2026年彦島・一致祈禱の集い

🌸聖書のみことば

エフェソの教会への手紙(4・1-13)

1そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、 2一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、 3平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。 4体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。 5主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、 6すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。
7しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。 8そこで、
「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、
人々に賜物を分け与えられた」
と言われています。
9「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか。 10この降りて来られた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。 11そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。 12こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、 13ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。

ヨハネによる福音書(12・31-36)

〔イエスは答えて言われた。〕31今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。 32わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」 33イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。 34すると、群衆は言葉を返した。「わたしたちは律法によって、メシアは永遠にいつもおられると聞いていました。それなのに、人の子は上げられなければならない、とどうして言われるのですか。その『人の子』とはだれのことですか。」 35イエスは言われた。「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。 36光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」

🌸分かち合い

1.なぜ私たちはキリスト者の一致を祈るのか

本日(2026年1月22日、木曜日)、ここ彦島教会で行われる「キリスト者の一致を求める祈り」は、私たち一人ひとりがキリスト者としての召命をあらためて見つめ直す大切な機会となったではないかと思います。わたしたちが共に祈りの場に集まることは、主が望まれた一致のしるしです。

最近では、梅光学院大学の学生たちがミサに参加する姿も見られます。授業の一環として来ている学生も多いでしょう。しかし、彼らが教会の静けさ、共同体の祈り、聖書や聖歌、聖書の分かち合いなどの響きに触れるとき、そこにはすでに一致の精神が芽生えているでしょう。信仰の有無にかかわらず、若い心がこの場所で何かを感じ取り、人生の意味を見つめ直し、心が少しずつ開かれていくことを願わずにはいられません。

私たちが生きる世界は、戦争や対立、偏見や分断によって深く傷ついています。こうした時代にあって、キリスト者が互いに離れたままでいるなら、福音の証しは弱まり、世界に希望の光を示すことができません。だからこそ、主イエスご自身が祈られた「彼らが一つになりますように」という願いに応えて、私たちは一致のために祈り続けるのです。

日本ではキリスト者は少数派ですが、だからこそ互いに協力し、共に歩むことが大切ではないかと思います。そして下関には、日本、韓国、フィリピン、ベトナム、スリランカなど、さまざまな国から来た兄弟姉妹が共に祈り、共に信仰を育んでいます。この多様性は、主が私たちに託された豊かな恵みです。

下関カトリック教会

2.聖書の光に照らされて:一致は召命であり、歩み続ける道

エフェソの信徒への手紙の著者は、「神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み〔なさい。〕」と力強く呼びかけています。この招きとは、ただ個人としての召命ではなく、「キリストの体」に属する者としての召命です。私たちは一人ひとり違う背景を持ちながらも、同じ主に呼ばれ、同じ体の一部として生きるよう招かれています。

だからこそ、「一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し〔なさい〕」と続けられるのです。謙遜がなければ相手の声を聞くことはできず、柔和がなければ対話は生まれず、忍耐がなければ違いを受け入れることはできません。そして愛がなければ、互いを支え合うことはできません。これらの徳は、キリスト者の一致のために欠かせない心の姿勢でしょう。

さらに、「平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい」と勧められます。ここで大切なのは、一致は私たちが作り出すものではなく、聖霊が与えてくださる恵みであるということです。私たちは一致を創り出すのではなく、すでに与えられている一致を壊さないように守り、育てるよう招かれています。

それからまた、福音書の中で、主イエスは「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう」と語られます。十字架の愛こそ、すべての人を一つに結び合わせる力です。私たちが一致を求めるとき、私たちは十字架の愛に引き寄せられ、互いに近づけられていきます。そして主は「光のあるうちに歩きなさい」とも言われます。光とは、真理、赦し、憐れみ、誠実さです。闇とは、疑い、偏見、対立、閉ざされた心です。私たちがキリストの光のうちを歩むとき、闇は後退し、分裂の力は弱まり、私たちは「光の子」として互いに近づいていくことができるでしょう。

この一致の道を照らす模範として、今年(アッシジの聖フランシスコの帰天800周年を迎える)、フランシスコ会にとって特別な意味を持つ聖フランシスコ(1182-1226)を思い起こしたいと思います。聖フランシスコは、平和と対話の人でした。異なる宗教や文化の人々に心を開き、謙遜と喜びをもって出会い、和解の道を示しました。その姿は、エフェソ書が語る「謙遜・柔和・忍耐・愛」の生きた証しです。

また、福者マリア・ガブリエラ・サゲッドゥ(1914-1939、イタリア出身のトラピスト会修道女)は、若くして自らの命と苦しみを「キリスト者の一致」のために捧げた女性です。彼女は静かな祈りと献身のうちに、「彼らが一つになりますように」という主の祈りを自分の生涯そのものとしました。彼女の生き方は、私たちに一致のための祈りと犠牲の大切さを思い起こさせます。(福者マリア・ガブリエラ・サゲッドゥの生涯はこちらです。)

3.日本の教会と下関の共同体における具体的な歩み

日本の教会は小さく、静かで、慎ましい存在ですが、その歩みの中には深い信仰の歴史があります。殉教者たちの証し、隠れキリシタンの忍耐、そして現代における対話と奉仕の精神。これらはすべて、主が日本の教会に与えてくださった宝です。しかし同時に、少子高齢化、信徒数の減少、多文化化の進行など、さまざまな課題にも直面しています。こうした状況の中で、キリスト者の一致は単なる理想ではなく、教会が生き続けるための大切な道です。

下関の共同体は、多様な国籍と文化を持つ兄弟姉妹が共に祈り、共に奉仕し、共に信仰を育む場です。日本、韓国、フィリピン、ベトナム、スリランカなど、さまざまな背景を持つ人々が同じ主を信じて集まっています。この多様性は、教会にとって大きな恵みであり、同時に一致を育てるための豊かな基盤です。梅光学院大学の学生たちの参加もまた、私たちに新しい風を吹き込み、心を開いて歩むよう促してくれます。

本日、私たちが共に祈るとき、主は私たち一人ひとりに語りかけてくださいます。「謙遜でありなさい。柔和でありなさい。忍耐強くありなさい。愛をもって互いに支え合いなさい。そして、わたしの光のうちを歩みなさい。わたしがあなたがたを一つにする。」 どうかこの祈りの集いが、下関のキリスト者に新しい恵みをもたらし、私たちが互いに近づき、理解し合い、支え合うための一歩となりますように。聖フランシスコの平和の精神と、福者マリア・ガブリエラの祈りの心が、私たちの歩みを導いてくださいますように。

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