主の公現20260104

皆さん、

今日は、教会全体が喜びのうちに祝う「主の公現」の祭日です。東方の博士たちが星に導かれて幼子イエスのもとへとたどり着いた出来事は、二千年前の物語でありながら、今を生きる私たち一人ひとり、そしてこの教会共同体にも深く語りかけています。

博士たちは王を探していました。彼らは権力や富に満ちた宮殿を思い描いていたかもしれません。しかし、星が導いた先は、貧しく小さな馬小屋、そして飼い葉桶に眠る幼子でした。神は大きさや強さではなく、小ささとへりくだりのうちにご自分を現されるのです。今日の私たちの生活の中でも、神は小さな出来事、小さな優しさ、小さな出会いのうちに静かに現れておられます。心を低くして目を()らす者だけが、その現れに気づくことができます。

博士たちを導いた星は、強制する光ではありませんでした。そっと照らし、静かに方向を示す光でした。しかし、その光に従うためには、彼ら自身が旅立つ決断をし、未知の道を歩む勇気を持たなければなりませんでした。今、私たちの教会もまた、導きの光を必要としている時かもしれません。方向を見失いそうになる時、意見がすれ違う時、変化の波の中で揺れ動く時、私たちは皆、神が示される「星」を探し求めています。

その星は、空の彼方だけにあるのではありません。
それは、互いに耳を傾ける姿勢であったり、対立ではなく対話を選ぶ勇気であったり、共同体のために静かに奉仕する心であったりします。もしかすると、神は私たち一人ひとりに、小さな星となって周りを照らすようにと招いておられるのかもしれません。

博士たちは幼子イエスに出会った後、「別の道を通って自分の国へ帰って行った」と福音は語ります。神との出会いは、必ず人を変えます。心が変わる時、歩む道も変わります。だからこそ、教会の刷新はまず心の刷新から始まります。謙遜、傾聴、赦し、そして神を中心に据える姿勢。これらがなければ、どれほど組織や役割を変えても、すぐに古い問題が戻ってきてしまいます。

しかし同時に、心の刷新だけでは十分でない時もあります。状況が変わり、必要が変わり、使命が変わる時、教会は具体的な構造や人事の見直しを求められることがあります。それは誰かを排除するためではなく、共同体のために最もふさわしい形を探し、神の導きに応えるための分かち合いです。尊重と対話のうちに行われるなら、その変化は共同体を傷つけるものではなく、むしろ成長へと導く恵みとなります。

博士たちが星を見失いながらも歩み続けたように、私たちもまた、互いを理解できない時、疲れを感じる時、方向が見えない時にも、あきらめずに互いを探し続けることが求められています。一致とは、皆が同じ考えを持つことではありません。むしろ、同じ方—キリスト—を見つめて歩むことです。

幼子イエスの前で博士たちは黄金、乳香、没薬を捧げました。今日、私たちが捧げるべきものは、
自分の最も大切なもの(黄金)、
祈りと神への信頼(乳香)、
そして痛みや弱ささえも神に委ねる心(没薬)
かもしれません。

私たち一人ひとりが自分の「捧げもの」を主に差し出すとき、この教会は必ずや神の光を映し出す場所となり、ここを訪れる人々にとっての「星」となることでしょう。

最後に祈りましょう。

主よ、
どうか私たちの共同体に導きの星をお与えください。
私たちの心を新たにし、必要なところを整え、
互いに耳を傾け、支え合い、
愛と一致のうちに教会を築くことができますように。
あなたの光がこの共同体を照らし、
私たち自身もまた、誰かを導く星となれますように。
アーメン。

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