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今日の福音の言葉は、5日前に起こった熊本の大地震の被災者を思う私たちに、ちょうど当てはまります。マタイ福音書14章から、パンの増やしの物語ですが、ガリラヤ湖の向こう岸、人里離れた所にイエスの話を聞こうとして群衆が追ってきて、もう夕暮れになってしまいました。弟子たちが心配して、「群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いにいくでしょう」と言いました。すると主イエスは、「あなたたちが彼らに食べ物を与えなさい」とおっしゃいます。弟子たちは言います。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」と言います。たぶん、それはイエスと12人の弟子たちには足りるくらいの、彼らのお弁当だったのでしょう。
主イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになりました。弟子たちはそのパンを群衆に与え、すべての人が食べて満腹したと述べられています。
このマタイ福音書の箇所は、マルコ福音書6章にあるパンの増やしの物語を踏襲して、マタイが少し自分の言葉に直していますが、大部分はマルコの伝える物語を文字どおり伝えています。マルコでも、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と述べられています。
とくに大切なのは、マルコもマタイも共通して伝えている箇所、主イエスが「五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった」という言葉です。皆さんもご存じのとおり、この言葉はマルコやマタイの福音書が書かれたときの、彼らの教会で祝われていた「主の晩餐」(私たちが「ミサ」と呼んでいる儀礼)の中で唱えられる言葉なのです。この言葉こそ、物語の中心です。
そもそも福音書の伝える物語は、「語って聞かせる」というタイプの言い伝えで、イエスの死と復活の後、信者たちが口から口に信仰を伝えたものです。マルコ福音書が書かれたのは70年頃、マタイ福音書が書かれたのが80年頃と言われますから、イエスの死と復活のできごとから40年から50年の間、2代、3代にわたって言い伝えられた物語です。その物語には当然のことながら、これを言い伝えた教会の状況や信者たちの生活が反映されます。
パンの増やしの物語が伝えようとするメッセージは、主イエスこそ私たちのいのちの糧を与えてくださる方であること、それも私たちの祝うミサの中で、ご自分の死と復活を通して、ご自分のいのちを分け与えてくださること、この信仰です。
「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」という言葉は、私たちが主からいただくいのちの糧を、世の人々にも分かち与えなさい、という意味です。弟子たちが五つのパンと二匹の魚しかもっていなかったように、私たち自身の持っているものはわずかであっても、主はそれを使って、人々の飢えを癒してくださいます。
実は、物語では、主イエスがパンと魚を「増やした」とは言われていません。これは私の推測ですが、たぶん物語の中の群衆も、それぞれ自分の家からいろいろ食べ物を持参してきたのではないでしょうか。弟子たちがわずかな弁当を分かちあったとき、人々も自分たちの食べ物を分かち合って、もっている人ももっていない人も、皆が満たされたのではないでしょうか。
今日のごミサの中で、私たちは主イエスが与えてくださるいのちの糧を、心からの感謝もっていただきましょう。それと同時に、世の人々、とくに熊本の猛暑の中で、住む家も、電気も水も失ってしまった人々のために何ができるのか、私たちがいただいている恵みを彼らにも分かちあうことを考えましょう。アーメン。
