福者マリア・ガブリエラ・サゲッドゥの生涯

福者マリア・ガブリエラ・サゲッドゥはイタリア・サルデーニャ島出身のトラピスト修道女で、特別な意味での「殉教」とされる生涯を送りました。

マリア・サゲッドゥは1914年、サルデーニャ島の貧しい羊飼いの家庭に、8人兄弟姉妹の5番目として生まれました。父親は彼女が5歳のときに亡くなり、母親と年上の兄姉たちが家族を支えました。マリアは頑固な性格で、気に入らないことには反発しがちでしたが、聡明で理解力があり、学校では優秀な成績を収め、学ぶことを心から愛していました。その学びへの情熱は、十代後半になると地域の子どもたちに教理を教える奉仕へとつながっていきました。

地元の主任司祭の助けを受けて、マリアは修道生活への夢を実現する道を歩み始めます。家族の反応はさまざまでしたが、最終的には21歳の誕生日を過ぎた頃、ローマ近郊のグロッタフェッラータにあるトラピスト修道院に入会し、「マリア・ガブリエラ」という修道名を受けました。

下関カトリック教会

20世紀初頭、キリスト者の一致を求める運動がヨーロッパ全体に広がっていました。戦争と暴力に引き裂かれた世界の中で、16世紀の宗教改革以来続いてきた西方キリスト教の分裂が、世界に対する福音の証しを弱めていることに多くの人々が気づき始めていたのです。主イエスは十字架に向かう前夜、「父よ、彼らが一つになりますように」(ヨハネ17・21)と祈られました。その祈りは、父と子の一致に倣うようにとの深い願いでした。

マリア・ガブリエラが入った修道院も、この一致への熱意に満ちていました。1908年には「キリスト者の一致のための八日間」が提案され、1935年には「キリスト者の一致のための祈りの週間」として発展しました。この祈りの週間を広めたのは、フランスの司祭ポール・クトゥリエ師であり、彼はエキュメニズムの偉大な使徒でした。マリア・ガブリエラは彼の証しに深く感銘を受けました。

1938年の「キリスト者の一致のための祈りの週間」の中で、マリア・ガブリエラは一致のために自らの命を捧げたいと修道院長に願い出ます。院長はその願いを受け入れ、まもなくマリア・ガブリエラは病に倒れ、結核と診断されました。彼女は18か月にわたって苦しみながらも、静かに祈り続け、1939年4月22日から23日にかけての夜に帰天しました。

その生涯と祈りは、教皇ヨハネ・パウロ二世によって高く評価され、1995年の回勅『Ut Unum Sint(彼らが一つになりますように)』の中で、キリスト者の一致への模範として紹介されました。教皇はこう記しています。「この務めを改めて確認するために、私はカトリック教会の信徒たちの前に、模範としてふさわしい一人の人物を示しました。それは、1983年1月25日に列福したトラピスティン修道女、「一致の福者マリア・ガブリエラ」です。マリア・ガブリエラ修道女は、世から離れて祈りに生きるという召命に応え、聖ヨハネによる福音書第17章を中心に黙想と祈りにその生涯を捧げました。そして、キリスト者の一致のために、自らの命をささげたのです。これはまさに、すべての祈りの礎です――すなわち、父なる神に対して、御子を通して、聖霊のうちに、自らの命を完全かつ無条件に捧げることです。マリア・ガブリエラ修道女の模範は、私たちに深い気づきを与えてくれます。それは、「一致のための祈りには、特別な時、特別な状況、特別な場所があるわけではない」ということです。主キリストが父に捧げられた祈りは、すべての人に、いつでも、どこでも、模範として与えられているのです。」(『Ut Unum Sint』、27)

福者マリア・ガブリエラ・サゲッドゥ――キリスト者の一致のために命を捧げたトラピスト修道女――私たちのために祈ってください。

原文:英語、University of Notre Dameより

» 下関協働体 » 分かち合い » 福者マリア・ガブリエラ・サゲッドゥの生涯