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今読まれたこの福音の最後の箇所、二人または人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるという、このイエスの言葉を少し味わい、分かち合いたいと思います。
私は昨日まで上智大学のカトリック学生の会という、– 多くが信者ですが、その学生のグループ名と共に、この山口県の巡礼を行ってきました。山口教会から始まり、そして萩、津和野、そして昨日は最終日、下関と。山口県にはこのように巡礼地となる場所がいっぱいあるんだということをですね、彼らと一緒に分かち合っていったわけです。そしてそこで本当に霊的な宗教的な体験というものが彼らの中にあったと思うし、何よりも一緒に旅をする巡礼路を歩むこの仲間たちと彼らがいて、私もそこにいて、分かち合い、そして同じ主を賛美するという特別な経験をしました。
このことからも言えるように、やはり私たちの信仰というのは、一人ぼっちでは何もできないんです。 一人ぼっちでは、キリスト教– キリストへの信仰というものはきっと成り立たないんだと思います。キリストへの信仰は必ず共同体がいる、仲間がいる。その仲間や共同体の形態が家族であったり、夫婦であったり、親子であったり、仲間同士、友人同士であったり、信じる者の仲間、小教区であったり、教会という大きなものであったり、どのような形でも– であれ、キリストへの信仰は決して一人で育んで、一人で終わる、終止するものではない。
それはきっとキリスト教の信仰でなくなってしまうんですよね。私たちの信仰は必ず仲間、共同体、共に心を合わせ支え合う人たちがいて、初めてそこに生まれて、そして育っていくんだということなんです。
例えば、今日ここに私と一緒に巡礼をした大学生というね、上智大学の年生がいます。彼は上智大学に入った時には、もちろん彼はミッション校の大阪のミッション校の卒業生だったんですが、信仰を持ってなかったんです。でも、上智大学に入り、信仰を持っている仲間たちと出会い、そしてカトリック学生の会に入り、そこで学びを通して色々なことを考えながら、いつの日か洗礼を受けたいなと思ってくれたようです。
そしてちょうど去年、ローマのイグナチオの、あの、足取りをこの歩む巡礼というのが私たち企画した時に、彼はそこに参加してくれて、そしてそのちょっと前に自分は洗礼を受けたいんだと表明してくれたので、ま、ローマのイグナチオの小さな部屋でこの入門式を行いました。それから私ともう一人の仲間の神父とで、この彼と、ま、彼だけではないんですが、他に数名の洗礼を受けたいという学生たちとの勉強会をしていったんです。それを支えたのは、彼のこの同級生たちであり、カトリックし–、学生の会の仲間たちであり、そして私たちもそれを受け止めて信仰を分かち合っていた。そして、今年の月の、えー、復活祭の時に、故郷である大阪の堺教会で洗礼を受けたんですよね。そこもまた彼を受け止めてくれる共同体があったんだ。
もちろん、彼を準備してくれたその小学校の学校、小学校のミッションスクール、そして中高のミッションスクール、上智大学、彼が出会った仲間たちがいて、今がいる。そしてきっとこれからもそれがあるんだろうと思います。 ですから、信仰というのはそのような形で必ず私たちは仲間の中で生まれてくるんだということを一つ、忘れないでいたいなと思います。
だからこそ、小教区共同体というのは、やはり共に信じる仲間たちが集まっているんだ。それぞれの家庭の事情も違うし、それぞれの、置かれている立場も違うし、もしかしたら考え方も違うし、祈り方も違うかもしれない。それでも、小教区共同体は、やはりキリストの名において集まった人、そして名簿上は名、名いるわけですよね。その仲間たちなんです。
その中でこそ、いや、その中でしか信仰というものは育まれないし、その中で育まれた信仰を世の中に、社会に分かち合っていくしかないんです。ここで力を得て、私たちがイエスの力強さとか素晴らしさを社会に、世の中に、まだそれを聞いてない人たちに分かち合っていく。別にそれは辻説法しなさいということではなくて、私たちがこの共同体として本当に一致していく、共に歩んでいく、支え合っていく、和解していくということをこの世の中に見せる時に、私たちがこの集まりが、集いが、イエスの名によって集まる人たちのこの違い、喜び、明るさ、光、それを世に知らしていくことができると思うし、また私たちは世の中にあるいろいろな人々や考え方とつながっていき、そこでイエスの信仰というものをさらに豊かにしていくことができるんです。
だから、私たちが完全で完璧で、もう他にのから学ぶ必要がないわけではなくて、他の人たちや、またこの国、この社会、この世界いろんなあり方とか考え方とつながっていく。そこに福音の種を見つけていくということで、私たちはもっとお互いに豊かになっていくんだ。このことが一つ言えるかと思います。そしてもう点は、同じようにこの信仰が人っきりじゃ決して育たないということの点からですね、分かち合うと、もしかしたら今教会から離れている人がいるかもしれない。距離を取っている人がいるかもしれない。何らかの理由で。人それぞれです。
でも、その人たちもまた、誰かによる支えを必要としているんです。その人が教会に来れない分、教会に来れる人がその人のために共に心を合わせて祈ることができるし、また教会とか小教区という場だけではなく、その人の本当にプライベートの関わりの中で支えていくとか、関わっていくとか、信じる人たちにつながっていくことができるとか、または教会と関係がない人たちとの関わりもあるかもしれない。そのつながりをしっかりと持っていくしか、この私たちがイエスの信仰をつないでいくということができないんだということです。
私たちの信仰は、一人っきりじゃ、一人ぼっちじゃ絶対に育っていかない。家族、友人、仲間たち、同じ信じるを生きる人たち、そしてこの社会の人たち、この世の中、この地域に住む人たちとの関わりの中で育っていくんだということを今日大切にしたいと思います。
