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「あの人のこと、もう3回も大目に見て赦したのに、また同じことをされた。もう我慢の限界だ!」 日常生活の中で、私たちはよくこんな思いを抱くことがありますよね。今日の福音で、ペトロも同じような気持ちで主イエスに尋ねました。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか?」と。
しかし、主イエスの答えはペトロの想像をはるかに超えるものでした。「七回どころか、七の七十倍までも赦しなさい」。つまり、「限りなく、何度でも赦しなさい」と言われたのです。主イエスは、一万タラントンという天文学的な借金を無条件で帳消しにされた家来のたとえ話を通して、優しく、いつくしみ深い父である神様と、私たちがその神様から「すでに、すべてを赦されている存在」であることを教えてくださいました。
今日の第一朗読、シラ書は、この「赦し」について、非常に鋭く具体的な知恵を私たちに与えてくれます。怒りや恨みを抱き続けることは、神様の御心にかなうものではありません。シラ書は、隣人の過ちを赦すなら、私たちも神様に赦しを願うことができると教えています。それなのに、私たちは「自分は人を赦さないのに、神様には自分の罪の赦しや癒しを願う」という矛盾に陥ってしまいます。この矛盾から抜け出すために、シラ書は「自分の最期を思い、敵意を捨てよ」と呼びかけています。
日本には古くから、季節の移り変わりや自然の姿の中に「いのちのはかなさ」を感じ取る豊かな文化があります。私たちは皆、いつか土に還る、もろくて弱い存在です。その短い人生を、誰かへのわだかまりや憎しみを抱え、意地を張ったまま過ごして、いったい何になるのでしょうか。
この「いのちのもろさと尊さ」に深く気づくことは、日本の司教団が今呼びかけている「すべてのいのちを守るための月間」の心そのものです。今年のテーマは「いのちの水」とされています。
ここ下関に住む私たちにとって、水や海はとても身近なものです。関門海峡の美しい流れや豊かな海の恵みは、私たちの生活をずっと支えてきてくれました。しかし今、下関では雨の少ない日が長く続く一方で、名古屋をはじめ、ほかの地域では記録的な大雨が降るなど、これまでとは違う極端な天候が各地で起きています。こうした現実を通して、いのちを支える自然のバランスが崩れつつあることを、私たちは感じずにはいられません。教皇様は今年のメッセージの中で、預言者イザヤの「剣を打ち直して鋤(すき)とせよ」という言葉を引用されました。
では、神様が与えてくださったこの「すべてのいのち」を守るために、この下関の共同体にいる私たちは、具体的に何をすべきでしょうか。
第一に、心の中のエコロジーを癒すことです。シラ書が教えるように、心に抱いている怒りや敵意を捨て、人の過ちに寛容になることです。そして、心の奥に残るわだかまりを少しずつ解きほぐしていくことです。いわば、心の中の剣を、平和と赦しのための鋤に打ち直すのです。一番身近な家族や、この教会の仲間との和解と赦しなしに、社会の平和や、下関の美しい自然環境を守ることはできません。
第二に、自然環境を守ることです。自己中心的な欲望から離れ、足るを知る感謝の生活を送ることです。自分の利益や快適さだけを求めて自然を搾取し続けることは、未来の子供たちや貧しい人々から「いのちの水」を奪うことにつながります。私たちの周りにある豊かな海も自然も、すべては神様からの贈り物であるという謙遜な心を持ち、日々の生活スタイルを少しずつ見直していくことが、今の私たちに求められています。
今日、私たちがキリストの十字架からあふれる愛と赦しを受け、まず身近な人とのわだかまりを手放し、互いに赦し合うことができますように。そして、神様から託された「いのちの水」とすべてのいのちを大切にし、家庭や教会、日々の暮らしの中で、平和をつくる小さな一歩を重ねていくことができますように。アーメン。
