちらはお知らせや行事などがあります。 - [教会ご案内](https://shimonosekicatholic.org/about_us/): 運営者情報 / About the Administrator 運営者名 / Name:SILOHA紹介 / Profile本サイトは、カトリック司祭である私個人が、祈りと奉仕の心をもって運営しています。This website is personally operated by a Catholic priest, guided by a spirit of prayer and service. 目的 / Purpose下関にあるカトリック教会や施設に関する基本的な情報を分かち合い、信仰生活の助けとなることを願っています。The purpose is to share basic information about churches and religious facilities in Shimonoseki to support the faith journey of others. 連絡先 / Contactメールアドレス / Email:jbsilohasj [@] gmail.com  下関のカトリック教会は、細江教会、彦島教会、長府教会の三つの教会と、四つの幼稚園を有しております。さらに、社会司牧センター「ロクスひよりやま」およびイエスの小さい姉妹の友愛会のシスター方の共同体もございます。加えて、2002年には、聖フランシスコ・ザビエルが1549年にこの愛すべき地に上陸された記念碑を建立いたしました。下関におけるカトリックの概要紹介を、以下に続けてご覧ください。各教会の詳細については、下記のリンクをご参照いただけます。 下関について 三つのカトリック教会 イエスの小さい姉妹の友愛会 ロクスひよりやま(旧労働教育センター) サビエル下関上陸記念碑 四つの幼稚園 下関について  下関は、古くから日本の西の玄関口として栄え、多くの歴史的出来事の舞台となってまいりました。 まず、聖フランシスコ・ザビエルが1550年に唐戸の港にお立ち寄りとなり、キリスト教の宣教の道を開かれました。その足跡は、今日に至るまで信仰の歴史の中に深く刻まれております。 また、幕末から明治にかけては、下関戦争や日清戦争後の下関条約の締結など、日本の近代化と国際関係に大きな影響を与える出来事がこの地で起こりました。これらは、下関が国の運命を左右する重要な場所であったことを示しております。 さらに、下関は古来より国際交流の拠点でもありました。特に朝鮮半島との結びつきは深く、交易や文化交流を通じて人々の往来が盛んに行われてまいりました。その伝統は現代にも受け継がれ、韓国との交流は今なお活発でございます。 そして、この歴史の流れの中で、キリスト教もまた下関に独自の美しい彩りを添えてまいりました。現在、下関には三つのカトリック教会、一つの社会センター、そしてイエスの小さい姉妹の友愛会の共同体がございます(約十年前には四つの修道会が存在しておりました)。さらに、四つの保育園も設けられ、地域社会に奉仕し続けております。これらの活動は、下関という開かれた土地において、信仰と愛の実りを育んでいる証しでございます。 このように、下関は信仰の歴史、国の歩み、そして国際交流の舞台として、多くの人々の記憶に残る土地でございます。 三つのカトリック教会 カトリック細江教会 カトリック広島司教区カトリック細江教会 守護聖人 聖ペトロ〒750-0016 山口県下関市細江町一丁目9番15号☎:083-222-2294Fax:083-222-0970教会のHPはこちらです。 ミサのスケジュール:日曜日と金曜日のミサ11時、 平日のミサ7時 主任司祭:ファン・デュック・ディン(藩徳定)Jb Phan Đức Định協力司祭:林尚志神父 (Fr. Hayashi Hisashi)百瀬文晃神父 (Fr. Momose Fumiaki) ⛪ 細江教会詳しくはこちら ★ ★ ★ カトリック長府教会 カトリック広島司教区カトリック長府教会 守護聖人 ファティマの聖マリア〒752-0958 下関市長府金屋浜町8-9☎:083-245-0747Fax:083-250-5151教会のHPはこちら。 ミサのスケジュール:日曜日のミサ9時30、 金曜日のミサ10時、他の日のミサ7時 主任司祭:英隆一朗神父 (Fr. Hanafusa Ryuichiro) ⛪ 長府教会詳しくはこちら ★ ★ ★ カトリック彦島教会 カトリック広島司教区カトリック彦島教会 守護聖人 聖ヨセフ〒750-0074 下関市彦島本村町6-10-17☎:083-266-2043Fax:083-268-1477✉:catholic.hikoshima@gmail.com ミサのスケジュール:日曜日のミサ9時、 木曜日のミサ10時 主任司祭:ファン・デュック・ディン(藩徳定)Jb Phan Đức Định協力司祭:林尚志神父 (Fr. Hayashi Hisashi)百瀬文晃神父 (Fr. ... 読み続き - [ホーム](https://shimonosekicatholic.org/): ようこそ 下関のカトリック教会で心温まる時間を共に過ごしましょう。 ⛪ 神父 の 話 神父方々のあたたかいメッセージは、私たちがキリストの愛のうちに、日々ますます喜びと一致に満ちた共同体を築いていくよう、やさしく招いてくださっています。カトリック長府教会によるミサの説教はこちら。 ⛪ 祈りの家 本日のみ言葉の典礼 教皇による祈りの世界ネットワーク(PWPN) 個人のお祈りどうぞご自由に お知らせと行事 最新投稿 最新の情報および記事につきましては、随時ご確認いただきますようお願い申し上げます。常に新しい知見をご提供できるよう努めておりますので、ご参考いただければ幸いです。 アクセス 上左側、「下関のカトリック教会」の左側のアイコンをクリックしていただいたら、教会や幼稚園などのリストが出てきます。 ご挨拶 / About this Website 主の平和が皆さまの上にありますように。May the peace of Christ be with you.このサイトは、下関で信仰生活を歩む兄弟姉妹のために、カトリック教会に関する基本的な情報を分かち合う小さな奉仕として作られました。This website is a small act of service, created to share essential church information for brothers and sisters living their faith in Shimonoseki.皆さまが祈りの場を見つけ、共同体とつながり、主の導きのうちに歩む助けとなれば幸いです。May it help you find places of prayer, connect with community, and walk gently under the Lord’s guidance. ⛪ 詳細はこちら - [司祭ご紹介](https://shimonosekicatholic.org/priest-info/): 神父さまは、教会の指導者、神の道を教える人です。ミサや他の礼拝を司式するので、「司祭」とも言われます。皆のために祈り、信者を呼き、教えを説くのです。子どもも大人も、年配の方も、どなたでも気楽に神父に話し、いろいろな相談や悩みを打ち明けることができます。 神父の住まいは、教会のそばにある「司祭館」です。自分のすべてを神と教会にささげていますので、カトリッ クの神父は結婚をしません。それは皆のお父さんになるためです。教会が大きければ、二人以上の司祭が仕事を分担しています。「主任司祭」の他に、「助任司祭」やその他の担当者(協力司祭)がいます。また、イエスの教えを伝えるために、 「宣教師」として外国から派遣された神父もいます。むずかしい日本語を覚えて、人々の救いのために命をささげている人々です。 『はじめて教会へいらしたあなたに―カトリック教会のご案内』、(ガエタノ・コンプリ、ドンボスコ社)より *** 教会を訪問された際、神父さまにお会いになることはお勧めします。 細江教会と彦島教会 Phanファン Ducデュック Dinhディン(藩徳定)カトリック・イエズス会司祭。霊名:洗礼者ヨハネ1984年  ベトナム生まれ、クイニョン教区ゴティ教会              6人兄弟姉妹長男2004年  イエズス会入会(19歳)2009年  来日。日本語・日本の歴史と文化の勉強2012年  細江教会の手伝いと天使幼稚園講師、中間期2014年  上智大学、神学、大学院2017年  東京、司祭叙階2019年  細江教会と彦島教会助任司祭              天使幼稚園講師2022年  フィリピン、第三修練2023年  防府教会の手伝い(5月間)2023年  フィリピン(EAPI)、司牧・リーダーシップの研修2024年  宇部教会助任司祭2025年 細江と彦島教会主任司祭 林尚志神父 (Fr. Hayashi Hisashi)カトリック・イエズス会司祭。霊名:洗礼者ヨハネ細江と彦島教会の協力司祭 百瀬文旻神父神父 (Fr. Momose Fumiaki)カトリック・イエズス会司祭。霊名:使徒ペトロ細江と彦島教会の協力司祭 長府教会 英隆一朗神父 (Fr. Hanafusa Ryuichiro)霊名:アッシジのフランシスコカトリック長府教会の主任司祭。 ロクスひよりやま 中井淳神父 (Fr. Nakai Jun)カトリック・イエズス会司祭。霊名:洗礼者ヨハネロクスひよりやまのセンター長 - [イエスの小さい姉妹の友愛会](https://shimonosekicatholic.org/little-sisters-of-jesus/): 下関の小さい姉妹←クリック 人はみな、光に向かいたいという深い望みを持っています。私たちは、イエスに、とりわけベツレヘムとナザレのイエスに倣い、社会の中で人々と労働や夢を分かち合いながら、友愛を育み、光に向って共に歩むようにと、小さい兄弟シャールの心を受け継ぎ、小さい姉妹マドレーヌによって創立されたキリスト教の修道会です。イエスは神でありながらベツレヘムで人として生まれ、ナザレで三十歳まで大工として普通の人と変わらない仕方で生活なさいました。その年月について福音書が語ることはわずかですが、私たちと同じ生活の場をイエスは神との出会いの場、救いの場となされたのです。イエスのように私たちも「神がこよなく愛されたこの世界(ヨハネ3:16)」の中で、光に向かうために、イエスと人々の小さい姉妹となって生きながら、共に神に心を上げ、より人間らしい世界、より神のみ心にかなった世界を求めて働きたいのです。 創立者イエスの小さい姉妹マドレーヌ1898~1989 小さい姉妹マドレーヌ(マドレーヌ・ユタン)は、1898年、パリで生まれました。第一次世界大戦と病気で、家族の大半を失います。家族はドイツと国境を接するロレーヌ地方の出身で、幼い頃から国家間の憎悪や国境による分裂、また社会階級による差別の苦しみを味わいました。それゆえ、生涯を通して他者と出会い、開かれた交わりに向かい、一致を求めて、人を疎外し、隔て、分離するあらゆる境界を愛をもって取り除こうとしました。1939年、マドレーヌは、小さい兄弟シャール・ド・フーコーの信仰の理想を慕って、アルジェリアのサハラ砂漠に行き、遊牧民の中で、イエスの小さい姉妹の友愛会を創立します。イスラム教の貧しい遊牧民との真の友情に支えられ、育まれながら友愛会は成長し、やがて世界中に広がっていきました。1952年、小さい姉妹マドレーヌは、小さい姉妹たちの理想を「小さい兄弟シャールの後を慕って」と題して、手紙の形で小冊子にまとめました。表紙の色から緑の小冊子と呼ばれているもので、教会の中に新しい修道生活の形を開き、人々に強いインパクトを与えました。ベツレヘムに生まれ、飼い葉桶に寝かされた乳飲み子イエスに目を注ぎ、そこに神の人に対する無限の愛を見た小さい姉妹マドレーヌは、クリスマスから流れ出る信頼、委託、柔和、喜び、平和、愛のメッセージをもたらすために世界を巡り、冷戦時代の「鉄のカーテン」の後ろの国々にも友愛の家々を設立していきました。また、森林の中に住む少数のピグミーやインディオ、アラスカのイヌイット、ジプシーやサーカス、露店商人や渡り鳥と呼ばれ、農場から農場へと移動しながら働く季節労働者の中にも友愛の家を設立し、刑務所の中には志願囚として、売春や薬物の犠牲者の中には友として小さい姉妹たちを送り出し、愛をこめて人間の尊厳を尊重しようと努めました。小さい姉妹マドレーヌは、1989年、九十一歳で世を去りました。友愛を通して神の小さなしるしになろうとした生涯でした。   小さい姉妹マドレーヌの生涯を物語る伝記が出版されました。 イエスの小さい兄弟シャール(ド・フーコー神父)1858~1916 小さい姉妹のマドレーヌは、小さい兄弟シャール・ド・フーコー神父の生と死から霊感を受けました。シャール・ド・フーコーは、1858年、フランスのストラスブルグで生まれました。多感な思春期に信仰を失い、無規律な生活を過ごしますが、軍人になり、モロッコ探検を機に神の現存に心を揺り動かされ回心します。二十八歳でした。  巡礼に赴いたナザレで、人となられた神、キリストの生きた姿を具体的に発見し、この時から全生涯をあげて神に身を捧げ、キリストにつき従いたいと望みます。 司祭になり、アルジェリアのサハラ砂漠で、遊牧民であるトゥアレグ族の友であろうと努め、奴隷制度と闘い、言葉と文化を学び、トゥアレグの叙事詩を収集し、タマハク語の辞書を編纂します。こうして、改宗させることを求めるのではなく、全生活をあげて「福音を叫びたい」と切望するのでした。彼は、自分をイエスの小さい兄弟シャールと呼び、イエスの体と血の捧げものである聖体のうちに、神の現存と、傷ついた人類を癒し救うその愛を見、他者へと向かい、人々の中に共にいるという友愛と献身の美しい模範を示しました。1916年12月1日、サハラの奥地、ホガールで死去。第一次世界大戦中、友であるトゥアレグ人の中に最後までとどまろうとして裏切られ、暗殺されたのでした。彼は、理想を同じくする同志を待ち望みながら、たった独りで死んでいったとはいえ、彼を燃え立たせた精神は、その後、あらゆる民族、文化の中で、同じ呼びかけを聞いた人々によって引き継がれ、今も息づいています。1933年、小さい兄弟ルネ(ヴォワイヨーム神父)がサハラ砂漠で、イエスの小さい兄弟の友愛会を創立し、他にもシャールに連なる十七を越える霊的修道家族や信徒のグループが世界各地で活動しています。イエスの小さい兄弟シャールの伝記や霊的手記が出版されています。 日本の小さい姉妹たち 小さい姉妹イエスのマドレーヌは、1954年に全世界を回った時、日本の小さい姉妹を創立しました。その時、友情を芽生えさせる使命を託して二人の経験のない若い姉妹たちを残していきました。小さい姉妹のマドレーヌは日本の最北端の稚内に魅せられました。遠く離れた寒村の漁師の厳しい生活に心を打たれたのです。その上、樺太は当時共産主義体制の下で閉ざされていたのでロシアの兄弟たちのために祈りを捧げるのにふさわしい場所と考えられました。今も、ここで姉妹たちは生活しています。小さい姉妹たちは、長野県の山の中の生田にいます。そこで、農業をしている人たちの中で生活し、静かに祈りの時を過ごすために来る小さい姉妹やお友達を迎えます。日本の友愛の家の本部は、埼玉県入間市の郊外、宮寺にあります。  小手指にも、もう一つの共同体があります。池袋の小さい姉妹たちは、孤独な生活をしているお友達との友情を深めようとしています。最近は、拘置所を訪ねることが多くなりました。京都の小さい姉妹たちは、露天商の人たちと友情を結び、お寺の縁日には、一緒に屋台を開いています。下関では、一人の韓国人と三人の日本人の小さい姉妹たちが、生活しています。現在、韓国・イタリア・フランス・日本の姉妹27人が、日本にいます。日本からは幾人かの姉妹たちが、韓国・中国・アフガニスタン・南アフリカ・ルアンダ・フランス・アラスカに派遣されています。 日本地区本部:〒358-0014埼玉県入間市宮寺2837☎:04-2935-1870Fax:04-2935-1871✉:miyadera@m.ictv.ne.jp 世界の小さい姉妹たち 約1400名の小さい姉妹が70ヶ国にいます。総本部:Piccole Sorelle di Gesu2 Via di Acque Salvie Tre Fontane 00142 Roma ITALIA 父なる神に身を託する祈り 下関の小さい姉妹 〒750-0043 下関市東神田町12-2 電話:083-222-1779 アクセス - [カトリック長府教会](https://shimonosekicatholic.org/chofu-info/): カトリック広島司教区カトリック長府教会 守護聖人ファティマの聖マリア〒752-0958 下関市長府金屋浜町8-9☎:083-245-0747Fax:083-250-5151教会のHPはこちら⛪ 初めての方へ アクセス 【JR】山陽本線、長府駅下車バス約10分。新幹線、新下関駅下車タクシー約20分。 【自家用車】中国自動車道小月ICより国道2号線を下関方向へ約30分。中国自動車道下関ICより国道2号線を広島方向へ約30分。 - [カトリック彦島教会](https://shimonosekicatholic.org/hikoshima-info/): カトリック広島司教区カトリック彦島教会 守護聖人聖ヨセフ〒750-0074 下関市彦島本村町6-10-17☎:083-266-2043Fax:083-268-1477✉:catholic.hikoshima [@] gmail.com⛪ 初めての方へ アクセス 【JR】山陽線、下関駅下車、バスで約10分。 【バス】彦島行、ロータリーバス停下車、徒歩約3分。 【自家用車】中国自動車道、下関ICより下関市街地方向へ、下関駅より1kmぐらいで関彦橋、教会へは一方通行、消防署前を左折するかタナカビルの横から入る。 - [カトリック細江教会](https://shimonosekicatholic.org/hosoe-info/): カトリック広島司教区カトリック細江教会 守護聖人聖ペトロ〒750-0016山口県下関市細江町一丁目9番15号☎:083-222-2294Fax:083-222-0970教会のHPはこちらです。 カトリック細江教会は、下関市の唐戸港近くに位置する小さな教会です。この地は、聖フランシスコ・ザビエルが1550年に本州での宣教活動のために最初に足を踏み入れた場所でもあります。細江教会は1895年に設立されました。 長年にわたる積立と守護聖人ペトロのご保護のもと、私たちは新しい聖堂を再建し、2025年3月30日に献堂式を執り行うことができました。しかし、私たちの努力にもかかわらず、多額の負債が残っております。皆様には、深い歴史を持っているこの小さなカトリック教会にぜひお越しいただきたく存じます。また、教会の平和と一致、そして早期の負債返済のためにお祈りをお寄せいただけますよう、心よりお願い申し上げます。皆様への感謝の気持ちを込めて、ご挨拶申し上げます。  Our Hosoe Parish is a small community located near Karato Port (Shimonoseki), where St. Francis Xavier first set foot in 1550 on his missionary journey across Honshu Island. The parish was established in 1895.  After many years of saving and under the protection of our patron saint, St. Peter, we were able to rebuild our church, and the new church was solemnly consecrated on March 30, 2025. Despite our best efforts, we still carry a considerable debt. We warmly invite you to visit our humble yet sacred church, rich in Catholic history. We also sincerely ask for your prayers for ... 読み続き ## Optional - [Agent (MCP protocol)](websites-agents.hostinger.com/shimonosekicatholic.org/mcp) [comment]: # (Generated by Hostinger Tools Plugin)