私たちは日々、他者をさまざまな視点で見てしまいがちです。自分の経験から生まれる先入観、比較による嫉妬、距離感や軽蔑など、いろんな目線を持っています。こうした視線は悪いものではなく、人間の弱さを表しているだけです。しかし、そのままでは兄弟姉妹の心に静かに働く聖霊の動きを見逃してしまうこともあります。
その中で、洗礼者ヨハネはまったく違う視点を選びました。彼はイエスを、自分の経験や知識で判断せず、「私はこの方を知らなかった」と率直に語りました。それでも彼は「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と確信を持って宣言しました。その理由は、直感でもイエスの魅力でもなく、決定的なしるしである聖霊でした。聖霊がイエスの上にとどまる姿を見て、ヨハネはイエスこそ神に遣わされた方だと認めたのです。
聖霊のしるしは主に三つあります。一つ目は、天から降りてきた鳩の姿です。これは創世記の大洪水後、新しい命の始まりを象徴しています。聖霊が鳩としてイエスに現れたことで、神が新しい創造の業を始めていることをヨハネは悟りました。
二つ目のしるしは、イエスがヨルダン川の岸辺で現れたことです。立派な会堂ではなく、罪と悔い改めの場に、イエスはためらわず足を踏み入れ、周囲の人々と同じ位置に立ちました。聖霊に満ちた人は、高い地位や場所を求めるのではなく、弱さが現れる場所へと勇気をもって入り、そこで癒しや救いをもたらします。
三つ目のしるしは、聖霊が「とどまる」ことです。イエスには聖霊が永続的に宿り、そこから人々へと注がれます。この聖霊は命・真理・善の霊であり、イエスに従う人は人生が新しくなり、人間関係が癒され、真の自由へ導かれます。
イエスとの結びつきは、聖霊を受け取るだけでなく、それを世界にも運ぶ使命につながります。イエスとの関わりが日常生活でも実を結ぶよう、意識することが大切です。
洗礼者ヨハネから学べるのは「義なる人のまなざし」です。彼はイエスの登場に恐れず、役割や影響力に固執せず、平安と自由のうちに身を引きました。他者の恵みや成功を素直に喜び、嫉妬することなく感謝しました。
主が私たち一人ひとりの視線を清め、自分自身と他者の中に働く聖霊の存在を見抜けますように。アーメン。
dongten.netより
