教会に「恋する」と教会に「留まる」

 教会は、信仰の拠り所であり、神聖な場 所として尊ばれています。また特に人生 の困難な時期や人生の岐路に立たされた 時、教会は多くの人にとって、安らぎや 希望を見出す場所です。このように、教 会に「恋する」こと、つまり教会の雰囲 気やメッセージに惹かれるのは簡単 なことですが、教会に「留まる」 こと、つまり長期的に誠実に 信仰を持ち続けることは 決して容易ではないと言 われています。

 教会は、その建築や内 部装飾の美しさで多くの 人を魅了します。教会建 築は、荘厳さと静けさを 兼ね備えており、ステンド グラスや彫刻、壁画などは 視覚的に圧倒されるほどの芸術性を持っています。これら の美しさは、宗教的な枠を超えて一般の 人々に深い感銘を与え、教会を訪れるきっかけとなります。また、ミサの典礼も、 厳粛で神聖な雰囲気を持ち、多くの人に 感動を与えます。そして、忙しい日常生 活から離れて、教会で静かに祈り、瞑想 することで心の支えや平安を感じる人が 少なくないでしょう。特にクリスマスや イースターのミサなどでは、聖歌やオル ガンの演奏が響き渡り、独特の精神的な 空間を作り出します。そのため、初めて 教会を訪れる人々や新たに信仰を持つ 人々は、教会の雰囲気やコミュニティの温かさに魅了されやすいものです。このようなポジティブな体験は、教会に「恋 にする」ことを容易にします。

 しかし、教会に「留まる」、つまり信仰 を持続させ、深めていくことは別の挑戦 です。イエスは「私が父の戒めを守り、 その愛にとどまっているように、あなた 方も、私の戒めを守るなら、私の愛にとどまっていることになる」(ヨハネ15:10) と語り、信仰における継続的な実践の重 要性を強調しています。これは、教 会に留まるためには、神の戒め を守り続ける必要があります。

 しかし、日々の生活の中で仕 事や家庭、趣味など、多くの ことに時間を取られ、教会や 祈りに向き合う余裕がなく なり、信仰生活に割ける時間 が減ってきます。

 別の場面ではイエスが「わ たしの肉を食べ、わたしの血を 飲む者は、永遠の命を得、私はその人を終わりの日に復活させる」(ヨ ハネ6:54)と語った後、多くの弟子たち がその教えに驚き、戸惑い、イエスについて行くのを諦めました。そして、そこでイエスは十二人の弟子に「あなたがた も去ろうとするのか」と問いかけました。 ここでは、イエスが自身の教えの難しさ や弟子たちの揺れる信仰心に直面した時 に、忠実に従う者が誰であるかを問うて います。イエスの問いかけは、信仰における決断や継続することの難しさを思い 起こさせ、信仰がただの感情的な魅力や 一時的なものではなく、深い決意と持続 的な努力を必要とするものであることを示しています。イエスの問いかけに対し て、ペトロは「主よ、私たちは誰のところへ行きましょう。永遠の命の言葉を持 っておられるのは、あなたです」と答え ます(ヨハネ6:68)。ペトロの応答は、信 仰の核心を突いています。彼はイエスの 言葉の難しさにもかかわらず、他に行くべき場所がないことを認識しています。 この応答は、信仰が理論や理解を超えた、 存在の深いところに根ざしていることを 示しています。ペトロにとって、イエス は単なる教師以上の存在であり、彼の言 葉には命そのものが宿っていると信じて いたのです。

 ペトロのように、私たちはどこに行くべ きか、誰に従うべきかを再確認する必要 があります。この問いかけを通じて、私 たちは信仰の核心に立ち返り、イエスの 教えに忠実であり続けるための新たな決 意を持つことができるのです。そして、 その愛にとどまり続けるためには、日々 の努力とイエスの戒めに従う覚悟が求め られます。教会に留まることは容易では ありませんが、それこそが信仰の真の意 味を見出し、豊かな人生を築く鍵なので す。また、信仰の仲間と支え合うことも 大切です。教会内での友情や助け合いは、 信仰の持続において大きな支えとなります。共に祈り、学び、奉仕することで、 個々の信仰の旅が豊かになり、試練の中 でも教会に留まり続ける力を得ることが でき、強くコミットすることができるようになります。信者である私たちが教会 に深く結ぶことと教会の存在そのものが、 人生の中で何かを求める人々にとっての 光となることがあると信じております。

トアン神父

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