年間第二十主日A年・細江
みことばの典礼はこちら
皆さん、最近の私たちの教会にとって、いちばん大きな喜びは、新しい聖堂が無事に完成し、献堂されたことではないでしょうか。もちろん、喜びと同時に、借入金の返済という重荷もまだ残っています。しかし、この聖堂で日々起こっていることを見ると、これまでの犠牲や苦労は決して無駄ではなかったと感じます。
この聖堂は、私たちの教会だけの誇りではなく、教会全体の喜びです。今日の第一朗読でイザヤが語る、「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」という言葉が、ここで少しずつ実現しているからです。
今週のみことばは、私たちが「外の人」と思っている人々を、どのような目で見ているのかを問いかけます。福音では、主イエスとカナンの女性との出会いが語られます。彼女はユダヤ人から見れば異邦人であり、悪霊に苦しむ娘を抱え、切実な思いで主イエスのもとに来ました。
はじめの主イエスと弟子たちの態度を見ると、そこには一つの壁があるように感じられます。弟子たちは、「あの人を追い払ってください」と言い、主イエスも当時のユダヤ人の考え方を映すように、「子どもたちのパンを取って、小犬にやってはいけない」と、とても冷たくて厳しい言葉を口にされます。
けれども、その壁は、この母親のへりくだった心と強い信仰の前に崩れていきます。彼女は怒ることも、あきらめることもせず、「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパンくずはいただくのです」と願います。その信仰に、主イエスは「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」とお答えになります。
主イエスは、この出来事を通して次のように弟子たちと私たちに教えてくださいます。神様の愛と救いは、一つの国や民族、宗教的な境界の中だけに閉じ込められるものではありません。神様は、ご自分を求めるすべての人に、いつも腕を広げておられるのです。
皆さん、このカナンの女性の話は、決して遠い昔の出来事ではありません。今、私たちの教会で、この新しい聖堂の中で、同じようなことが起こっています。
聖堂が献堂されてから、多くの人がここに足を運んでいます。遠くから来られる信者の方々だけではありません。長い間、秘跡から離れていた方が訪れて祈ることもあり、幼稚園の先生方や子どもたちが、行事の折に神様に感謝し、平和を願って祈りに来ることもあります。
さらに、まだキリストを知らない方々がここに来てくださることは、イザヤの言葉をより生き生きと感じさせます。ある未信者の男性は、ほとんど毎日のように自転車で来て、静かに聖堂で祈っていかれます。その姿は、平安やいやしを求め、神様のあわれみの「パンくず」のような恵みを願う、現代のカナンの女性の姿にも重なります。私たちの聖堂は、まさに、すべての民の祈りの家になりつつあります。
この恵みと課題を前にして、今日のみことばは、私たちの教会に二つのことを呼びかけています。
- 第一に、主の家を建てる働きを、これからも続けることです。石や綺麗なステンドグラスでできた聖堂は完成しましたが、経済的な重荷はまだ残っています。どうか皆さん、これからもできる形で支え合い、たとえば、夏の間かき氷の楽しみなど、この重荷を共に担ってください。その犠牲は、単に借金を返すためだけではなく、多くの人が神様のもとに帰って来られる場所を守り、育てることにつながっています。
- 第二に、人の心の中にも神様の住まいを建てることです。昔の弟子たちのように、自分たちと違う人を「追い払いたい」と思う心を持たないようにしましょう。狭さや偏見の壁を壊し、信者も未信者も、顔なじみの人も初めて来る人も、温かく迎えたいと思います。私たちの親しみやすさ、優しさ、愛こそが、いちばん生きた宣教となり、周りの人々にキリストのあわれみを伝えていくのです。
今日のミサを通して、主がカナンの女性のような信仰を私たちのうちに強めてくださいますように。そして、私たちの努力と犠牲を祝福し、この聖堂と私たち一人ひとりの生き方を通して、多くの人が神様の救いの近さに気づくことができますように。アーメン。
