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皆さん、 毎年、三位一体の主日を迎えるたびに、教会は難しい神学の説明を求めているのではありません。むしろ、「神は交わりそのもの」であるという神秘を味わい、その光を私たちの共同体の生活に照らすよう招いています。神が交わりであるなら、神の交わりから生まれた教会もまた、世界の中で一致と愛のしるしとなるように招かれているのです。
しかし現実を見ると、教会の中にも対立や分裂、心の傷が存在します。私たちの小さな共同体の中にも、時には誤解や、心を痛める言葉、なかなか埋まらない距離が生まれることがあります。だからこそ、今日の神のことばは力強く呼びかけます。「あなたたちは本来、交わりの民なのだ」と。私たちは本来三位一体の神の交わりの民なのだ。三位一体の神秘の中に、そのアイデンティティが刻まれているのです。
第一朗読の『出エジプト記』では、父である神の姿が示されます。「憐れみ深く、恵みに富み、怒るに遅く、まことに満ちている神」。これは遠く離れた神ではなく、いつも人間に寄り添い、辛抱強く、関係を回復しようと先に歩み寄ってくださる神です。交わりはここから始まります。忍耐、ゆるし、そして自分から一歩踏み出す心です。神が私たちにそうしてくださるなら、私たちも互いにそのように生きるよう招かれています。
福音書では、御子イエスの姿が示されます。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」。神の愛は言葉だけではなく、具体的な行動となりました。イエスは人となり、私たちの間に住み、命を捧げ、神と人との間に新しい一致の道を開いてくださいました。交わりとは、ただ相手を受け入れるだけではありません。自分の「我」を手放し、誰かのために犠牲を払う勇気でもあります。与えることなしに、交わりは生まれることができないと思います。
第二朗読でパウロは、聖霊の働きを示します。「喜びなさい。完全な者となりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにし、平和に暮らしなさい」。これは単なる道徳的なアドバイスではありません。聖霊が働くための条件です。心を開き、互いの良いところを探し、個人の好みより共同体の益を優先するとき、聖霊は私たちを一つにしてくださいます。聖霊がおられるところには、平和と一致と喜びが生まれます。
三つの朗読を合わせてみると、はっきり分かりますね。交わりとは、きれいな理想ではなく、具体的な生き方です。父からは忍耐とあわれみを、子からは与える愛と犠牲を、聖霊からは平和と一致を学びます。
私たちの共同体を振り返ると、時に「自分」が大きくなりすぎてしまうことがありますでしょうか。小さな傷が大きな壁になり、何気ない言葉が交わりを壊してしまうこともありますでしょうか。しかし三位一体の主日は思い出させてくれます。教会は完璧な人の集まりではなく、交わりの神に似た者となるよう招かれている旅の仲間なのだと。
だからこそ、この神秘はただ口で告白するだけではなく、生活の中で生きるものです。自分の殻を破り、心を開き、聖霊にゆだね、壊れた関係をつなぎ直す勇気を持つこと。違いを愛し、傷をゆるし、互いの幸せを願うとき、私たちの共同体は「神の家族」の姿を映し出すことができます。
そして今日は、ちょうど5月31日、聖母マリアのエリサベト訪問の記念日でもあります。マリアは御使いの知らせを受けると、「急いで」エリサベトのもとへ向かいました。喜びを分かち合い、助けを必要とする人のそばに寄り添い、平和と聖霊の喜びを運びました。マリアはまさに、三位一体の交わりを生きた人です。自分から出て、相手のもとへ行き、喜びと命を届ける人でした。
ですから今日、私たちはマリアに祈りましょう。 どうか私たちが「自分中心」から解放され、互いに歩み寄ることができますように。どうか謙遜に、優しく、平和をつくる者となれますように。どうか聖霊の喜びを、私たちの共同体に満たしてくださいますように。
三位一体の神が望まれる「交わりの心」を、マリアの取り次ぎによって私たちが生きることができますように。 アーメン。
