大きな家族
主にある兄弟姉妹の皆さん。
年間第3主日の今日、私たちに与えられた神のことばは、まさに今の私たちの教会共同体にふさわしい光となっています。4月に向けて宣教司牧評議会のメンバーが交代するこの時期、私たちは期待や感謝とともに、少しの不安や戸惑いを抱くこともあるでしょう。しかし、まさにそのような時こそ、神のことばは私たちの歩みを照らし、キリストのまなざしで物事を見るように招いています。
第一朗読でイザヤは、「闇の中を歩む民は、大いなる光を見た」と語ります。その光とは、主イエスご自身です。人事の交代は、私たちにとって先が見えにくい「薄暗さ」のように感じられることもありますが、私たちを導く光は人ではなく、キリストであることを思い起こしたいと思います。キリストが中心におられるなら、どのような変化も、共同体が成長し、成熟していくための恵みの機会となります。
今日の福音では、イエスに従うために網を置き、家族を後にした弟子たちの姿が描かれています。彼らは家族を愛していなかったから離れたのではありません。むしろ、イエスに従う者として、自分たちがもっと大きな家族に属していることに気づいたからです。最初の頃、弟子たちの関心は身近な家族に向けられていました。イエスがペトロのしゅうとめをいやされた場面はその象徴です。しかし、弟子たちは次第に、身内だけでなく、助けを必要とするすべての人、外国人、見知らぬ人、さらには敵にさえも心を開くようになっていきました。イエスに従うとは、より大きな家族の一員として生きることなのです。
この視点は、私たちの宣教司牧評議会一部のメンバーの交代にも深く関わっています。評議会のメンバーは、自分の所属するグループや親しい人々だけのために働くのではなく、教会全体、特に弱い立場にある人、声を上げにくい人、支えを必要としている人々のために奉仕するよう招かれています。これはまさに、イエスの弟子としての心の広がりを表すものです。
第二朗読でパウロは、コリントの共同体に生じた分裂を厳しく戒めています。「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロにつく」「わたしはケファにつく」――そのような派閥意識は、キリストの体である教会を傷つけるものです。パウロははっきりと告げます。私たちはただ一人、十字架にかかり、復活された主イエスに属しているのだと。
今日の教会にも、残念ながら同じような分裂が見られます。「わたしはカトリックだ」「わたしは聖公会だ」「わたしはルーテルだ」……。しかし、これはイエスが望まれた家族の姿ではありません。バラバラになった家族は、真理と愛と一致の福音を証しする力を失ってしまいます。イエスが最後の晩餐で祈られた一致の願い(ヨハネ17章)を、私たちは改めて心に刻む必要があります。
今日は1月25日、もし主日でなければ、教会は「聖パウロの回心」の祝日を記念しています。そしてこの日は、キリスト者の一致のための祈りの週間の締めくくりでもあります。分裂の痛みを知っていた聖パウロが、すべての人をキリストに結びつけるために生涯を捧げたように、私たちもまた、主にある一致の道を歩むよう招かれています。教会が本当に「一つの家族」として、福音の光を世界に証しすることができますように。
宣教司牧評議会一部の交代を迎える今こそ、私たちは心を新たにし、互いに協力し合い、キリストを中心に据えて歩むよう招かれています。新しいメンバーも、これまで奉仕してきたメンバーも、同じ主に属する兄弟姉妹として、愛と一致のうちに協力し合うことができますように。キリストの光が私たちの共同体を照らし、私たちが本当に「大きな家族」として歩むことができますように。
