「振り返ってはならない、塩の柱に成る」(創:19/26)。人間はそう言われても振り返ってしまいます。私が細江教会に初赴任したのは1970年3月でした。半世紀以上前の事です。夜行列車がホームに滑り込み、トランク一つで下関の朝に到着しました。JOCf(カトリック青年労働者運動女子部)の若者達と、矢張り新しく主任司祭に着任された、トマス・リントホルスト神父さんが迎えに出てくれました。そこで有名な(?)出来事が起こりました。感動して迎えを受け、挨拶を終えた私が置いたトランクを取ろうとすると、持って呉れようとしたリントホルスト神父さんが同時にトランクに向ってかがみ、頭をゴッンコしたのです。これは象徴的出会いで、以来何かにつけて主任・助任はゴッンコしました。しかし、細江教会での米国に第三修練に出掛ける前の2年間の出会いと経験が、今に到る人生の無二の基礎でした。
今回二度目の協力司祭としての赴任では、長く40年近く生活した日和山の上からの移転で、ゴッンコも無く色々お世話に成りながら滑り込んだようです。小教区協力司祭と言う役割です。役割とか肩書はとにかく、あまり大きな声では言えないのですが、小教区で司祭として生活し働くことは、人生を成し遂げる生き方として願ってもない事でなのです
父方の祖母が17歳まで北海道へ祖父と駆け落ちするまで、赤間ヶ関(現在の田中町)に住んでいたというのですら、今、90歳の孫があの辺りを歩くときは、会ったことのない祖母に語り掛ける心こそばゆい時なのです。東京で生まれましたが、翌日受洗のいわゆる「ボンクリ=ボーン・クリスチャンの略」で、戦後焼け野原の東京を追われて鎌倉の小教区由比ガ浜教会(作道神父さんと同じ)で中学を卒業した時、小教区教会も離れて、9年後に不思議な回心の恵みを受け戻るまで決別していました。
母の胎内から生まれて臍の緒を切られた私は、幼児洗礼で神さまの愛に繋がっていたのでした。この繋がりは人間の方から切っても切っても「極み迄愛する」(ヨハネ:13/1))神さまの方からは切らず修復されるのですね。小教区共同体の人々はそのような「いのち」の繋がりの生き様を生きる人々、魂の一番深いところ(芯)で繋がる兄弟姉妹ですね。他の繋がりと区別して特別な集まりを創ると言う意味ではなく、神の国の繋がりです。「神の国はすでにあなた方の間に始まっている」(ルカ:17/21)。同じ小教区のつながりの中で、お互いに色々違いは有っても、仲悪く不和では、「えっ、それはないだろう!」ですね。いやいや、実は考え違って裏で悪口言って不和なの事はよくある話で、恥ずかしいですが世間一般に負けません。私も司祭同士考え違って、不和で心中仲悪い司祭がいますね。でも、戸が閉まっていても中に入って「平和があるように」(ヨハネ:20/19)といて下さる復活されたイエスによって「しきり直し」です。にもかかわらずやり直しが効くキリスト者の人生ですね(ルカ:22/32)。感謝。
私達が人生の様々な恵みのときに、其々がそれぞれの洗礼によって神さまの愛に繋げて頂きますが、その繋がりを母なる教会という新しい胎の中でますます強く温かいものと成長します。そして人生のあらゆる時と場で、私達に繋がる人々を森羅万象を神さまに繋げていくのです。その繋がりは神さまの愛を輝かしますから、「感謝の祭儀を終わります、平和の内に行きましょう。日々の生活の中で神の栄光を輝かすために」という派遣(ミッション)が実現します。
現代様々な国々が分裂対立、こりないで戦争状態にまでなり、経済格差は人間同士の分裂を繰り広げています。人間を育む自然環境を利己的開発による環境破壊により回復・持続不可能に近く迄荒廃させてしまいました。もう遅いかも知れない、しかし希望の無いところに希望をもって(ロ:4/18)、分裂から和解に、荒廃を再生・回復へと新生を日常生活を通して実現したいです。
ミサの典礼の奉献・聖変化の部を通して、この和解・新生の恵みを受けたいです。
洗礼を受けた時の恵みと任務(ミッション)「預言職・祭司職・王職」の祭司職はラテン語でPontifex(ポンテフェックス)を指し、橋を創ることを意味します。出かけて行って橋を創る、橋に成る使徒職を日々生きたいです。
定年退職の無い生涯かけて成し遂げる「橋を創り・橋に成る」任務(ミッション)を、神さまと人とを繋ぎ、人と人との繋ぎを十字架の上で「成し遂げ」(ヨ:19/30)られたイエス・キリスト(救い主)に世の終わりまで、地の果てまでいつも共に生きて頂いて(マタイ:28/20)、天(神さまの愛の世界)に入れて頂きたいと、皆様よろしくです。何とか90歳になった未だ青二才です。ぼちぼちの共歩きをよろしくお願いします。感謝。
林 尚志(ひさし)
