あなたがたは光である

年間第五主日A年

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 皆さん、今日の福音の中でイエスは私たちにこう語られます。「あなたがたは地の塩である。あなたがたは世の光である。」イエスは「光になりなさい」と命じているのではなく、「あなたがたは光である」と言われています。つまり、光となることは私たちキリスト者の使命ではなく、すでに与えられている存在そのものの姿なのです。しかし、その光は隠しておけば意味がありません。実際の行いを通して輝くときに、初めて人々の前で神の栄光が現れます。

 第一朗読のイザヤの預言は、その光がどのように輝くのかを非常に具体的に示しています。飢えた人にあなたのパンを裂き与えること、住む場所のない人を迎え入れること、裸の人に衣服を与えること、身内の苦しみに目を背けないこと。さらに、抑圧や暴力、傷つける言葉を取り除き、虐げられた人の心を満たすこと。これらはどれも特別な能力を必要とする行いではありません。日常の中で誰にでもできる、小さな優しさの積み重ねです。しかしイザヤは言います。「そのとき、あなたの光は曙のように射し出る」と。光は自分で作り出すものではなく、愛の行いから自然に生まれてくるものなのです。

 第二朗読でパウロは、自分がコリントの人々に語ったとき、巧みな言葉や知恵に頼らなかったと述べています。彼はただ、十字架につけられたキリストを証しし、あとは聖霊の力にゆだねました。つまり、光とは派手な言葉や目立つ行動ではなく、謙遜と誠実さの中にこそ宿るのです。

 このみ言葉を味わいながら、私は日本で広がっている「子ども食堂」の取り組みを思い出します。ここ十年ほどの間に全国で数千か所に広がり、経済的に苦しい家庭の子どもたちや、一人で食事をする子どもたちに、温かい食事と居場所を提供しています。多くの食堂は地域の主婦や退職者、学生などのボランティアによって支えられ、子どもたちは無料か、ほんのわずかな金額で食事をすることができます。誰も事情を尋ねません。誰も恥をかかせません。ただ「おかえり」「いらっしゃい」と迎え、家庭のような温かさを差し出します。

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 そして、下関でも同じ光が輝いています。中井神父様は長年にわたり子ども食堂の活動を続け、多くの協力者とともに地域の子どもたちや困っている人々に寄り添ってこられました。神父様はキッチンカーを使ってさまざまな場所を回り、子どもたちや貧しい人、ホームレスの方々に温かい食事と喜びを届けています。教会の皆さんもこの活動に協力し、地域の光となっています。また、皆さんは私と共に、貧しい子どもたちが学校に通えるよう支援する「MaKoKo会」を五年間続けてくださっています。これらの働きはまさに、今日のイザヤの預言が語る「飢えた人にあなたのパンを裂き与える」行いそのものです。小さな愛の実践が、確かにこの町に光を灯しているのです。

 私たちの周りにも、光を必要としている人が必ずいます。大きなことをする必要はありません。落ち込んでいる人に声をかけること、孤独な人の話を聞くこと、困っている人に手を差し伸べること、誰かを傷つける言葉を飲み込むこと。そうした小さな行いが、暗闇の中で灯される一つの光となります。そしてその光は、私たち自身の力ではなく、神が私たちを通して輝かせてくださる光です。

 どうか今日のミサを通して、私たち一人ひとりが「地の塩、世の光」としての自分の姿を新たに受け取り、日々の生活の中で小さな愛の行いを実践できますように。私たちの行いを通して、周りの人々が天の父をあがめることができますように。アーメン。

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