良い麦のような忍耐と、パン種のような静かな力

年間第十六主日A年・2026年

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 今日のみことばを通して、主イエスは「天の国」について三つの例え話を語られました。「天の国」と聞くと、死後の遠い世界のことのように感じるかもしれません。しかし、主イエスは、天の国が今、私たちが生きているこの日本社会の、この日常の中にあると教えておられます。

 今日のみことばから、私たちが心に留めたい三つのメッセージを分かち合いたいと思います。

1. 「良い麦」と「毒麦」に対する神様の忍耐

 最初の例え話は、良い麦と毒麦のお話です。僕たちは毒麦を見つけると、「集めて抜いてしまいましょうか」とすぐに言いました。これは、私たちの自然な反応によく似ているでしょう。規則正しく、完璧さを求めるこの社会の中で、私たちはつい「良くないもの」をすぐに取り除こうとしたり、他者を簡単に裁いたり、レッテルを貼ったりしてしまいがちです。

 しかし、主人は「両方とも育つままにしておきなさい」と答えます。なぜ神様は待たれるのでしょうか。それは、まだ弱い良い麦を傷つけないためであり、また、罪びとが悔い改めるチャンスを常に与えてくださるからです。第一朗読の知恵の書にもあったように、神様は全能でありながらも、とても寛容で憐れみ深い方なのです。

 実は、良い麦と毒麦の境界線は、社会のどこかにあるのではなく、私たち一人ひとりの心の中にあります。私たちの心の中にも、良い種とともに、弱さや身勝手さという毒麦が混ざっています。神様が私に忍耐してくださっているように、私たちも兄弟姉妹に対して、もう少し忍耐強く、寛容になれないでしょうか。

2. 「からし種」と「パン種」の静かな力

 二つ目のメッセージは、からし種とパン種の例えです。 この日本において、私たちキリスト者の数は本当に小さなものです。忙しく、目まぐるしい社会の中で、自分の信仰がとても小さく、無力に感じることもあるかもしれません。

 しかし、主イエスは私たちを励ましてくださいます。どんなに小さなからし種でも、成長すれば鳥が巣を作るほどの大きな木になります。ほんの少しのパン種でも、粉全体を膨らませる力があります。

 皆さんは、何か特別で大きなことをする必要はありません。職場や学校での誠実な振る舞い、疲れている同僚への温かい笑顔、そして一日の終わりに捧げる家族の小さな祈り。その一つひとつが、愛の「パン種」となって、知らず知らずのうちに周りの人々の心を温め、この社会を豊かにしていくのです。

3. 弱さの中で助けてくださる聖霊

 最後に、第二朗読でパウロはとても慰められる言葉を語っています。「霊は弱いわたしたちを助けてくださいます。私たちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」

 信仰を持って生きていても、時には疲れ果ててしまうことがあります。困難や悲しみの前で、どう祈っていいか分からず、ただため息しか出ない夜もあるでしょう。でも、どうか落胆しないでいきましょう。神様は私たちの心の中の痛みをすべてご存知です。言葉にならない私たちの祈りを、聖霊が神様に届けてくださっています。

結びの祈り

 皆さん、一緒に祈りましょう。 神様、あなたが私たちの心に蒔いてくださった信仰の種を、どうぞお守りください。私たちが他者を裁くのではなく、神様のような忍耐と寛容の心を持つことができますように。そして、私たちがこの社会の中で、小さくても愛を膨らませる良い「パン種」として歩んでいけるよう、聖霊のお力でお導きください。アーメン。

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