一昨日(12月21日)午後6時49分、89年の尊い人生を終えて、いのちの主である神のみもとに召されたミカエルさんの葬儀ミサに集まっています。まずは、最後まで介護に尽くされた奥様、そして長男様はじめ、ご遺族の皆さんに心からお悔やみ申し上げます。長い人生の中で、信仰と家族への愛を大切にされたミカエルさんのお姿は、私たちに深い感動を与えてくださいました。
主のみもとに召された今、ミカエルさんが永遠の安らぎに包まれますようにお祈りいたします。
教会共同体の皆さん、本日、私たちはここに集い、愛する兄弟を神さまのもとへお送りするために祈りを捧げております。別れの悲しみの中にあっても、私たちは主の御言葉、特に先ほど朗読されたマタイによる福音書(11:25―30)とローマの信徒への手紙(14:7―11)を通して、慰めと励ましをいただいております。
主イエスはこう言われています:「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」ミカエルさんの人生は、数々の重荷を背負いながら歩んだ長い旅路でした。船乗りとしての仕事の苦労、家族への責任、教会への奉仕など、さまざまな困難がありましたが、その中にあっても、ミカエルさんは主のうちに力と慰めを見出しました。ミカエルさんさんは子供たちに教会への愛を植え付け、時に難しさを感じながらも、その忍耐によって、子供たちは真摯に信仰を学び、実践することができました。
聖パウロは私たちにこう語ります:「わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。 わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。」ミカエルさんの人生は、この言葉の証しとなりました。ミカエルさんは信仰において誠実に生き、毎朝ミサに与り、侍者などとして奉仕し、他の信者さんとご一緒に聖書を学び、祈り、ギターをひきながらテーゼの祈り会を支えました。聖書とロザリオが大好きで、最後の最後までロザリオをもって祈っていたお姿が見られていました。また、家族を愛し、兄弟姉妹を大切にし、親族を訪問し、子供たちに模範を示してきました。
体調が優れない時であっても、ミカエルさんは教会の友人の葬儀に参列しようと努力しました。それは、私たちの心に残る最後の姿です。弱さの中にあっても、ミカエルさんは信仰に忠実であり続け、最後まで愛と義務を全うしようとしたのです。そして今、主はミカエルさんを優しく迎え入れ、安らぎのうちに休ませてくださっているでしょう。主イエスの御言葉のとおり、「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」のです。
ミカエルさん、お疲れさまでした。本当にありがとうございました。
ご家族の皆さん、深い悲しみの中におられることと思いますが、どうか希望を失わないでください。ご主人様お父様が残された信仰と愛の足跡は、これからも皆さんを支え、導いてくださいます。主イエス・キリストの御言葉に慰めを見いだし、心に平安を取り戻されますようにお祈りいたします。
そして教会共同体の皆様、ミカエルさんが召されたことは、ご遺族、そして共同体に多くの思い出を残しました。しかし、私たちはミカエルさんが永遠に失われたのではなく、キリストにあって生きていると信じています。キリストは死を乗り越え、私たちの主となられたのです。私たちは、ミカエルさんが永遠の幸せにあずかることを祈り、また私たち一人ひとりが、ミカエルさんの模範に倣って、善良で謙虚に、家族を愛し、共同体に仕え、最後まで主に忠実であることを願います。
キリスト、すべての命と復活の主が、兄弟ミカエルさんに安らぎを与え、私たちには確かな希望を与えてくださいますように。やがて私たちも、天の国でミカエルさんと再び集うことができますように、心よりお祈りいたします。
