年間第二十一主日A年
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彦島教会での分かち合い
今日の福音書の中で、主イエスは弟子たちにとても大切な質問をされました。「人々は私のことを誰だと言っているか」、そして「あなたがたは、私を何者だと言うか」と。この問いに対して、ペトロは弟子たちを代表して「あなたはメシア、生ける神の子です」と、見事に信仰を言い表しました。この素晴らしい答えを聞いた主イエスは、ペトロを「岩(教会の土台)」とし、彼に「天の国の鍵」をお与えになりました。つまり、ペトロと教会に大きな権威をお任せになったのです。
しかし皆さん、ここで少し立ち止まって考えてみましょう。主イエスが教会に、そして弟子たちに与えられたこの「権威」や「立場」とは、一体何のためにあるのでしょうか。
この世の社会では、上の立場に立つこと、権力を持つことは、しばしば「人に命令するため」や「自分が偉くなるため」に使われます。しかし、神様の国では全く逆です。主イエスご自身が「人の子は仕えられるためではなく、仕えるために来た」と仰ったように、キリストの弟子に与えられるあらゆる立場や権威は、すべて「神様と人々に仕えるため」にあります。
主イエスに従う道、それは決して楽な道ではありません。自分の時間、自分の体力、時には自分のお金や欲求を犠牲にして、他者のために愛をもって奉仕する道です。それこそが、キリストの弟子としての本当の生き方なのです。
私はこの「喜んで仕える」という美しい弟子の姿を、昨日、この下関の3教会の皆さんの中に、はっきりと見ることができました。昨日は下関市役所前での馬関まつり「愛のひろば」に、みんなで力を合わせて参加しましたね。
大変な暑さの中でしたが、彦島教会の皆さんは一生懸命に美味しいチヂミを焼いてくださいました。私とベトナムの青年たちは一緒にかき氷を作り、子ども会のみんなは風船釣りなどをして、お祭りを盛り上げてくれました。準備から片付けまで、本当に多くの労力と犠牲が必要だったと思います。しかし、皆さんのその素晴らしい奉仕の精神のおかげで、地域の方々や子どもたちに、たくさんの笑顔と喜びを届けることができたと思います。無事に修了できたことを神様に感謝するとともに、皆さんの美しい愛の行動に、心から「ありがとうございます」とお伝えしたいです。これこそが、まさに主イエスの後に続く弟子の姿です。
さらに、皆さんの「仕える愛」は、下関の地域にとどまらず、海を越えてベトナムの貧しい子どもたちにも届いています。今年も「マココの会」の皆様から、ベトナムの子どもたちが学校に通い続けるための支援として、20万円という多額のご寄付をいただきました。
今年は残念ながら4名の子どもが学校を辞めてしまいましたが、新たに6名の子どもをプログラムに迎え入れることができました。その結果、昨年よりも2名増えて、合計24名の子どもたちを支援できるようになりました。遠く離れた顔も知らない子どもたちのために、自分たちの生活の中から犠牲を払って支援してくださる皆様の寛大な心に、子どもたちに代わって深く感謝申し上げます。
そして最後に、「祈り」という奉仕についてお話ししたいと思います。私たちは行動やお金だけでなく、祈りを通しても、最も深いところで兄弟姉妹に仕えることができます。
彦島教会のある女の子のために、引き続き熱心に祈りましょう。皆様の祈りのおかげで、この子の心臓の手術は無事に成功しました。しかし、現在もまだ昏睡状態が続いています。ご家族の不安や悲しみを思うと、胸が締め付けられるようです。
私たちは決して一人ではありません。私たちが祈る時、私たちは霊的にこの子の病室に共にいて、彼女の手を握り、ご家族の肩を抱きしめているのです。この子が一日も早く目を覚まし、元気に回復するように。そして、ご家族に神様からの特別な慰めと力、平安が与えられるように、私たちの祈りという「愛の奉仕」をどうか止めないでください。
兄弟姉妹の皆さん、「主イエスは私にとって誰ですか?」という今日の福音書の問いかけに、私たちは言葉だけで答えるのではありません。昨日の馬関まつりでの奉仕のように、マココの会の支援のように、そしてあの子への祈りのように、日々の「具体的な愛と犠牲の行動」を通して、主イエスにお答えしていきましょう。
これからも神様が、皆さんの上に豊かな祝福を注ぎ、その愛の内に守り導いてくださいますように。私たちがいつまでも、主イエスの愛される弟子であり続けることができますように。アーメン。
