20261004年間第二十七主日A年・細江

みことばの典礼はこちら

今日のミサの聖書朗読を聴きながら、皆さんの心にはどのような思いが浮かんだでしょうか。私は、二つのまったく正反対の姿を見せられ、心を強く揺さぶられ、深く考えさせられました。

一つは、どこまでも忍耐強く、私たち人間に期待し、信じ続けてくださる「愛そのものである神様」の姿です。 そしてもう一つは、その神様の大きな愛を忘れ、自分勝手に生きようとする私たち人間の「感謝のない姿」です。

今日の福音書で、主イエスは「ぶどう園」のたとえ話をなさいました。この「ぶどう園」とは、神様の国のことですね。神様は、私たちが幸せに生きられるようにと、豊かなぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、すべてを完璧に整えてから、私たちを「管理人・農夫」として招き入れてくださいました。すなわち、私たちが持っている命も、才能も、豊かな自然も、すべては神様からの「恵みの贈り物」なのです。

神様が私たちに望んでおられることはたった一つです。それは、私たちが神様の愛に感謝し、正義や平和、助け合いという「豊かな実り」を結ぶことです。

しかし、ぶどう園の農夫たちはどうしたでしょうか。彼らは「すべては神様からの預かりものだ」ということを忘れ、まるで自分が主権者であるかのように振る舞い始めました。神様が送った預言者たちを痛めつけ、ついには、神様の愛する一人息子である主イエスまでも十字架につけて殺してしまったのです。

私たちも、自分の心に問いかけてみましょう。「私は、神様のためにどんな実を結んでいるだろうか? 感謝の心を持って生きているだろうか? それとも、自分の利益や都合ばかりを優先して、主イエスを自分の生活の外へ追い出していないだろうか?」と。

さて、9月1日から始まった「すべてのいのちを守るための月間」も、今日の10月4日、アシジの聖フランシスコの記念日をもって締めくくられます。

先ほどお話しした「ぶどう園の農夫たち」の傲慢さは、現代の環境問題や平和への無関心と、とてもよく似ています。人間が自然を自分たちの都合の良いように搾取し、弱い立場にある人々をないがしろにするとき、私たちは神様のぶどう園を破壊し、いのちを傷つけているのです。私たちは、この地球という共通の家(ぶどう園)を管理する者として、すべてのいのちを尊び、守る責任があります。

下関のカトリック教会

また今月、教会はロザリオの月(10月)に入ります。聖母マリアと共に祈るこの美しい月に、神様が造られたすべてのいのちのために、そして平和のために、一緒に祈りを深めていきましょう。

今日のみことばに生かされ、日本の司教団の「すべてのいのちを守る」という呼びかけに応えて、私たちも簡素に暮らし、神様からいただいた恵みを大切にし、互いの違いを受け入れ、謙虚に力を合わせて、この教会共同体を共に築いていきましょう。そして、すべてのいのちと平和のために、ロザリオの祈りをもって聖母マリアと共に祈りながら歩んでまいりましょう。

⛪ » 神父の話 » 20261004年間第二十七主日A年・細江