260815 聖母マリアの被昇天の祝日(細江)

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説教(百瀬文晃)

 聖母被昇天の教義は、1950年にピオ12世によって宣言されました。第2次世界大戦直後の荒廃した世界に、被造物の救い、新しい創造を告げるものでした。

 ときどきプロテスタントのキリスト者たちから、カトリック教会が聖書に書いてないことも教義に定めると批判されることがあります。しかし、教義とは教会が勝手に決めるものではなく、聖書に明言されていなくても含蓄的に言われていることを明確にするにすぎません。

 聖母マリアの被昇天とは、主キリストの死と復活を通して救われた者が主キリストの復活と昇天の栄光に参与すること、聖母マリアにおいてその救いが美しく実っていることを言います。聖母マリアはその生涯を通して、主キリストの救いの業に参与された方であり、イエス・キリストによる救いの第一番の実りです。

 そして、聖母マリアの被昇天は、私たちもまたその栄光にあずかることを約束するものでもあります。現代もなお傷ついている世界、人間の欲望によって破壊された大地が癒され、新しくされることを約束するものです。パウロが言うように、被造物は虚無に服し、滅びに隷属させられて共にうめいています(ロマ8・18-24)。しかし、聖母マリアの被昇天は、この全被造物が栄光に輝く神の子らの自由と体の贖いにあずかるという約束を示しています。

 1945年、終戦のとき、私は5歳の少年で、その翌年は小学校にあがりました。しかし、家のまわりは一面焼け野原で、生活に必要な物もろくになく、心身ともに荒廃した社会の中で、多くの子どもたちはバラックのような仮小屋から学校に通っていました。さいわい私の家は父が守って、焼け残っていたのですが、その理由で私はいじめの対象になりました。毎日のように学校では、いじめっ子たちが待ち構えていて、私を地面に押さえつけ、服を脱がし、下品ないたずらをしました。先生たちは見て見ぬふりをし、家に帰って親に訴えましたが、親は5人の子どもたちを養うだけで精一杯でした。私は痩せて小さく、抵抗する力もなく、ただ深い心の傷が残って、大人になっても人との交わりが上手にできず、内向的な性格は治らず、少年時代の暗い影を引きずっていました。そのような中でも救いだったのは、5人の子どもたちを何とか育てあげた母の強さとやさしさでした。体の弱かった私は兄弟の中でいちばん大切にされました。

 それで、私にとって被昇天の聖母は、終戦後の暗い思い出とともに、決まって母の記憶と重なりました。聖母は教会の母であり、暗く闇に沈む子らを忘れることなく、やさしく励まし、力づけてくださる方です。今日、聖母マリアの被昇天の祝日にあたり、とくに戦乱の中にいる人々、病いと障害を負っている人々、社会の隅に追いやられている人々のために、聖母の慰めと励ましをお祈りしましょう。

 猛暑の続くこの頃、加齢とともに、生きるためにしなければならないこと、たとえば買い物にでかけることも、つらく感じられます。皆さまはどうでしょうか。もしそうであれば、この一歩、一歩が神さまのくださった命を大切にする一歩であり、神さまはそれを喜んでくださることを思い起しましょう。今日の福音書にあるように、聖母マリアが喜んでお手伝いするためにエリザベトを訪ねて旅をしたように、喜んで神さまにお仕えする恵みを願いましょう。聖母マリアがそのときに歌ったとされる聖母賛歌は、聖母の心からあふれでる喜びの言葉です。聖母の取り次ぎによって、心の奥深くに、神さまにお仕えする者の喜びをいただけるように、お祈りしましょう。アーメン。

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