四旬節第一主日A年
みことばの典礼
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、
四旬節に入った私たちは、神へと立ち帰る恵みの旅を始めています。この四十日の歩みは、心を静め、みことばに耳を傾け、悔い改めへと招かれる大切な時です。本日の典礼は、創世記のアダムとエバの物語と、荒れ野で誘惑を受けられたイエスの姿を私たちの前に示し、「不従順」と「従順」という二つの道を対照的に見せています。そして聖パウロは力強く語ります。「一人の従順によって、多くの人が義とされるのです。」この言葉は、救いの神秘を示すと同時に、私たちがどのように信仰を生きるべきかを教えてくれます。
神は人間に自由を与えられました。愛するための自由、善を選ぶ自由、神との交わりを生きる自由です。しかしその自由は、神から離れる選択をする可能性も含んでいます。アダムとエバは誘惑の声に耳を傾け、神の言葉よりも自分の欲望を選びました。その不従順が罪の入り口となりました。一方、イエスは荒れ野で同じように誘惑を受けられました。飢え、名誉、力—人間の深い欲求に触れる誘惑です。しかしイエスは、父である神の言葉に耳を傾け、従順を選ばれました。その従順こそが、私たちに救いの道を開いたのです。
今年の四旬節メッセージの中で、教皇レオ十四世は「耳を傾けること」こそ回心の出発点であると語っています。みことばに耳を傾けること、苦しむ人々の叫びに耳を傾けること、現実の中に響く神の声に耳を傾けること。耳を傾ける姿勢は、心を開き、神の真理を受け入れる準備を整えます。そして従順とは、まさにその「聞く心」から生まれる実りです。神の声を聞くとき、私たちは何が真実で、何が善で、何が命へと導くのかを識別できるようになります。
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日本の社会では、秩序や責任が大切にされ、時に「従う」という言葉が重く響くことがあります。しかし、福音が語る従順は、恐れや義務から生まれるものではありません。神の愛を信じ、その導きに身をゆだねる自由な選択です。教会や共同体の中での従順も同じです。誰かに押しつけられるものではなく、互いに耳を傾け、祈りのうちに識別し、神の望まれる一致を求める姿勢から生まれます。年度の変わり目を迎え、生活や環境が変わる方も多いこの時期、神の導きに従う心は、私たちの歩みを支える確かな土台となるでしょう。
教皇様はまた、今年の四旬節に「ことばの断食」を勧めておられます。人を傷つけることば、軽率な判断、陰口や中傷を慎むこと。家庭で、職場で、友人関係で、そして教会共同体の中で、私たちのことばが平和と優しさを生み出すものであるように努めること。これは、従順の精神を最も身近な形で生きる具体的な道でもあります。ことばを慎むとき、私たちの心は清められ、神の愛が働く余地が広がります。
兄弟姉妹の皆さん、四旬節は、神に従う心を育てる恵みの時です。祈りの中でみことばに耳を傾け、良心の声に従い、愛の実践を通して神の望まれる道を選ぶこと。アダムとエバの不従順が罪の扉を開いたように、イエスの従順が救いの扉を開いたように、私たちの小さな従順もまた、神の恵みが働く道を開きます。
この四旬節の歩みが、神の声を聞く静けさと、従順を生きる勇気と、真の自由へと導く恵みに満たされますように。主が私たち一人ひとりを導き、支え、祝福してくださいますように。
