あるベトナム人の若者に「最近、どうしてミ サに来ないの?」と尋ねてみましたら、「忙しいですから」と簡単に返事してくれました。これを聞いて、ある神父が「私の辞書には忙しい という言葉はないのですが、やる仕事は多い のです」と、おっしゃった言葉を思い出しまし た。忙しいという言葉の代わりに、仕事が多い という表現を使うには意味があるのではないかと思います。
忙しいという漢字には心の字 があり、亡の字があります。 Weblio辞書によりますと、「亡」 には三つの意味があり、すなわち、①存在していたものがなく なる。②死ぬ。③「その場から逃げて姿を隠す」ということです。 ですから、忙しいとは心を失う こと、心を亡くすこと、自分の心 から逃げることです。
仕事に縛られてしまい、あれこれに追われてしまって心がまともに存在せ ず、落ち着かない気持ちになることを表して いる聖書の箇所はマルタとマリアの話です(ルカ10 : 3 8-4 2)。この話から、私たち の日々の忙しさを少し考えてみましょう。
マルタはイエスを心からお迎えし、おもて なしするために、あれこれと心遣いをしながら、忙しくしていましたが、マリアはお話ししてくださるイエスの足元に座り込み、一心に イエスの話を聞こうとしています。一所懸命 に働いているマルタはマリアを見て、心がモ ャモヤし、イライラし、黙っていられなくなり、 イエスに「主よ、妹は私だけにおもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。 手伝ってくれるようにおっしゃってください」 と伝えました。それで、イエスは「マルタ、マ ルタ、あなたは色々なことに気を遣い、思い煩 っている。しかし、必要なことは一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」とお答えになりました。
イエスのお答えには「色々なこと」と「一つ だけ」の対照が強調されます。この地上で私たちが生きていく限り、生命を維持するために、 切り離せない絶対必要不可欠は衣食住です。
その生活するために、医食同 源に心がけて働いており、病 気の予防には、日常の食生活 に気を配ることが当たり前の ことです。ですが、 がめついから、自分に与えて くださった神様のことではなく、この地上に永遠に生き残 ることができるかのように、 四六時中金儲けばかり考えて いるのは本当に残念なことで す。
人間は、生者必滅(この世に生を受けた者は、必ず 滅び死ぬものであるということ)の理から逃れられ ません。この世の価値、すなわちお金や成功などというものそのものに自分の人生を委ねる ことは、人生が酔生夢死(何もせずに、むなしく一 生を過ごすこと)になってしまいます。私たちは、 仕事のために働くことでもなく、お金そのものために働くことでもなく、食べ物そのもの のために求めて探すことでもなく、むしろ私 たちの生活のために働くということです。も し仕事やお金などそのもののために働くと思 ったら、それらのものを神としてその神々の ために働いているということになります。
心乱れ、喜びを失った中で、本当に喜んで希 望のある人生を生き、そうなるために必要な ただ一つのことを主イエスは教えて下さって いるのです。それが、マリアのように、主イエスの足もとに座って、そのみ言葉にじっと耳を傾けることです。それによって神様との関 係における命を守ることができます。ですの で、永遠の命、すなわち神との関係が失われたくなければ、仕事がどのように忙しくても、それを理由に神様のみことばを聴く機会や神様 とのコミュニケーションを取り上げてはなら ないのです。
イエスご自身にとって神である父とコミュ ニケーションがどれだけ重要であったかはそれについて書いてある箇所がたくさんありま す。例を挙げますと、「しかし、イエスの評判 はますます広まり、大勢の群衆が、教えを聞いたり病気を治してもらうために集まってきた。 だが、イエスは厳しい所に退いて祈っておら れた」(ルカ5 :15-16)。これは、イエス は大勢の群衆でいつも忙しくされましたが、 ご自分一人で父と話す時間を設けたということを示します。つまり、忙しくて時間はないと いう問題ではなく、いわゆる仕事を第一にすることではなく、父とコミュニケーションを 第一にすることによって、どんなに仕事が多くても神様と話し合う時間を作ります。
私たちがこの地上に生まれてきたのは死ぬ ためではなく、生きるためであり、滅びるため ではなく、永遠の命を得るためです。そのため に、神さまは私たちに様々な恵みを与えてくださいます。その中に明らかになった一つは 物事に支配されることではなく、物事を支配 する恵みです。私たち一人ひとりがこの恵みを果たすことができるようにお祈りを申し上げます。
トアン神父
