現代の教会は、多くの課題や不安の波に揺さぶられています。しかし、そのような時代だからこそ、私たちは「同じ舟に乗っている」者として、互いに支え合い、希望を分かち合うよう招かれています。本稿では、ティモシー・ラドクリフ枢機卿のメッセージを手がかりに、日本の教会共同体がどのように歩みを共にし、だれも一人にしない教会を築いていけるのかを考えていきます。小さな共同体であっても、主が共におられるなら、その歩みは必ず光に満ちたものとなります。
1. だれも一人で舟に残されてはならない
ラドクリフ枢機卿が語ったように、「ペトロは嵐の中を一人で進んではならない」という言葉は、すべての教会共同体に当てはまります。
日本の教会でも同じです。
- 司祭が一人で全てを背負うべきではありません。
- 修道者が一人で共同体や奉仕を担うべきではありません。
- 信徒もまた、信仰生活の孤独と戦う一人ぼっちの存在ではありません。
教会は、共に舟を漕ぐときにこそ教会となります。
2. 岸辺に立って批判するのではなく、共に舟に乗る
枢機卿はこう警告します。「浜辺に立って『私は別の舟を選ぶ』と言ってはならない」
日本の教会でも、よくある姿です。
- 「私は関わりたくない」
- 「やり方が気に入らない」
- 「誰かがやればいい」
しかし、岸辺に立っている限り、私たちは決して主と出会うことができません。舟に乗るとは、共に働き、共に責任を担い、共に祈ることを意味します。
3. 一致とは、同じになることではなく、愛のうちに歩むこと
枢機卿は言います。「たとえ意見が違っても、愛のうちに平和であるなら、神は共におられる」
日本の教会は多文化です。
- 日本人
- 韓国人
- 中国人
- ベトナム人
- フィリピン人
- ブラジル人
- その他多くの国々の信徒
祈り方も、文化も、感性も違います。しかし、違いは問題ではありません。問題は、愛が欠けるときだけです。一致とは、同じになることではなく、同じ方向へ向かうことです。
4. 嵐を恐れず、真実に向き合う
枢機卿は、教会の嵐を隠しません。
- 性的虐待の問題
- 思想的な分裂
- 奉仕者の疲れと孤独
日本の教会にも独自の嵐があります。
- 高齢化
- 司祭不足
- 若者の離脱
- 忙しさによる信仰の希薄化
- 移住者の孤独
主は言われます。「浜辺で待つのではなく、嵐の中へ漕ぎ出しなさい」。そこにこそ、主が来てくださるからです。
5. 小さな捧げものでも、神は豊かに用いてくださる
枢機卿はこう語ります。「小さな捧げものは、神の国の論理では十分以上となる」
日本の教会でも同じです。
- 一人の信徒の小さな奉仕
- 一つの訪問
- 一つの祈り
- 一つの微笑み
それらは、神の手に渡るとき、共同体全体を生かす恵みとなります。神は、私たちの「少し」を「十分以上」に変えてくださいます。
6. 日本の教会での具体的な実践
- 司祭を支える小さなチームを作る
- 新しく来た人、特に外国人を温かく迎える
- 会議や話し合いで「勝ち負け」ではなく「分かち合い」を大切にする
- 一人に仕事を押しつけず、責任を分かち合う
- 共に祈る時間を大切にする
まとめ
だれも一人で舟に残してはならない。
そして、だれも岸辺に立ったままでいてはならない。
教会は、
共に漕ぎ、共に信じ、共に愛するときに生きる
のです。
