年間第六主日A年

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 皆さん、

 今日のみ言葉は、神が私たちに与えてくださった「自由」と「知恵」について語っています。神は、私たちの前に「いのち」と「死」、「祝福」と「不幸」を置き、その中からいのちを選ぶ自由を与えてくださいました。しかし、その自由は自分のためだけに使うものではありません。愛に基づいて選び、主イエスの生き方に倣って選ぶための自由です。私たちの選択は、神の心に近づくための道であり、また隣人に近づくための道でもあります。

 昨日、私たちの教会では、アルペ難民センターのスタッフの方をお迎えし、「難民シェルターの現場から〜ともに歩む社会を目指して〜」というテーマでお話を聞きました。戦争、迫害、貧困、気候変動によって故郷を追われた人々の現実は、決して遠い世界の出来事ではありません。家族が引き裂かれ、6歳なのに体重が10kgにも満たない子どもたちがいて、国籍がなく帰る場所もない人々がいます。日本にたどり着いても、保護されず苦しみ続ける人もいます。これらは単なる数字ではなく、一人ひとりの顔、一つひとつの涙、一つのいのちです。

下関のカトリック教会
2026年2月14日、細江教会で平和アピールの集いが開催されました。
まとめは、こちらまたは上の写真からご覧いただけます。

 教皇フランシスコは、現代社会を「無関心のグローバル化」と呼び、最近では、教皇レオ14世は「無力感のグローバル化」とも語られました。あまりにも多くの苦しみを目にし、「どうせ何も変わらない」と感じてしまうからです。しかし、イエスは今日の福音で「私は律法を廃止するためではなく、完成するために来た」と言われます。律法の完成とは、神の心、つまり「神を愛し、隣人を愛する」というただ一つの道に戻ることです。愛に基づく選択こそが、私たちを神に近づけ、また互いを結び合わせる力となります。

下関のカトリック教会

 そして今日、私たちの共同体には大きな喜びがあります。日本に来て働き始めたものの、会社の倒産によって突然仕事を失い、借金を抱え、行き場を失ってしまった一人のベトナム人の姉妹が、洗礼を受け、神の家族の一員となります。彼女は孤独と不安の中で途方に暮れていましたが、ある友人の温かい助けに支えられ、また山口のカトリック共同体の兄弟姉妹から多くの励ましと支えを受けました。その中で、彼女は少しずつ心を開き、2025年1月から信仰について学び始め、今日ついに洗礼を願い出る決心をしました。

 彼女の歩みは、まさに神の導きと、隣人の愛によって照らされた道でした。洗礼とは、新しいいのちを選び、光の道を選び、主イエスと共に歩むことを選ぶことです。今日のみ言葉が語る「自由と知恵による選択」を、彼女は自分の人生の中で具体的に生きています。この選びは個人の救いだけではなく、平和をつくる者として生きる使命を受け取ることでもあります。

 昨日難民の方々の現実を聞いていた同時に、一人の姉妹が洗礼を受けることは、神からの大きなメッセージのように思えます。「あなたも光となりなさい。あなたも平和の道具となりなさい。」神はそのように私たち一人ひとりに語りかけておられるのではないでしょうか。

 今日のみ言葉、今日の学び、そして今日の洗礼を通して、私たちはもう一度、自分がどんな選択をして生きていくのかを神から問われています。無関心ではなく、あきらめではなく、愛と平和を選ぶ者となれますように。そして、今日洗礼を受ける姉妹の上に、神の豊かな祝福と導きがありますように。

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